そこで立ち上がったのが「Rites of Spring」というバンドだった。 一連のバンドを、エモーショナルハードコアやエモコアと呼んだのが「エモい」のはじまり。 そして、次世代のオルタナティヴなロックのひとつとしてエモが注目されはじめる。 当時のエモ人気は不動のものに。 そして90年代後半からヒットした数々のエモバンドが相次いで解散。 残ったのは、ジャンルの細分化により原型を留めていない「エモ」と呼ばれる音楽や、「エモい」という言葉だけであった。 ネット記事の見出しやSNSなどで、最近よく「エモい」という言葉を見かけるようになりました。 「寂しい」や「懐かしい」といった、漠然とした感情表現として使われることが多いようです。 『三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2016」』にて、「ゲスい」を3位に抑えて2位に選ばれたのも記憶に新しいところですね。 音楽が好きな人であれば、「エモい」は英語のemotionを形容詞にしたものであること、パンクの派生ジャンル・エモーショナルハードコアが語源であることをご存知でしょう。 「エモい」に関して調べてみると、音楽由来であることに言及しているものもありましたが、感情表現の形容詞として説明されているものが大半を占めていました。 余談ですが、中には「コギャル用語」としているものもあったり……流石にそれは定義付けが大雑把過ぎますね。 今や、音楽や感情等を表現する手段として定番化しつつある「エモい」という表現。 実は、起源をたどりやすい言葉なのです。 当記事では、気がつけばエモ歴20年近くなっていた私の視点から、「エモい」の起源についてご紹介します。 すべては80年代末のハードコアパンクシーンから 1980年代中ごろ、アメリカのハードコアパンクシーンは白人至上主義であったり、ナヨナヨした奴はNG!といった風潮があったりで、差別と暴力で荒れに荒れていました。 80年代初頭、健全なシーンにするべく活動していたバンドも相次いで解散したことにより、全土に渡って退廃ムードが漂っていたのです。 そこに「このままではいけない!僕たちのシーンを取り戻そう!」と立ち上がるバンドが、ワシントンD. に現れます。 84年に結成されたRites of Springです。 どこにでもいそうなルックスの青少年達による、メロディックな泣きのリフ、ややセンチメンタルな歌詞など、それまでのマッチョでゴツいハードコアとは打って変わった革新的な楽曲で登場しました。 以降、DAG NASTY、EMBRACE、そしてFUGAZIなど、後にレジェンドと呼ばれるバンドが次々と現れ、「レヴォリューション・サマー」というカウンターカルチャーにまで発展していきます。 このレヴォリューション・サマーに携わっていた一連のバンドを、エモーショナルハードコアやエモコアと呼んだのが「エモい」の起源であり、最初は暴力や差別に反抗するための音楽だったのです。 その音楽性やプレイヤーのナードな外見から、当時「エモい」という言葉は彼らを馬鹿にする意味合いで使われていました。 こうして「エモい」音楽を指すジャンル・エモが誕生したのですが、このジャンルは時代の流れと共に大きく変化していきます。 メインストリームへ、世界中がエモくなる 当初はポストハードコア的な面が強かったエモですが、90年代初頭ごろからインディーロックやポップパンク、メロコアと言った要素と融合しはじめます。 キャッチーでありつつもエモーショナルに歌い上げる音楽へと変容していきます。 時を同じくして、世界的に大ブレイクし、グランジムーブメントを巻き起こしたNIRVANAがカート・コバーンの自殺により解散。 ブームが下火になりつつある中、次世代のオルタナティヴなロックのひとつとしてエモが注目されはじめます。 