ネアンデルタール 人 ホモ サピエンス。 ネアンデルタール人と私たちの歴史 「そしてヒトが生き残った」

先史:ホモ・サピエンスの「親戚」、絶滅する

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(ホモ・ネアンデルターレンシス Neanderthal、Homo neanderthalensis)は以前はの直系の祖先と言われていたが、近年の研究により、共通祖先を持つ別系統の種であるとされている(参照)。 歴史教科書では「」と紹介されている。 生息年代 「Neanderthal<英語版」によれば、25-4万年前。 ただし、進化は複数の特徴となる部分が別々の年代に進化したので、学者の意見は分かれているようだ。 シマ・デ・ロス・ウエソス(Sima de los Huesos)洞窟で43万年前の頭蓋骨などが見つかったが、これらの骨を「初期」という人もいれば、ホモ・ハイデルベルゲンシスと言う人や、「その両方の特徴を持っている」とする人もいる。 まあ、人類の進化や他の種の進化を思い起こせば、これは当然のことだと理解できるだろう。 進化は時間がかかるものだ。 そして、典型的な特徴を一揃え揃えたは71000年にようやく現れる。 また、これも「Neanderthal<英語版」からだが、の化石は13万年以前のものは極端に少なく、それ以降は多くなる。 13万年を境に、それ以前を早期、以降を典型的(おそらく後期)と呼ぶらしい。 特徴 重複するが、13万年を境に、それ以前を早期、以降を典型的(おそらく後期)と呼ぶらしい。 早期は大きく平たい大臼歯、大きな顎、突き出た鼻、太い頬骨、隆起した眉、脳容量が小さいなど、原始的特徴を残している。 後期は後頭部が異様に出っ張っているのが目立つ。 このでっぱりのことは記事「」で書いているが、ここでも書いておこう。 (ホモ・ネアンデルターレンシス)との脳の大きさはそれぞれ、1170-1740cc、1100-1900cc(ダニエル・E・/人体 600万年史 上//2015(原著は2013年に出版)/p169)。 「<」にあるように(おそらく)平均値ではそれぞれ1600cc、1450cc との方が脳が大きいようだ。 しかし、脳が大きい=頭がいいと即断できないことをダンバー氏の本は示している。 ダンバー氏曰く、の脳の発達は、視野系を発達させるため、すなわち弱い日差しの中で(生息地は高緯度のヨーロッパ)、遠くまで見える能力の発達の結果だということだ。 高緯度地帯では日差しが弱いので、遠くのものを見づらいのだ。 これは狩人にとって深刻な問題で、子どものサイを仕留めようとしているときに、母親のサイが暗い森のはずれにひそんでいるのを見逃すというミスを犯す訳にはいかないからだ。 日差しが弱い地域での暮らしは、たいていの研究者が考えるより大きな負担を視覚に強いる。 出典:ダンバー氏/p190 このためにの最後部にある第一次視覚野が発達した。 そのために後頭部が異様に出っ張っているような形になっている。 出典:< 簡単に言うと、は視野系を強化するために脳の大きさを発達させたが、社会認知を高めるための脳の前方領域の発達は無かった。 いっぽう、は低緯度地域アフリカで視野系を発達させない代わりに前方領域が拡大した(ただし、現代人も高緯度に住んでいる人びとは比較的視野系が発達しているらしい(これによる前方領域の脳の犠牲は無い) )(p192-194)。 これにより、は思考・判断などを司る前方領域の脳の拡張が制限されかもしれない。 これがとの生存闘争に負けた原因の一つとなった。 記事「」参照。 