話がある 歌詞。 back number「雨と僕の話」歌詞の意味を解説!深い闇の正体とは?

『彼方のノック』歌詞解釈の話

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back number バックナンバー が 約3年3ヶ月ぶりに NEWアルバム『MAGIC』をリリース。 8曲目に収録されている 新曲「雨と僕の話」について。 歌詞中の『エンドロールはない』って いったいどういう意味なのでしょうか? 深い闇の正体とは。。 今回は「雨と僕の話」の 歌詞の意味を解説していきます。 それでは、さっそく見ていきましょう。 back number「雨と僕の話」歌詞 雨と僕の話 作詞 清水依与吏 作曲 清水依与吏 雨の交差点の奥に もうすぐ君が見えなくなる おまけのような愛しさで 呼び止めても 傘を叩く音で 届かないだろう 終わったのさ ただ 君と僕の話が エンドロールは無い あるのは痛みだけ ついに呆れられるまで 直らないほど馬鹿なのに 君に嫌われた後で 僕は僕を好きでいられるほど 阿呆じゃなかった 今となれば ただ ありきたりなお話 言葉にはできない そう思っていたのに 終わったのさ ただ 君と僕の話が エンドロールは無い あるのは痛みだけ どうして ああ どうしてだろう もとから形を持たないのに ああ 心が ああ 繋がりが 壊れるのは 君が触れたもの 全部が優しく思えた 例外は僕だけ もう君は見えない 今となれば ただ ありきたりなお話 言葉にはできない そう思っていたのに 終わったのさ ただ 君と僕の話が エンドロールは無い あるのは痛みだけ back number「雨と僕の話」歌詞の意味を解説 雨の交差点の奥に もうすぐ君が見えなくなる おまけのような愛しさで 呼び止めても 傘を叩く音で 届かないだろう 冒頭の歌詞を見ると 一目で失恋したんだということが 分かります。 『雨の交差点』とありますね。 雨は悲しみを連想させます。 君と僕はさっきまで 恋人だった事を想像できます。 『傘を叩く音で届かないだろう』 は、僕が君のことを呼び止めても 雨が傘を叩く音が僕の声を邪魔して 君には聞こえないだろう。 ということだと読み取れます。 終わったのさ ただ 君と僕の話が エンドロールは無い あるのは痛みだけ エンドロールは、 映画の鑑賞後などに流れますよね。 映画館で映画を見た人は お分かりかと思うのですが、 エンドロールが流れている時は、 映画の話が終わった後に 余韻に浸れる時間です。 それすらなく、僕たちの関係が 突然プツリと終わったことを 意味しています。 ついに呆れられるまで 直らないほど馬鹿なのに 君に嫌われた後で 僕は僕を好きでいられるほど 阿呆じゃなかった なぜ別れたかの理由は 読み取れませんが、 君に嫌われたとあるので、 彼女側から振られたのでしょう。 僕は何かが原因で君に振られ、 自分自身をも嫌いになった。 という意味と捉えました。 今となれば ただ ありきたりなお話 言葉にはできない そう思っていたのに 終わったのさ ただ 君と僕の話が エンドロールは無い あるのは痛みだけ 今となればとあるので 雨の日の交差点での別れから 少し時間が経ったのかと思われます。 カップルが付き合い、 別れるのなんてよくある話です。 どうして ああ どうしてだろう もとから形を持たないのに ああ 心が ああ 繋がりが 壊れるのは 確かに、 恋する気持ちや愛する気持ちに 形はありません。 けれど、失恋した時の自分の気持ち、 心はズタズタに壊れたように ショックを受けますよね。 そして昨日まで一緒にいた2人が、 別れることによって 『繋がりが壊れる』=引き裂かれ てしまいます。 君が触れたもの 全部が優しく思えた 例外は僕だけ もう君は見えない 君からみた僕は 優しくなく怖い存在だと 悲観的に考えているのでしょうか。 あるいは、 今思い返すと君の周りにいる人、 ある物全てに愛おしさや優しさを 感じていたけれど、 僕は優しくできていなかった。 と、 そういう意味にも捉えることが出来ます。 今となれば ただ ありきたりなお話 言葉にはできない そう思っていたのに 終わったのさ ただ 君と僕の話が エンドロールは無い あるのは痛みだけ 歌詞の最後は このサビの部分が繰り返されて 終わりとなります。 『エンドロールはない』深い闇の正体 タイトルにも触れてみると、 『雨と僕の話』とあるように、 『君』が入っていないんですよね。 君を入れないことによって 君と別れる数秒前までは 君と僕と雨の話だったのに、 この曲の冒頭は君と 別れた直後の情景から 始まっているため、 このタイトルなのでしょう。 『雨と僕の話』というタイトルを 見ただけでは何も感じませんでしたが、 全体を通して解説していくうちに タイトルも含めとても奥深いなぁ という印象を持ちました。 そして私は最初この曲を聴いた時、 全体的にバラードで 短調な悲しい曲調なので The 失恋の曲 というbacknumber らしい曲だと感じました。 僕と君が別れた直後の情景や、 その時の悲しみを連想させる歌詞、 君が振り返りもせずに去っていく光景。 また時間が経っても引きずっている僕 君の優しさを思い出し、 けどもう終わりだと自己暗示をかける。 また 『エンドロールはない』 という表現も、 身近にある物の中で 遠回しで、 理解するのが少し難しい表現を 使っているところが backnumberらしく、 深く考えさせられるものがありました。 -Author by れいな- 関連記事.