90年代後半、The Get Up Kids、Sunny Day Real Estateなど数々のバンドがメジャーレーベルと契約、また、インターネットの普及に伴い世界中にエモが認知が広がります。 そして、Jimmy Eat Worldの99年リリース『Clarity』と2001年の『Bleed American』がビルボードチャートの上位にランクインし、大きな転換点を迎えます。 あのころの反骨精神とはかけ離れたまま、当時のエモ人気は不動のものとなったのです。 Jimmy Eat Worldは日本でもビールのCMに起用されていましたので、聴いたことがある人も多いかもしれません。 このころには既に日本でも音楽分野で「エモい」が使われていました。 bloodthirsty butchersやEastern Youth、ASIAN KAN-FU GENERATION、THE BACK HORNなど……。 マイナーコードで少し暗く時に激しいインディーズのロックバンドがそう評されていたことも。 このようにして、世界とは少し違う流れで「エモい」という表現が日本に登場しはじめたのです。 派生ジャンル続出、そして言葉だけが残った 2000年代に入ると、エモムーブメントはさらに加速していきます。 派生ジャンルも次々と現れました。 「スクリーム(叫ぶ)+エモ」で「スクリーモ」、よりポップな方面へとシフトした「エモポップ」などへと枝分かれし、挙げたらキリがないほどバンドも増えていきました。 そして、90年代後半からヒットした数々のエモバンドが00年代中ごろに相次いで解散。 残ったのは、ジャンルの細分化により原型を留めていない「エモ」と呼ばれる音楽や、「エモい」という言葉だけでした。 派生ジャンルのひとつ「スクリーモ」の代表格、SilversteinのMV。 別れた彼女に対する、引くほどの未練タラタラぶりが「エモい」です。 現在、海外では相変わらず「hey emo! 」というと、ちょっとナヨナヨしたナードボーイのことを見下して言う向きがあります。 昔と変わったのは、ジャンルとして一応確立したことでしょうか。 若いバンドの中には「レヴォリューション・サマー」の時代の音楽をやろう!と80年代末を、王道の90年代のエモをリバイバルさせて、それぞれプレイする人たちも出てきています。 まだまだ変化中?「エモい」の今後 言葉の方が色濃く残ってしまった日本の「エモい」。 音楽分野で用いられても、本来のエモーショナルハードコアの面は鳴りを潜め、様々な情感を表現するときに用いられているようです。 それ以上に、メディアやネット記事やSNSで、寂しいや懐かしいといった、何とも言えない漠然とした感情表現を省略するために用いられることが、ここ近年で多くなりました。 最近では「エモった」という言い回しまで出てきました。 一体「エモい」は、この先どうなっていくのでしょう……。 人気記事ランキング• 5次元舞台」の人気により、特に若い女性たちも舞台に触れる機会が多くなってきていますね。 しかし、舞台という... 2016年8月31日 58400 views• 1931年に設立されて以来、今なお世界中のプレイヤーに愛される楽器メーカー、リッケンバッカー。 そこから販売され... 2016年11月28日 55081 views• 2016年は、国産着せ替え人形界におけるメモリアルイヤー。 なぜなら、タカラトミーの着せ替え人形「ジェニー」のデ... 2016年5月12日 42192 views• 和歌における修辞法のひとつ、枕詞。 「直接的な意味が無い言葉」として知られています。 修辞する言葉も固定されている... 2016年6月16日 37213 views• 「毎日温泉に入りたい」というのは、日本人なら多くの人が憧れる夢だろう。 その夢が叶い、我が家にはかけ流しの温泉が... 2018年3月13日 36941 views.