四肢骨は遠位部、すなわち腕であれば前腕、下肢であれば脛の部分が短く、しかも四肢全体が躯体部に比べて相対的に短く、いわゆる「胴長短脚」の体型で、これは彼らの生きていた時代の厳しい寒冷気候への適応であったとされる。 出典:< 発見・公表 ここでは3つだけ化石を挙げておこう。 Neanderthal 1 最初に科学的研究の対象となった類の化石が見つかったのは1856年で、場所はドイツの郊外の Neanderthal にあったフェルトホッファー洞窟であった。 これはの採掘作業中に作業員によって取り出されたもので、作業員たちはクマの骨かと考えたが念のため、地元ので教員を務めていたヨハン・カール・フールロットの元に届けられた。 フールロットは母校であるボン大学で解剖学を教えていたヘルマン・シャーフハウゼンと連絡を取り、共同でこの骨を研究。 1857年に両者はこの骨を、人以前のヨーロッパの住人のものとする研究結果を公表した[11]:217-219。 ちなみにこの化石は顔面や四肢遠位部等は欠けていたが保存状態は良好であり、低い脳頭骨や発達した眼窩上隆起などの原始的特徴が見て取れるものである。 出典:< Neanderthal で発見された化石が基準標本で、Neanderthal 1。 45000-40000年前。 La Ferrassie 1 1909年、フランスのドルドーニュにあるLa Ferrassie遺跡でLouis Capitan と Denis Peyrony によって発見された。 50000年前。 出典: ほぼ完璧な頭蓋骨で、典型的なの形状を持っている。 つまり、ボールが上から潰されたようになっていて、後頭部の方向に伸びている。 Altamura Man 出典: イタリア南部のAltamuraの近くの洞窟で1993年に発見された。 128,000 - 187,000年前。 眼窩上隆起や矢状稜など早期の特徴を持つ。 は、南部からドイツ北部までの遺跡調査で、ウマ、シカ、ヤギュウなど、大型から中型の哺乳類をとらえる狩猟生活にほぼ完全に依存していたことがわかっている(地中海沿岸では貝も食べていた)。 植物も少しは口にしたようだが、植物を加工して食べた痕跡が見つかっていないことから、スタイナーらは、にとって植物は副食にすぎなかったとみている。 のがっしりした体を維持するには、高カロリーの食事が必要だった。 特に高緯度地方や、気候が厳しさを増した時期には、女や子どもも狩猟に駆り出されただろう。 出典:および 狩猟のやり方はて槍で仕留める方法をとった。 は有能で成功した狩猟採集民だった。 もしもがいなかったら、彼らはいまでも存在していたのではないだろうか。 は複雑で洗練された石器を作り、それをもとに掻器や尖頭器など、さまざまな種類の道具をこしらえた。 火を使って食物を調理し、野生のオーロックス(原牛)やシカウマなどの大型動物をしとめた。 出典:ダニエル・E・/人体~科学が明かす進化・健康・疾病 上//2015(原著は2013年にアメリカで出版)/p165• 掻器は皮なめしに使う石器。 毛皮についている脂肪や肉を掻き取るために使用された。 尖頭器は字のごとく先端を尖らせた石器で槍先につけた。 また、他の人のブログ記事「」では、「複数の小規模集団に細分化されていき、集団間相互の交流は稀だった、との見解を提示」する論文が紹介されている。 はネットワークを作って天災などの緊急事態に対して保険をかけていたが、はそのような保険をかけていなかったかもしれない。 の絶滅については、記事「」で書いた。 おもな参考文献• Neanderthal<英語版•

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謎の人類・ネアンデルタール人とは、絶滅理由は?