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話がある 歌詞 足立佳奈 ※ nvcdn.answerstv.com

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こんにちは、のんのんです。 今回は、2020年度Nコン高校の部課題曲『彼方のノック』の歌詞を解釈してみようと思います。 タイトルにある解釈の「話」というのは、今回の記事では僕の解釈を結論としてただ書くのではなく、どのように歌詞を読んでいるのか、どのような道筋で物事を考えるのか、自らの解釈に至るまでにどのような過程を経ているのかなどを紹介したいという意味合いを持っています。 (あとブログタイトルを全て「〜の話」に統一したいという気持ちもあります)例によってセクションに分けて書いていこうと思いますが、実際の解釈の部分は多分記事を複数に分けると思いますのでご理解ください。 この記事を書こうと思った理由、誰に向けてこの記事を書いたのか 2. 歌詞の解釈の話をするにあたってまず記しておきたいこと 3. 実践 1. この記事を書こうと思った理由、誰に向けてこの記事を書いたのか 以前書いた「表現と詩の話」という記事で、もっと歌詞をちゃんと読もうみたいなことを書き、「Nコン課題曲の話(2020ver. )」で、今回の歌詞は散文(百歩譲って)だからいつもと違うよねみたいなことを書きました。 Nコンの話の続きとして、こういう曲に取り組むときにはどうしようかみたいなことを書きますと言ったんですが、それはまあいずれ書くとして、とりあえず実際に『彼方のノック』の歌詞をガッツリ解釈してみようかなと思いました。 各論にちゃんと取り組んでから総論を語る方がわかりやすいかなと。 また、こういうことをやっておくのは曲がりなりにも文学を取得した者の役目なのかなとも少し思っています。 この記事の対象は、のため練習がなく暇にしている高校合唱部員を想定しています。 アンサンブル練習ができず、不安を感じているでしょうが、僕は曲についていろいろ考えを巡らせるのも大いに効果のある練習だと思っています。 あれこれ考えるだけなら外に出なくてもできますしね。 合唱指導の場面で、「素直に感じたまま歌おう」とかいうアンポンタンがごく稀にいるのですが、ある程度それが正しいことは認めるにしても、それだけで許されるのは小学生までで、中高生にもなったら真剣に歌詞に向き合ってきちんと考え、自らの感受性を知性と結びつけて言葉にし、表現に持っていけるようにすべきです。 高校生はそろそろ自分で自分の音楽性を管理できるようになってくる時期に入ってるはずですので、楽譜の読み方や楽典や和声を理解するのと同時に文学の解釈の仕方も身につけておくと今後の合唱人生は捗ると思ってます。 というわけで暇している高校生はぜひ読んでみてください。 面白くないかもしれませんが。 歌詞の解釈の話をするにあたってまず記しておきたいこと 大きく分けて二つあります。 一つ目は僕の「偏見」についてです。 持論ですが、人間は物事を自分の考えたいようにしか考えることができないと思っています。 文学に関してはある程度自分の読み筋に従ってしか読むことができないと言えます。 そこで、解釈をするにあたって今回僕がどのような偏見を持ってこの歌詞を読んだのかを紹介しておきます。 僕はNコンの曲を演奏するときに幾つかのキーワードを重視します。 Nコンの課題曲は中学生や高校生といった狭い範囲の世代を対象にしているので、曲の内容の方向性はある程度似通っています。 高校の部に関して言えば、「青春時代」(厳密にいうと大人の考える青春時代)を対象に作詞作曲されているわけですから、「青春」を題材にした内容に寄っています。 「青春」について重要なイメージはいくつもあると思うのですが、一般的に題材としては「痛み」「葛藤」「もがき」「勘違い」「気づき」「成長」などのうちいくつかに絞られてきますので、これらが曲の内容に深く関わっていると仮定して僕は曲を解釈します。 今回も基本的にはこれらのイメージに沿って歌詞を解釈していくつもりですので、みなさんもそのつもりでお読みになってください。 もう一つは解釈の手法についてです。 一般的な文学解釈においては作者のや他の作品、時代性の考証やその他諸々のめんどくさいことを調べておくのですが、今回は「演奏のための」歌詞解釈でありますので、重視されるべきは論理的正当性から生まれる説得力だと思っています。 