キハ 22。 TOMIX キハ22 DETAIL UP

1974,1975 北海道へ 8 一般形気動車 キハ22 : B767

キハ 22

02 本稿作成に鉄道ピクトリアルNo. 862服部朗宏様の弘南鉄道記事 部分 を参照させて頂きました。 弘南鉄道が引き受けるにあたって弘南黒石駅にSカーブで線路を敷設し、同一駅とし、3,4番線ホームを新設した。 1984 S59 11月1日弘南鉄道として3路線目が開業した。 当初は譲受したキハ22を使用、1995年小坂鉄道からキハ2100形2両を譲受して、キハ2230を予備車に3両態勢 で運行。 キハ2100形が停車している側の4番線を通常使用ホーム、3番線は代走の予備車を留置していた。 3番線は架線が貼られ、電車、電気機関車も入れるようになっていた。 この他、開業にあたり黒石駅弘前方に検修庫、給油設備が設けられ、内燃動力車免許所持の乗務員を確保した。 電化引き受けで無かったために、新たな内燃コスト増を招いた。 弘南鉄道の形式はキハ2200形とされ、元キハ22-128は2210、22-130は2220に22-143は2230に改番された。 塗色は弘南色になったが、車体が大きいため黒石駅では南海グリーンよりも目立って威容?感が漂っていた。 検修費用のかかるATS装置は行き違いや2列車運行をしないことで撤去、トイレは短区間で必要性が無いため閉鎖した。 1987 S62 にワンマン化工事実施の際、トイレ及びデッキ仕切りを撤去、座席を延伸した。 3両とも1962 S37 新潟鐵工所製、入線にあたっての改造は秋田の土崎工場で行われた。 廃車は1995 H7 年に2210、2220の2両が、小坂鉄道より2100形入線により、廃車された。 1998 H10 黒石線廃止時に残る2230が廃車された。 Google社の自動広告を導入中です。 これらの広告はパソコンシステムのトラブルになる可能性のある広告です。 広告による問題発生は当店は責任を負えませんので、ご注意をお願いいたします。 画像処理最大手Adobe社はダウンロード時のインストール項目を注意して外さないと、googleの閲覧ソフトに入れ替わる場合があります。 念のため 苦笑 前田屋敷停留場 待合室は極寒強風対策のドア付。 ホームは2200形導入により、長さ1両分がかさ上げされた程度 川部駅も同様 田んぼとリンゴ畑の真ん中で周辺の人家はまばらで、朝夕以外の乗降客はいたのかと思えるほどのロケーション? 黒石からこの線を利用する人は青森方面か五所川原方面以外にはいなかったのではなかろうか 当時の樽沢社長は黒石線を電化して循環線構想までぶち上げていた。 弘南鉄道の経営者にとっては 1955 昭和30年代 ~1965 40年代前半 はそれだけ収益が有ると考えられた時代があった。 弘前電気鉄道も経営難で樽沢社長に救済合併をしてもらっていた。 運転士さんによると小坂鉄道からやってきたキハ2100形は冬期間、吹き荒れる津軽平野の風に立ち向かう力が弱く、到着 定時と行かないことが多かったそうな。 キハ22 と言っていた の方が安定した走行が出来たそうで、本当はキハ22形の方が良いのだが、燃費がかかるから会社に 嫌われてこれ(キハ2200)になったようだ。 とのお話を聞いた。 あまりの寒さに風よけの場所も無く早々に退散した。 31限りで廃止された。 約13年後のことであった。 当初の電化循環線構想 樽沢私案? とは違った非電化路線のため、設備投資 車庫や機材 や人材も電車、 内燃車の2種になって効率も悪く、黒石と国鉄川部駅で乗換する旅客の便宜を図る専用線?でなんら 地域の発展地図が無い中で、乗客が増加するわけも無く、時の地元も「弘南のトップのトップに頼めば 何とかなる」で転換存続したのだろう。 当初の数年間は補助金なども出たが、当初から焼け石にリンゴ 米 ?であった。 設備も更新する時期になって、この乗客数では・・。 と 1992年「黒石 線 活性化推進協議会 」が設置され、 地元協議を重ねて廃止に踏み切った。 「活性化推進協議会」が設置されてから6年後であった。 そういえば 「存続戦略協議会」 という名を思い出した・・・。 1984. 2に社名変更 下北バスが大畑線を引き受けたのは、南部縦貫鉄道が将来、東北新幹線の七戸駅設置を前提に大畑線を引き受ける 事業拡大構想を察知。 下北半島の交通網を自社でまかないたいことから、バス専業の会社が鉄道事業を開始する異例の展開となった。 未知の鉄道事業にどう対処するか思案の結果、中古バスで取引のあった京浜急行電鉄に支援を要請、社名も変更した。 開業にあたっての公官庁 仙台 との業務や鉄道関係のノウハウを京浜急行から全面的に受けて開業した。 京急では担当者が現地に仮住まい?をしたり、関係者が新幹線で仙台 監督官庁 あるいは、羽田から青森・三沢空港経由で 下北へ打ち合わせに往復、開業に向けて尽力されていた。 車両は1985年 S60 7. 1に開業することから、譲受したキハ22の形式をキハ85に変更した。 開業後1993年以降には利用者がさらに漸減し、鉄道全体の老朽化もあって、約16年後の2001年4月に廃止された。 その後、京急との縁は排ガス規制問題などから新造バス導入に時代が変わって希薄化した。 発注元はデザインの時点で「鉄」のこと、なんも知らんらったらしく 車両形式で無く機関形式を記載し、ダイヤは途中切れありの大慌て作成らしき「珍品」記乗 大畑出庫の列番が「0D」という珍番号の列車がある。 普通は偶数番号の最初は2Dとかに なるのだろうが、出庫から走行する列車の順番を分かり易くしたのかも。 ナゾ~。 但し、秒時刻は長閑な運転なので?必要が無いらしく記載が無い。 04 フィルムスキャン&プリントのS All rights Reserved.