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現在、人類と言えば我々の種しかいない。 しかし数万年前までは人類は同時代に数種類 存在した。 の祖先は人だとされるが、人はの一種か亜種である(一種と亜種の厳密な違いが分からない)。 はの祖先ではない。 は別個により進化した。 点線は後述の人とデニソワ人を表している(と思う)。 狭義には、ドイツの郊外のにあるフェルトホッファー洞穴で1856年に発見された男性化石人骨。 広義には、の一種、ホモ・ネアンデルターレンシスの通称。 約25万〜3万年前に欧州とに住んでいた。 脳頭蓋は低くつぶれた形で長く、眼窩上隆起が出っぱり、額が傾き、後頭部が突出するなど、原人の特徴を残しているが、脳容積は1300〜1600立方センチもあり、新人と変わらない。 顔は中央付近が前に突出している。 男性で、身長は165cm程だが、体重は80kg以上と推定されている。 欧州の寒い気候に適応した人々であり、中期の剥片 はくへん 石器製作技術により鋭い石の槍先 ムスティエ型など を作った。 馬場悠男 人類研究部長 / 2007年 出典: 上の身体的特徴は太っているというより寒冷の気候に適応するためにゴツい体格になったようだ。 彼らはそのゴツい体格を活かして大型・中型動物を槍を使って狩猟した(彼らは槍を投げたりはしなかったし、弓矢を使わなかった)。 の絶滅 との生存競争の逆転劇は前回の記事で書いた通り。 最後はヨーロッパの果て、にまで追い詰められたというシナリオがある。 さて、いつ絶滅したか だが、上の引用では3万年となっている。 しかし現在は4万年前という説が有力らしい。 年代学の視点で「はいつ消滅したのか?」大森貴之氏()の講演。 14C炭素による年代測定はこの1~2年ほどで飛躍的に進歩した。 を標準年代測定に利用することにより、5万年前までは確実に年代測定できる。 が最後に絶滅したとされるジブラルラタルのゴーラム洞窟は従来2万5千年前とされてきたが、4万年から3万9500年前とされた。 2014年にオックスフォード大学からも4万年前と発表されたが、日本の研究チームは独自の方法で遺跡成分を再測定した確定した。 4万年前にの遺跡が消滅したと同時期にの遺跡が増えていった。 これは気候変動のサイクルである寒冷期ハインリッヒ・イベント5の時期に相当する。 出典: 上のブログ記事を見たあとに以下の本を見つけたので引用。 話は年代測定の技術の向上から始まる。 2013年初め、[中略]ユーラシアの多くの古人類学的遺跡の年代を再評価する大掛かりな計画の結果が初めて発表されたのである。 オーストラリア国立大学のレイチェル・ウッドとオックスフォード大学考古学・美術史研究所のトーマス・ハイアムが先導するチームは精度の高い分析技術を開発し、にある11の考古学的遺跡の資料の年代について再測定を試みた。 これらの遺跡がとくに重要なのは、現生人類の到着と同時に気候条件が悪化してから、は何千年ものあいだ居住していたユーラシアの広範に広がるテリトリーの大部分を放棄し、気候が比較的温暖な地中海沿岸の避難所〔レフュジア。 寒冷期に一部の生物が生き残った避難地域のこと〕まで後退したという説の根拠となっていたからだ。 [中略] この再年代測定は、の絶滅の時期に関するかつての結論に疑問を投げかけた。 つまり、は4万年前以降はおそらく生存しておらず、生存していたとする主張はすべて誤った年代測定に基づいていると明白に結論づけたのである。 出典:パット・シップマン/ヒトとイヌがを絶滅させた//2015(原著は2015年に出版)/p47-51• 上には新しい年代測定の方法が詳しく書かれているが私にはわからないので割愛。 上で登場したトーマス(トム)・ハイアム氏が2014年にNatureに発表した。 題名は『The timing and spatiotemporal patterning of Neanderthal disappearance』。 この論文を受けては以下の記事を書いた。 このたび研究者らは、からにわたって点在する40の洞窟から発掘された196個の動物の骨や貝殻、木炭を分析した。 ほとんどはシカやバイソン、マンモスなどの骨で、全てにが使った石刃の痕跡が残る。 これらの骨を年代測定したところ、およそ5万年前から人口が減少し始め、集団が孤立していったことが明らかになった。 それはちょうど、初期の現生人類が到来した時期と重なっている。 両者は同じ動物を捕獲したことから、生存競争によるプレッシャーがの集団を孤立させ、絶滅に追いやったと推測される。 