ゆえに、自らのうちに根拠を見出すことを目的にするので、的な方法による解釈はあえて避けたいと思っています。 また、基本的に広義での印象批評をメインにやります。 理由は演奏に応用でき、かつ誰にでもできる範囲での文学解釈を実践として紹介したいからです。 加えて、この歌詞についている音も解釈のために利用したいと思います。 実践 これをお読みになっている方は楽譜を持っていると思いますので、全文をまとめた引用はしません。 楽譜を見ながら読んでいただければと思います。 長い長い、あの廊下のことを考えている 「長い長い」と二回繰り返しているのはおそらくただの強調であり、他には特に意味を持たないと思います。 強いて言えば、楽譜を見てみるとdim. がかかっていますから、主人公はこの長さをマイナスに捉えているのではないかという印象を受けます。 その後の 「、」(読点)について、詩歌に句読点は用いないのが普通とされているため、通常の詩であれば注意して読むのですが、今回の歌詞の形式は特殊であるため、そこまで意識する必要はないかなと思います。 筆者の手癖くらいに考えておいていいのではないでしょうか。 「あの廊下」とありますから、「廊下」は「この廊下」や「その廊下」とは違い、現実の距離が遠い場所、又は非現実(想像の中)に存在していると考えて間違いないでしょう。 また、廊下はなにかしらの抽象的概念を象徴していると考えるのが妥当です。 廊下というと移動に使うための物ですから、ここで予想できるのは「人生」や「道のり」、「目標への過程」などでしょうか。 「考えている」というのはごく当たり前に説明すると、「考える」という行動が現在行われているということを示します。 また、「〜している」と表すことで、この行為の現実性もある程度強めています。 そこから、この詩が主人公の個人的な(個人的に重要な)内容についてものであるということ、主人公にとって「廊下」のことはすぐに答えが出るような単純な問題ではないのではないか、という考えに繋げることもできます。 わたしは一人、突き当たりの扉を目指す 「わたし」がこの歌詞の主人公だそうです(作者談)。 平仮名で記載しているのは次の行の「私」と区別するためでしょう。 これについて詳しくは後述します。 「突き当たりの扉」がこの曲の最大のモチーフになります。 「扉」から連想されるものは様々だと思いますが、こういう風に多くのイメージを象徴しうる物や概念が出てきて迷ってしまう場合は、出来る限りそれについてシンプルに考えたほうがかえって読み筋を立てやすくなると思います。 例えば、「扉」からは「未来への出発点」や「新しい世界への入り口」、「行手を阻む壁」などいくつものイメージの可能性があり、この段階ではどれに絞っていいかわかりにくいと思いますが、ここであえてあまり具体的なものに絞らずに、ごく単純に「出入り口」、「開閉するもの」くらいのシンプルなイメージに留めておくと、ある程度解釈が広がりすぎず、逆に狭めてしまうこともないので良さげです。 もちろんこれだけでは演奏表現にはつながりませんから、読み進めていくうちに広げていく必要はあります。 その扉を主人公は 「目指す」わけですが、Nコンの歌詞を解釈するにあたって、 「一人」という言葉には気をつけたほうがいいです。 この類の曲において、主人公の言う「一人」や「孤独」はおおよそ勘違いであって、実は一人じゃない、ないしはみんなそれを感じているということに主人公が気づいてめでたしめでたしとなるパターンが多いです。 それはそれとして、ここで主人公が言う「一人」とは 1. 扉を目指しているのは「わたし」一人だけ 2. 扉を目指している人は沢山いるけど、それぞれ別個に、一人一人目指している 以上のどちらを意味しているのかこの段階ではわかりませんが、楽譜を見ていると、この「一人」の部分で初めてdivするので、個人的には2の解釈寄りです。 それを主人公が自覚しているのかしていないのかはここでは定かではありませんが、とにかくここからは主人公が感じている孤独と、一人でも何かを成し遂げようとする主人公の意志の強さを読み取ることができますので、ここの10小節から始まるcresc. の意味合いとしては、物語の展開を示すことに加えて、主人公の決意の表れととっても妥当であるような気がします。 私は私の命を使って 僕は僕の体をなげうって 懸命に駆けて、駆けて、駆けて、手を伸ばす Nコンの歌詞では登場人物の性別を決めてしまうことは基本的にありません。 