浜崎 洋介。 反戦後論

浜崎洋介氏の文章から

浜崎 洋介

経歴 [編集 ] (現・)出身、生後半年で生地を離れ、その後、、、、を転々とする。 2001年、卒業。 大学では小説の書き方を学んだ。 卒業後はが教えていた大学院へと進学したかったが、入試時間を間違えてしまい1年浪人する。 当時は祖師谷大蔵に住んでいた。 浪人中、の立ち上げたに参加。 2010年、大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了。 「福田恆存の思想 : 作家論・芸術論・国語論の観点から」で。 主査は。 著作 [編集 ] 単著 [編集 ]• 『福田恆存 思想の〈かたち〉 イロニー・演戯・言葉』(、2011年、ISBN 9784788512634)• 『反戦後論』(、2017年、ISBN 4163906487) 共著 [編集 ]• ()『アフター・モダニティ 近代日本の思想と批評』(〈叢書 新文明学〉、2014年、ISBN 9784779304316)• (・)『西部邁 最後の思索「日本人とは、そも何者ぞ」』(、2018年)。 「」を書籍化 編・解説 [編集 ]• ()『保守とは何か』(文春学藝ライブラリー(文庫版)、2013年、ISBN 9784168130021)• (福田恆存)『国家とは何か』(文春学藝ライブラリー、2014年、ISBN 9784168130342)• (福田恆存)『人間とは何か』(文春学藝ライブラリー、2016年、ISBN 9784168130595) 文庫解説 [編集 ]• (福田恆存)『私の英国史』(、2015年、ISBN 9784122060845)• (福田恆存)『芥川龍之介と太宰治』(、2018年、ISBN 4065132991) 論文等 [編集 ]• 論文「福田恆存の「政治と文学」-D・H・ロレンスからの影響」『日本比較文学会東京支部研究報告』4号2007年9月• 1-郊外 その危機と再生 』 ブックス別巻 2013年4月• 時評「道徳は教えられない」『』2013年12月号• 評論「中上健次と私」『すばる』2014年1月号• 評論「柄谷行人試論-〈単独者=文学〉の場所をめぐって」『』2015年2月号• 評論「宿命としての大東亜戦争-小林秀雄はなぜ反省しなかったか」『文藝春秋SPECIAL』2015年季刊春号• 評論「福田恆存の『実存』-『特権的状態』論をめぐって」『総特集・福田恆存 人間・この劇的なるもの』〈文藝別冊〉、2015年5月• 評論「福田恆存とシェイクスピアその紐帯」」『すばる』2016年5月号• 評論「小説の運命」『新潮』2016年5月号•

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浜崎洋介とは

浜崎 洋介

この書に解説は要らない。 さかしらな書評も実は不要だ--この本はいい、私はこの本が好きだ、お奨(すす)めする--それだけ言へば十分だらう。 あへて蛇足を付け加へる。 どの章を読んでも、私の心に迫つて来るのは、浜崎氏の「心根」だといふこと。 読んでゐて清々(すがすが)しい。 己が故郷喪失を語らうと、天皇の孤独を扱はうと、小林秀雄を通して宣長の「情」(こころ・まごころ)に真向(まむ)かふ時でも、あるいは、「春風亭一之輔の方へ」筆を進めようとも、浜崎氏はいつも人間への柔和な眼差(まなざ)しを失はない。 本書の柱の一つでもある安吾を論じた章で、安吾の「いたわり」について語る時も、救ひのないところに救ひを見出(いだ)す安吾の真情を浜崎氏は見つめ、対象たる人間から一時(いつとき)も目を離さない。 そこに、この新人文芸批評家の真骨頂はある。 人間を見る眼差しが優しく、人間をいとほしんでゐる。 無論、甘いといふ言葉とは無縁だ、むしろ落ち着いた冷徹な眼差しとさへ言へる。 「新人」と書いた。 四十に手の届かうといふ気鋭の文芸批評家にあへてこの言葉を使つたが、長寿の今、四十歳は「若い」と思ふ。 三十代半ばからの四年間に書いた様々(さまざま)な対象に対する浜崎氏の柔軟さは言ふまでもないが、その成熟度はどうだ。 政治から文学へ、あるいは文学から政治へと語り尽くし、そして第三部で人間の「幸福について」語る時にも、就中(なかんづく)、「『落ち着き』の在処」について語る氏の語り口には、老成といふ言葉が相応(ふさは)しい。 評者が六十代にして漸(やうや)く辿(たど)り着いたところから浜崎氏は出発してゐることに、羨望すら覚える。

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【浜崎洋介】「悪口」をめぐって――「誹謗」と「批判」とを分けるもの