「孤立して遺伝的多様性を失った種は絶滅する可能性が高い」とハイアム氏は述べる。 が衰退の一途をたどる頃、イタリアで大規模な火山の噴火が起こった。 さらに4万年前、ヨーロッパの気候が寒冷化したため、「すでに人口が減り遺伝的多様性を失ったに最後の一撃が加えられた」と、ロンドン自然史博物館のクリス・ストリンガー(Chris Stringer)氏は話す。 ストリンガー氏は今回の研究結果を称賛し、「全体像がしだいに明らかになってきました。 3万9000年前までに、ほぼ絶滅していたでしょう」と述べている。 出典:• 上に「イタリアで大規模な火山の噴火が起こった」とあるが、これは近郊でおよそ39000年に発生したカンパニアン・イグニンブライト噴火(Campanian Ignimbrite eruption<英語版)のことだ。 ストリンガー氏はこれにより「遺伝的多様性を失った」と主張する。 しかし上で紹介したシップマン氏の本ではこの噴火の火山灰層の下にの遺跡の層がある、つまりは噴火以前に絶滅したと主張する。 さらに「の絶滅は数百年から長くて数千年かかっている」(ので噴火後100年ちょっとで絶滅するはずがない)とした(同著/p64-65)。 シップマン氏によれば、6万年前から24000年前までの期間に気候がきわめて不安定になり(短期間のうちに温暖期と寒冷期を繰り返した)、これに翻弄されたが人口縮小及び小集団での分散を迫られ「遺伝的多様性を失った」。 そしてヒトとイヌのユーラシアへの「侵入」によりそのストレスで滅亡したと主張する。 シップマン氏の主張、つまり本の題名にもなっている『ヒトとイヌがを絶滅させた』という主張の詳細についてはここでは書かない。 この本の監訳者の河合信和氏はこの仮説をもっともらしくするためには新しい発見が必要だと監訳者あとがきで述べている p265。 河合氏は上の主張からイヌの存在を抜いたもの、つまり「不安定な気候+現生人類登場のストレスなどの諸要因」が絶滅の原因としている p265。 河合氏の意見でいいのではないか。 遺伝的多様性については「遺伝的多様性<」に以下のように書いてある。 種の生存と適応 遺伝的多様性は、種の生存と適応において重要な役割を演じる。 遺伝的多様性が高いことは、種に含まれる個体の遺伝子型に様々な変異が含まれ、種として持っている遺伝子の種類が多いことを意味する。 このような場合、環境が変化した場合にも、その変化に適応して生存するための遺伝子が種内にある確率が高い。 残念ながら、過去60年にわたって積み上げられてきた放射性炭素録には大きな不備があり、これらのモデルを厳密に検証するには不適切であることは、いまや明らかだ。 汚染の除去が不完全であることと測定試料が測定限界に非常に近かった困難が組み合わさったことがその原因だ……この問題は測定した当時は認識されておらず、そのため適切に取り組まれなかった。 さらに、中部から上部で利用できる年代測定の多くは測定が不正確なため、編年的にかなり大雑把な意味でしか使えない場合が多い。 高性能な測定法が開発されたことで、年代測定の制度は大きく改善されてきた。 骨の年代測定に「限外濾過」(ultrafiltration)〔骨から抽出したコラーゲンを分子量によってふるいわけ、資料の汚染を除去すること〕を適用し、さらに〔汚染除去の前処理をし〕……木炭の年代測定法により、いくつかの遺跡では最近測定されたものであっても、その年代測定はかなりの割合でおかしい結果のものがあることを明らかにした。 ハイアムのチームが信頼できる年代測定として使った基準はきわめて厳密で、絶対的に根幹的な技術と呼ぶにふさわしいものだ。 出典:シップマン氏/p52-53 ハイアム氏の主張は多くの学者に受け入れられているが、反論も少なくないそうだ。 との運命を分けたもの 前回、前々回との文化的発展を書いた。 前々回は現代人的行動を書いた。 現代人=だが、もそれを持っていた可能性が高い。 しかし、「可能性が高い」と言われるほどしか証拠がないということは、のそれと歴然としたさがある。 前回は文化の爆発を書いた。 この時期は6~4万年前ということで、の滅亡と関連している可能性がある。 が栄えてしている一方で、は絶滅のルートに入ってしまった。 また、記事「」に書いたことでは、2種の間にの大きさの違いがある。 の脳容量はより大きいと言われることがあるが、思考・判断・創造性・社会性などを司る場所だ。 これにより、は言語を使用できるようになった。 が言語を使用できたとしてものような複雑なことを伝えることはできなかっただろうと言う。 たとえば、物語を伝承することは無理だったろう。 