「私」「僕」と表現することで、誰もが扉を目指しているのだということを示しています。 加えて、 「私は私の」「僕は僕の」としていますから、やはり上記の2の解釈の方が筋が通っているように思います。 「命」と 「体」は我々人間にとって最も重要なものであると考えられます。 「わたし」(というか「わたし」たち)は、これらを消費して( 「使って」)、または危険に晒して( 「なげうって」)まで扉を目指しているということなので、その行為が本人にとってたいへん重要なことであるというのが読み取れます。 「懸命に」「駆けて」「手を伸ばす」とあるように、主人公はどうやら急いでいるようですが、そもそもなぜ主人公はこんなに必死に、それも急いで扉を目指しているのでしょうか。 ここに今回のテーマがあると僕は思っています。 つまり、 ・「突き当たりの扉」は何を表しているのか ・主人公が扉を目指している動機 この二つの謎に答えを出そうとする試みが、今回の課題曲の表現にとって最も重要な取り組みになると思います。 演奏する団体によってこの部分の解釈は分かれると思いますが、その違いが実際の演奏に大きく現れることはないでしょう。 というのも、文字だけで考えるのとは違って、実際の演奏の表現はある程度音に規定されますし、扉が何を表そうが主人公の動機がなんだろうが、表現の全体的な方向性自体は今回の曲ではそんなに違ってこないからです。 しかし、曲に取り組むにあたって、歌詞自体の主題を明確にしておくことは練習や演奏の助けに必ずなりますので、この二つのテーマについては考え続けることをお勧めします。 21小節のdim. はrubato的にrit. するのがフレージングでは普通なのですが、曲の解釈的にはin tempoの方がふさわしいと思ってます。 ritするにしても、少なくとも21頭の「ば」には推進力を持たせた方がいいと思います。 何度も何度も どれだけ引いても押しても けれど扉は閉ざされたまま ここでは主人公が一心不乱に扉を開けようと試みている様が描かれています。 歌の方ではパートが入り混じっていますが、それぞれの(扉を開けようとしている一人一人の)試行錯誤の様を表しているのでしょうか。 なぜ 「閉ざされたまま」なのかはこの連の後半に示されていると思います。 光の射さない窓 道のり わたしを傷つけたすべての人 「光の射さない窓」「道のり」は単純に見ると情景描写なのかなと思うかもしれませんが、それにしては簡素すぎる気がします。 僕はこの三つ合わせて、「わたしが扉を開けられない理由」だと考えます。 注目すべきはここで書き連ねられている扉が開かない理由は、すべて外的なものではなく、主人公自身の内面にあるということです。 ということは、主人公に何かしらの変化が起こらない限りこの扉は開かない、言い換えると、主人公の内面の変化がこの歌詞の世界の変化につながり、曲調などの変化にもつながっているということになります。 これは文学において「小説(Roman)」の作法に分類されます。 ちょっとわかりにくいかもしれませんが、いろいろなことを端折って説明しますと、「主人公の変化の後に周りの世界の変化が起こる」のが小説と捉えていただいて構いません。 ここから先、何かしらの現象の理由は主人公の内部(考えや気持ち)にあるのではないかと仮定して読み進んでいきます。 また、この部分は歌詞につけられている音にも注目したいです。 先程、僕は「光の射さない窓〜」が扉の開けられない理由であると書きましたが、32小節ではこの部分でcresc. しています。 ここから、主人公は自身の恐怖や不安によって扉が開かないことを自覚しており、それを乗り越えようとしているのではないかと想像することができます。 作曲者の土田氏が高校生へ送ったメッセージであると考えることもできるかもしれません。 このcresc. の音色は様々な表現がありそうです。 さて、疲れてきたので今回はここら辺にします。 まだ2連目までしか終わっていないのに長く時間をかけすぎた感がありますが、文学作品を読み取る時は序盤に一番長く時間をかけるのがいいと僕は思っています。 GW中には残り全部もまとめてやっちゃいたいと思いますので、ここまで読んでくださった稀有な方は少々お待ちください。 それでは、今回はこの辺で 読んで面白いなと思った方は拡散してくださるとありがたいです。 全国のコロナで暇な合唱部の高校生にこのくだらない無駄話が届くことを願っています。 引用: 課題曲紹介 nonnonchorus.