次のどうですか? ぐっとくる感じ。 私は懐かしいのですが、若い人からすれば新しい感じなのかな? とにかく、90年代のアニメの世界観って「 エモい」んですよね。 90年代は全てがライブだった(儚いものには価値が生まれる) 90年代、青春まっさかりだった私が思う90年代がエモい理由。 それは、 全てがライブだった。 これにつきます。 今の時代のように、「これ後でみよう」「後ででいいや」が無かったんです。 文化祭の思い出も、体育祭の思い出も、その時だけ。 スマホが無かったので、日常の動画は脳内にしか残っていません。 ただ、みんなしっかりと頭に残っています。 そして、やたら脳内補正されて美しい思い出として残っています。 引用: 今の時代って「生」ってあまり無いですよね。 「これ見逃したから、後でYoutube探せばいいや。 」 「これは、あとで見よう」 「いなかったから、動画送っておいて」 2020年はこれが当たり前です。 90年代は、これが無い世界。 全てが儚く消えていってしまうものだったのです。 なので、みんな記憶に残していきました。 引用: もう「エモい」ですよね。 エモすぎます。 90年代は情報が少なかったから「想像した」 また、今と比べて情報が全然無かった。 情報が無い分想像しました。 家にいる時、好きな人を思って 「いまごろ何してるのかなー。 」って想像しました。 引用: 今だったら、インスタ見てみよう!Twitter見てみよう! 「あぁ~。 先輩は今、友達と遊んでるんだ~」 と、答えがすぐ手に入る感じでしょうか。 また、通学時間や日常の暇な時間。 スマホが無い高校生は音楽を聴きながら、本を読みながら、想像しました。 視覚の情報が無いと、映像を想像しますよね。 いろんな事を、頭ぐるぐると想像して一人の時間を過ごしていました。 またまた「エモい」ですよね。 2020年も20年後には「〇〇い」と言われて懐かしまれてるんだろな これらの事から、 「エモい」要素満載の90年代の日常が、「エモい」アニメの画風を生み出したんだんだと推測します。 あくまで、個人的な見解ですが。 そして、ここまで来て、 「ね。 90年代っていい時代でしょ?」と言いたいわけではありません。 中学生の頃に部活の先輩に言われた、 「今の1年はいいよね~。 恵まれてるよ~。 うちらの時代はさ~・・・。 」 と、知らない時代の事を語ってマウンティングとるみたいなクソダサい話ではありません。 きっと、今も20年以上たてば、 「2020年代って、〇〇いよね~。 」って懐かしまれているんだろうなって思います。 私は、90年代が青春真っただ中だったため、90年代が「エモい」とチヤホヤされるとちょっと嬉しいだけでございます。 というわけで。
次の大規模な飢饉、山賊の略奪や政治の堕落により混乱を来していた中国。 そんななか勃興してきた黄巾賊も民たちを虐殺、略奪するなど山賊と代わらない振る舞うように。 第1話のサブタイトルになっています)、義勇軍を結成して黄巾賊を倒すために立ち上がり…。 壮大なスペクタクルが展開されるのはもちろん、男性キャラクターが多く登場することもあり、中村大樹(劉備玄徳役)、辻親八(関羽雲長役)、藤原啓治(張飛翼徳役)、小杉十郎太(趙雲子龍役)、速水奨(諸葛亮孔明役)、飛田展男(孫権仲謀役)、森川智之(霊帝役)、矢尾一樹(呂布奉先役)など、現在も現役で活躍されているベテラン男性声優たちの若かりし頃の演技が存分に楽しめるのもポイント。 オープニング主題歌は、32話までがFENCE OF DEFENCEの「時の河」。 2曲とも疾走感のある壮大なメロディーが印象的です。 エンディング主題歌は32話までが遊佐三森の「空」。 33話以降は、こちらもFENCE OF DEFENCEの「STANDING ALONE」でした。 ちなみに、本作の製作に印刷会社の大日本印刷が名を連ねていました。 原作本(全60巻!)の印刷をしていたからでしょうか。 1991年10月スタートのアニメにはこんな作品もありました。 『魔法のプリンセス ミンキーモモ(第2作)』 (第38話より『魔法のプリンセス ミンキーモモ 夢を抱きしめて』) 『ゲンジ通信あげだま』 『キン肉マン キン肉星王位争奪編』 『楽しいムーミン一家 冒険日記』 『燃えろ! トップストライカー』 『炎の闘球児 ドッジ弾平』 『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』 『チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ』 『丸出だめ夫』 『ふたりのロッテ』 『ウルトラマンキッズ 母をたずねて3000万光年 』.
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