浜崎 洋介

消費問題に次ぐ、一年半ぶりの別冊クライテリオンの第二弾、丸々「コロナ」だけを論じた『「コロナ」から日常を取り戻す 』が出ます。 これを出すために、実質月刊誌を作るペースで作業をしました。 関係者の皆さんには改めて感謝申し上げます、ありがとうございました。 しかし、その分、中身も充実しているはずです! ただし、別冊は「雑誌」ではなく「一般刊行物」(単行本、ムック本)扱いとなります。 これまで定期購読などで配本、献本差し上げていた方々も、今回に限っては改めて購入していただく必要があります。 大変恐れ入りますが、何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。 以下は、別冊の目次となります。 特集は、もちろん「新型コロナ」! おそらく、ここまで「過剰自粛をぶっ飛ばせ!」と言っているのは本誌くらいだと思いますが(笑)、「ボク大企業なんで、リモート歓迎!」とか、「ボク、したい公務員なんで自粛警察します」とか、「ボク、文化人だからステイホームでも困んないんで」とかいう輩はともかく、日々、市井のなかで人々と交わりながら生きている生活人の皆さんの共感は得られる内容になっているのではないかと思います。 細かいことは言いません、何卒、一読していただければ幸いです! ちなみに、編集後記にもあるように、この度、原稿を集めすぎてしまった関係で(汗)、今、もう一冊『別冊・クライテリオン』(ムック本)も鋭意編集中です。 そちらの方は、『ペスト』座談会や、メルマガや、アフターコロナについての座談の他、これまで本誌に登場していただいた方々から様々な論考なども頂いて(柴山さんの香港論なども載ります!)、より広がりのある本にしたいと思っています。 そちらの方も、是非、ご期待いただければと思います! あと、「塾」に関連して、この度「大学」というものも立ち上げる予定ですので、そちらの方も是非よろしくお願いします。 興味関心のある方、向学心に燃えた方は、以下の藤井編集長からのメッセージを確認していただければと思います。 以下は、最新号の目次となります。 よろしくお願いします。 今回の特集は「『中華未来主義』との対決」です。 今、世界は、この「コロナ禍」でメチャクチャですが、その混乱を「統制と監視」(あるいは、生物的本能によるの実践)で乗り切ろうとしている中国は、今後の世界でますます勢いを増していくことでしょう。 ということは、中国的な「デジタル未来主義」に対する世界の憧憬も、ますます強くなってくるだろうということでもあります。 ただし、彼らには彼らなりの性格(帝国的統治と)があり、私たちには私たちなりの性格(日本的とその伝統)があるはずで、その差異の自覚もなしに、単なる「憧れ」を語ることも、単なる「嫌中」を語ることもナンセンスです。 では、この先、膨張する(実は、日本人とは、その生き方を全く異にする圏)に飲み込まれずに、私たちの「自立(自由)」を担保するためには、どのような「自覚」と「覚悟」が必要なのか……今回の特集は、まさにその辺りのことを生態史観的・文明論的・精神論的な視野で論じつくした特集になっています(ちなみに言えば、「中華未来主義」絡みで、今話題の「加速主義」や「暗黒啓蒙」なんかを批判的に検討してみたいという人も、是非、手に取って頂ければと思っています。 その他、読んでいただきたいお薦め原稿、書評などに言及していたら切りがありませんが、是非、手に取っていただければと思います。 今回は、対談、座談、原稿といろいろやっていますが、拙稿については読者の皆さんからの評価を待つしかないものの、対談、座談は間違いなく充実しているはずです。 是非、一読よろしくお願いいたします! 以下は、編集長からの言葉と、目次になります。 ご参照ください。 【クライテリオン編集長 藤井 聡】 没落する西洋と引き籠もるカ、そして失われた日本とは裏腹に、中国は凄まじい大躍進を遂げた。 今般のコロナにおいても、日米欧における経済被害が日々拡大している一方、いち早く収束を見た中国の「一人勝ち」の様相が濃密になりつつある。 こうして爆発的に成長し続ける中国に対して、停滞する欧米諸国において「憧憬」を億面なく表明する風潮が近年急速に拡大している。 こうした動きは今「中華未来主義」(サイノフューチャリズム)と呼ばれ、を礼賛するや技術至上主義等の思想的潮流の中でさらに加速している。 しかしこの中華未来主義は、人間の生の豊穣性を否定し、伝統、文化、社会を根底から解体させる破壊力を明確に秘めており、したがって我々は決然と「対決」する姿勢が今、強烈に求められている。 本特集は、この中華未来主義とは一体如何なるものなのか、そして、如何に対決していくべきなのかを、徹底的に論じようとするものである。 こうした考察は必ずや、コロナショックへの強靭な対応、ならびにコロナショック後の「世界」の有り様を考える上で決定的に重大な意味を持つ。 私の主張は「から社会を守るはずの行動が、逆に、社会生活そのものを破壊してしまっては元も子もない」という点につきます。 では、今、現在の「コロナ対策」には、どのような視点が足りないのか。 それは、人は人と接することでその「力能」()を維持している動物であるという視点です。 つまり、ヒステリックな「封じ込め」戦略は、経済のみならず、「コロナ」と闘っていく際の私たちの「やる気」そのものを冷やしかねないのだということです(しかも、一律補償なき自粛要請ならなおさらです)。 では、どうすればいいのか。 それを書く紙幅はありませんでしたが、それこそ「バランス感覚」が必要なのでしょう。 まず、自粛を徹底すべき時と処と人と、そうでない時と処と人との明確な区別です。 つまり、感染拡大=を防ぐためのパラメーター(変数)は無数にあるのです(換気、マスク、手洗い、うがい、洗っていない手で顔を触らないなどはもちろんのこと、感染が危惧されるお店の補償付きの自粛、老人及び老人と一緒に住んでいる人の外出規制などなど)。 それを「8割減」などと「一億総玉砕」的に言うこと自体がバカげています。 実際、仄聞するところだと、やなどの北欧諸国はコロナ対策と社会生活を両立しようとして、それなりに上手くやっているらしい。 コロナとの「付き合い」が長引くかもしれないことを考えると(それは、ほとんど確実でしょう)、この「バランス感覚」はますます必要になってきます。 小説『ペスト』の中でが描き出していたのは、その「連帯」によってと闘う人々の姿でしたが、まさに、徹底した自粛によって感染拡大を防げたのだとしても、それによって日本人が〈連帯=生き甲斐〉を失った〈生きる屍=ゾンビ〉と化しては元も子もないのです。 それは、まるで黒字化目標を達成した瞬間、デフォルトしたやアルゼンチンのようなものです。 ついでに、の『ペスト』を引き合いに出して書いた過去のメルマガと、先日、出てきたさんの二つの討論も紹介しておきます。 daily-ekoda.

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