そして上で書いたこととして気候の不安定がある。 以上を踏まえて、の記事を引用しよう。 技術や社会構造、伝統文化といった、集団生活から生まれる要素は、厳しい環境の影響を和らげて、集団の生存力を高めると考えられている。 の社会は、この点でも、私たちとは異なっていたかもしれない。 たとえば、アフリカから移動してきた現生人類の集団では、男が大型の獲物を追って狩りをし、女や子どもは小動物をつかまえ、木の実や植物を採集する分業が成立していた。 アリゾナ大学のメアリー・スタイナーとスティーブン・クーンによれば、こうした効率的な狩猟採集の方法が、食生活を多様にしていたという。 一方、は、南部からドイツ北部までの遺跡調査で、ウマ、シカ、ヤギュウなど、大型から中型の哺乳類をとらえる狩猟生活にほぼ完全に依存していたことがわかっている(地中海沿岸では貝も食べていた)。 植物も少しは口にしたようだが、植物を加工して食べた痕跡が見つかっていないことから、スタイナーらは、にとって植物は副食にすぎなかったとみている。 のがっしりした体を維持するには、高カロリーの食事が必要だった。 特に高緯度地方や、気候が厳しさを増した時期には、女や子どもも狩猟に駆り出されただろう。 [中略] 「ほとんどのと現生人類は、生涯の大半を通じて、直接顔を合わせることはなかったでしょう」と、ユブランは慎重に言葉を選ぶ。 「居住域の境界近くでは、遠くから互いの姿を見かけることもあったと想像されます。 その場合、互いに相手を避けるだけでなく、排除しようとした公算が高いと思うのです。 近年の研究によれば、狩猟採集民は、さほど平和的ではなかったようですから」 出典:および この記事によれば、2種の運命を分けるものは狩猟採集・食生活の多様化と分業の効率性にあった。 の大きさが原因かもしれない。 さらに、排除について。 2種は異種交配していたことが知られているが、ロビン・ダンバー 氏の 推測によれば、の集団がを襲撃して、その戦果として女を奪い、その結果、のDNAにのそれが混じっている、としている。 推測の材料として、歴史を見れば女を略奪することは珍しいことではないとのこと。 * * * ちなみに、 関連で論争になっている一つにシャテルペロン文化(シャテルペロニアン)がある。 「シャテルペロン文化<」では「約3. 6万年前から3. 2万年前」という期間が書いてある(この記事の参考資料は10年以上前のものだが)。 これも年代測定のやり直しが必要なのかもしれない。 シャテルペロン文化についての2016年のニュースを紹介されているブログがあったのでここに載せておく。 私はこのブログ記事を正確に理解できない。 分かるのは「トナカイ洞窟のシャテルペロニアン層の担い手はである可能性がたいへん高い」というところだけ。 ネタ元は おまけ1:人 2003年にの島で人類の化石が発見された。 この化石人類を「人」という。 フローレンス人は()が島に渡り、少なくとも70年前に矮化(島という限られたスペースで生きるために体が小型化する現象)した人類()(諸説あり)。 絶滅は最近まで12000前あたりまで生存していたのではないかと言われていたが、2016年に5万年前には絶滅したという論文が発表された。 しかもこの時期にはがこの島に到来した時期と一致するという(。 追加参考文献: おまけ2:デニソワ人 2008年、シベリアののデニソワにある洞窟で小さな骨の破片が発見された。 5万年から3万年前のものと思われる地層から発見されたため、当初はかの骨だと思われていた。 しかし2010年に研究結果が発表された。 見つかった骨の一部は5-7歳の少女の小指の骨であり[3]、DNAの解析の結果、デニソワ人はと近縁なグループで、80万4千年前に現生人類であるとの共通祖先から・デニソワ人の祖先が分岐し、64万年前にから分岐した人類であることが推定された[6]。 出典:デニソワ人<(注釈は出典先参照) デニソワ人に関してはほとんど分かっていないらしい。 外見すら分からなっていない。 、唯一の人類になる 上に挙げた人類(化石人類)が絶滅した時期が確定していないため、が唯一の人類になった時期も確定されない。 しかし人もデニソワ人も、現在の遺物を見るかぎりのライバルではなかった。 ライバルといえるのはだけだった。 そして前回の記事で書いた通り、は彼らに打ち克ち絶滅に追い込んだ後、を除く全て大陸に進出して現在に至る。

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ネアンデルタール人のDNAが我々の「身長と統合失調症」に関連か!? 遺伝子「ADAMTSL3」の最新研究が面白い!