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小田急東海大学駅前の16番 HO)ゲージを中心とした鉄道模型の店です。 完成品からパーツ、線路まで、何でもご相談ください。 なお、昨今の流通状況からNゲージ製品につきましてはご予約中心のお取り扱いとさせていただきます。 店舗は駅前横浜銀行の隣、不動産会社のあるビルの3Fです!当雑談室では商品のご案内の他、工作のヒントや実物ネタなどざっくばらんに書いてみたいと思います。 「プロフィール」に店の紹介がございます。 通販も大歓迎!記事に出て来る商品は、こちらからもお買い求めいただけます。 raku-uru. 配線のトラブルなどが解決したキハ22、連続走行を行ってならします。 今回は黒染め車輪のMPギアを使用したので、車輪の塗装に絡むトラブルが皆無なのは助かります。 全車動力車として編成に制約が出ないようにしてありますが、消費電流の少ないコアレスモーターということもあって、極めて快調です。 各車とも1エンジン車と言うことで、片台車駆動としてあります。 形式ごとにM車とT車を作るのも面倒ですから、当面気動車はこの方式で行こうと思います。 今回のキハ22でやりたかったのは、これです。 ED78やEF71等との並びです。 東北地方には意外と多くのキハ22が配置されていて、JR化後まで見ることが出来ました。 北海道形のキハ22と485系や455系等との並びもごく普通でしたから、いろいろな車種と並べて楽しめるのです。 連結相手もキハ56と言わず内地形のキハ58や28などでもちっともおかしくありません。 後継車種としてデッキ付のキハ40-500やキハ48-500等が作られたわけですから、キハ22が東北で重宝されていたことが分かると思います。 また、東北地方ではJR化後まで電化区間の普通列車は客車が主力でしたが、県庁所在地近郊の区間列車には、電車がなかったこともあって、気動車が使用されていました。 奥羽本線で言えば、福島-米沢-山形-新庄-横手-秋田のメイン系統が客車、赤湯-山形-楯岡といった区間列車が気動車と言う役割分担になってました。 今は全部701系になってしまいましたが、当時は気動車も客車も様々な車種があって、眺めるだけでも楽しかったものです。 涼しくなって来たせいか、お客さまもなかなか活発に製作を行っていらっしゃいますが、管理人もそれに刺激されて、夏の間放置プレイになっていたキハ22を一気に進めています。 レタリング入れとウエザリングを行いました。 キハ20系列に関しては、くろま屋インレタでほぼフルレタリングが可能です。 作例では後位側の形式・自重・検査標記や側面の配置・定員標記も入れてみました。 配置標記は、客車群と並べることを前提に、既存のものと同じ「秋カタ」、即ち山形機関区、ナンバーも山形機関区のものから拾いました。 サボは「山形-左沢」としました。 本線の「赤湯-楯岡」とかの区間運転列車でも良いとは思いますが。 ウエザリングについては、腹八分目と言うことでやりましたが、既存の2両とも若干ニュアンスを変えて、編成にした時に屋根がまだら模様になるように留意しました。 これだけで、買ってきた既製品が走っているという印象から抜け出せます。 引き続き、慣らし走行も並行して行いましたが、ライトの点灯が不安定なので、調べたところ基盤の配線ハンダ付けが不良なのが発見されました。 まあ、この辺は勝手に追加しているので、自分でどうにかするしかないのですが、でも、問題が解決すると気持ち良いものですね。 基本的な部分はほぼ完成しましたが、ワイパーなど小パーツと、見苦しい部分の修整が残っています。 