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類人猿からネアンデルタール人までの過程は? 人類は、 類人猿・猿人・原人・旧人・新人(ホモ・サピエンス)というステップで進化してきました。 旧人・ネアンデルタール人の誕生までを見ていきましょう。 類人猿は、ヒトに似た形態と、高い知能を持ち、社会的な生活を営みました。 現存するのは、オランウータン、チンパンジー、ゴリラ、テナガザルです。 初期の猿人は森で木に登り、果物を食べて暮らし、二本足で地上を歩くこともありましたが、やがて森から草原に進出しました。 代表的な猿人は アウストラロピテクス・アファレンシスで、 400万年前から300万年前の間に、出現し、身長140~150cmくらいです。 脳容量は500ccでした。 1974年にエチオピアで発見され、 「ルーシー」と名付けられました。 名前はビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイアモンズ」に由来します。 ルーシーは右上腕部に骨折の痕があり、おそらく木から落ちた負傷により死亡したのではないかと言われています。 脳容量1000ccです。 主な種を上げますと、 ・ホモ・ハビリス 猿人と原人の過度的な種で200万年前に出現し、石器を使い、動物の肉を切り取ったりして食べました。 ・ホモ・エレクトス(ジャワ原人/北京原人) 180~50万年前に活動、身長は160~180cmあり、体毛も少なくなったと思われます。 ジャワ原人はアフリカを越えてアジアにまで広がった最初の人類です。 北京原人は石器や火の使用の痕跡があり、動物を焼いて食べたといわれています。 DNA解析により新人につながらず、 10万年程前に絶滅したようです。 脳容量は1100cc~1500ccと大きく、洗練された石器を使い、身長は180cm、体重100キロの大柄と推定されます。 この ホモ・ハイデルベルゲンシスが、旧人・ネアンデルタール人と新人(ホモ・サピエンス)・クロマニヨン人の共通の祖先で、現人類の直系の祖先ということにもなります。 ネアンデルタール人とは、その誕生は?特徴とは? アフリカで誕生したホモ・ハイデルベルゲンシスは、アウト・オブ・アフリカといわれるアフリカ大陸からの拡散により、ヨーロッパ大陸に上陸します。 この ホモ・ハイデルベルゲンシスがヨーロッパでネアンデルタール人に進化します。 20万年前、ヨーロッパ大陸は、最期の氷河時代でした。 アフリカの熱帯・亜熱帯で誕生した彼らがヨーロッパの寒冷環境に順応しながら変身していった最終形がネアンデルタール人というわけです。 ネアンデルタール人の最初の発見は、1856年、ドイツの「ネアンデルの谷(タール)」でしたが、その後ヨーロッパから西アジアまで広く分布して発見されました。 その身体的特徴は、 幅広で大きい鼻、眼の上の骨が隆起し、胴長短足で幅広の胸部、がっちりした筋肉隆々とした体型などでした。 そして、彼らは毛皮をまとい、洞窟に住んで、石器を使い狩猟採集の生活を行っていました。 石器は、原石をはがし 鋭利な石刃のついた剥片石器(はくへんせっき)を作ることができました。 これは、ルヴァロワ式石器といい旧石器文化の最も発達した段階です。 また、死者を埋葬する風習を持ち、人骨の回りから花粉の化石が見つかったことから、花を添えたと推測して死を悼む心があったのではないかともといわれます。 脳容量は1300~1600ccで新人(ホモ・サピエンス)より大きく、大脳皮質や、前頭葉が発達していたようで、言葉を使ったことが考えられるようです。 一方、 20万年前、アフリカに残ったホモ・ハイデルベルゲンシスからは、現代人の祖先である新人(ホモ・サピエンス)が出現します。 彼らは、先発隊に遅れ、約4万5千年前にユーラシア大陸各地に移り住みます。 これが代表的な 新人・クロマニヨン人で、現代人と変わりません。 1868年フランスのクロマ二ヨンで鉄道工事中に発見されました。 石器は 石刃技法と言われ、原石から多量の石刃を剥離させる高度な製造方法で、さらに、石刃を細かく加工して、投げ槍、弓矢などを作り、狩猟、漁労技術を飛躍的に高めました。 フランスのラスコーやス ペインのアルタミラの洞窟絵画で見られるように芸術表現や抽象化の能力がありました。 そして、 先住しているネアンデルタール人と新規の移住者クロマニヨン人は、ヨーロッパで遭遇することになります。 かつてはネアンデルタール人が新人・クロマニヨン人に進化したという説がありましたが、現在では明確に否定され、 新人(ホモ・サピエンス)のアフリカ大陸起源説が定着しています。 ネアンデルタール人とクロマニヨン人は1万年近くヨーロッパで共存しました。 そして、 3~4万年前に、ネアンデルタール人は絶滅したのです。 ネアンデルタール人の絶滅、その原因は? なぜ、ネアンデルタール人は滅亡したのでしょうか? 遭遇した2種族に何が起こったのでしょうか。 ネアンデルタール人滅亡の理由については、下記のような多くの仮説が存在します。 おそらく、ひとつの原因だけでなく、いろいろな要因が絡まりながら、ネアンデルタール人の滅亡につながっていったのでしょう。 変わりつつあるネアンデルタール人の実像 ところで、これまで、ネアンデルタール人は、凶暴な人種というイメージがありましたが、近年、そのような見方は変わりつつあるようです。 例えば、 イラクのシャニダール洞窟の発掘では、家族生活を営み、仲間を手厚く葬ったり、病人を介護していた様子がうかがわれます。 したがって、ネアンデルタール人は 意外に温和な人種だった可能性があります。 一方、新人(ホモ・サピエンス)は、身体的にはネアンデルタール人に劣り、性格の穏やかなイメージです。 しかし、現代までの歴史を顧みる時、残忍で、欲望を満たすための策謀をめぐらすことに長けている側面も否定できません。 知性や、理性を獲得する前の新人(ホモ・サピエンス)は、その性向は凶暴だった可能性があります。 加えて、 コミュニケーション能力による共同行動に優れ、 投槍や弓という高度な武器を使用しました。 ですから、 穏やかな性格を有するネアンデルタール人は、新人(ホモ・サピエンス)に対抗できず、徐々に劣勢となり、滅んでいったのかも知れません。 次の交代劇はいつ?次の人類は? ネアンデルタール人が去り、4~5万年が過ぎました。 私たち、新人類(ホモ・サピエンス)も、いつかは 地上の覇者としての地位を、明け渡す時が来るのは間違いありません。 これまで見てきた歴史が教えるところです。 その交替劇はいつ起こるのでしょうか? あるいは既に始まっているのでしょうか。 我々を継ぐ、新しい人類はどこかで誕生しているのでしょうか。

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