まあ、なかなか難しいと言われている脳卒中の手の機能回復訓練の意味も大きいですから、なかなか一発で満足できる結果は得られないのですが・・・。 夏の間放置プレイになっていたものを一気に片付けようということですが、先ずは資材の揃ったキハ22からということで、仕上げを進めます。 内装の続きです。 一般形気動車では、客室内に便所が設置されていますが、ここで注意すべき点は、便所の向かい側が座席だったりするので、座席側の窓から向こう側が透けてはいけない、ということです。 キハ22では便所の出入口はデッキ側で、扉を押して入るという構造ですが便所の壁は客室側になっています。 同じ北海道向けのキハ40-100(現在はワンマン車の700または1700番台になっています と同じレイアウトです。 室内色に塗ったプラ板で簡単に壁を作るだけで充分な効果があります。 独特な形状の便所窓が透けて見えては興ざめですね。 他は、細部の色差しと修正がまったりと進みます。 扉脇の手すりは、車体が朱色の部分もクリーム色で、手すりの存在が目立つ塗り分けです。 作業中なので、手すりの変形が目立ちますが、最後に修正します。 今回は変形しにくいように、手すりに燐青銅線を試用しています。 この後は、塗り分けラインの不備などを修正しながら試運転へと進みます。 キット自体はそれほど大変なものでもありませんが、動力方式の改造や照明システムの追設など、両運転台ということもあって結構時間がかかっています。 ほぼ最終まとめの段階のキハ22、意外と手間取っています。 この車、意外とスペースがないのです。 スイッチを取り付けるとスノープロウの取り付けがかなり苦しくなります。 プロウのパーツの中央部分を切断して、スイッチと干渉しないようにします。 ロストワックスなので、ホワイトメタルほどヤワではありませんが、やはり変形するので、現物合わせで調整しながら取り付けます。 取り付けイメージです。 車体が浮いているのは、仮に被せただけということで・・・。 プロウと線路の位置関係は良さそうです。 寒冷地形なので、プロウを省略するわけには行きませんね。 今週中にレイアウト試運転に持ち込めるかとも思いましたが、ちょっと無理のようです。 まあ、殆ど素材のようなキットにいろいろ付け足しているわけなので、この辺は丁寧な作業で良い結果を出したいところです。

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1974,1975 北海道へ 8 一般形気動車 キハ22 : B767

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羽幌炭砿鉄道キハ223保存車 羽幌炭砿鉄道 キハ22 3 浦和美園駅から徒歩15分ほどの に保存。 撮影日 2011年8月4日 炭鉱閉山、鉄道廃止で茨城交通に譲渡、廃車後羽幌炭砿時代の塗装に復刻されたが、当時の色はもう少し赤みがかっていたようだ。 国鉄キハ22の自社発注車、運転台の旋回窓は当初から装備していた。 ワンマン改造は茨城交通時代。 2009年12月17日 那珂湊 トレーラーで搬出されるキハ223。 流鉄の元西部のお顔も展示されている。 塗装からすると「青空」と「明星」だが塗り替えられたという話もあり番号は確認中。 バス通りに面して電車のお顔が並んでいる。 2014年には駐車場にが登場した。 オマケ 東川口駅前広場の埼玉高速鉄道開業記念モニュメント。 シールドカッターのレプリカ。

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