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足立佳奈 の新曲 話がある 歌詞

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怖い意味が隠されていそうな歌詞の童謡 なんか一度通ると、二度とは帰ってこられない門(あるいは関所?)を思わせる内容の歌詞です。 意味としては、七五三の神社のお参り(七つのお祝いだから女の子か?)して札を納めにいくときのことのようなのですが、なぜ、帰りは怖いのか、ということになります。 口減らしのために、子供を殺してしまうことを歌った歌だという説も。。。 色々と謎の多い歌詞ですが、「鶴と亀と滑った」は流産を連想させますし、「後ろの正面だあれ?」は幽霊や妖怪的なものを感じさせます。 また、罪人が首を切られ、その首が後ろの正面を向いたという説も。。。 「かごめかごめ」の遊びは、大勢で一人を取り囲んでぐるぐる回りますが、これは、どこかに閉じ込められている人のことを連想させ、遊女のことを歌った歌という説もあります。 小学校の先生の解説 では、お姉さんはお嫁に行ったのではなく、人身売買でどこかに売られていってしまったということでした。 しかし実際は、赤とんぼの歌は、作詞者の三木露風の個人的な体験に基づいているようで、家を出て行ってしまった母親と、昔、桑の実をつみに行ったことや、母親の代わりにめんどうを見ていてくれた姐(おそらく実の姉ではない)が、十五で嫁にいってしまったことなどが歌われています。 なお、「赤とんぼ=ゼロ戦」説もあります。 人身売買の歌という話もありますが、単に、遊びで友達を交換する遊び歌という気がします。 「勝って」や「負けて」の歌詞が、「買って」や「値引き」の意味にとれなくはありません。 「花いちもんめ」は、一匁の重さ分の紅の花という意味で、それなりに高価になるそうです。 歌詞を7文字づつに区切って一番右を縦に読むと 「とが無くて死す」と読めることから、無実の罪で死刑になった人が暗号の意味でよんだ歌であるという 都市伝説があります。 幼女の手毬が大名行列に飛び込んでしまい、手打ちにあってしまったのでしょうか??不思議な歌詞から妄想が膨らむということではダントツの曲です。 メダカ=水子という説や川に沈められた人柱の歌などの説がありますが。。。 北原白秋の作詞ですが、「金魚」「曼珠沙華」など、けっこう怖い内容の歌詞も書いています。 少し変わった人だったのかもしれません。 この曲では、「ずぶぬれで、柳のねかたで泣いている」という内容の歌詞が人々の想像をかきたてるようです。 なぜ花嫁が一人で雨の中、傘をさしてお嫁にいくのかの意味がよくわかりません。 一説によると、花嫁は死んでしまった娘のことで天国に一人で旅だつ様子を描いているというものがあります。 東北の娘が人身売買されることを歌った歌だという説もあります。 作詞者にその意図はなかったと思いますが、空が真っ赤になるという歌詞は、戦争や災害を連想させるようです。 怖い歌詞ということではありませんが、歌詞の内容が差別にあたるのでは、という問題があるそうです。 残酷な歌詞の童謡 後半の歌詞で「おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、ぶんどりものをえんやらや」というのがでてきます。 正義の味方というより、単なる泥棒なのでは。。。。 歌詞の最後が、「驚きまどう鬼どもを、ひとり残さず斬りころし、酒顛童子の首をとり、めでたく都に帰りけり」となっています。 何か歴史上の残酷な出来事にもとづいた話っぽい匂いがします。 歌詞は、てるてる坊主に、明日が天気になるようにお願いする内容ですが、もし天気にならなければ首を切ってしまうぞ、という童謡らしからぬ部分も。。。 「はさみでちょんぎるぞ」というのが歌詞の中に入ってます。 「それをりょうしが、てっぽうでうってさ、にてさ、やいてさ、たべてさ」というタヌキにとっては残酷な内容の歌詞です。 針を千本も飲んだら、死んでしまいます。。。 猫を袋に押し込んで蹴りまわすなど、動物虐待ではないでしょうか? 残酷というほどではないですが、少し可哀そうかも。。。 むちを振り回すなど、学校の先生が厳しすぎます。。。 歌を忘れてしまったカナリヤを、捨てたり、埋めたり、むちでぶったりと、けっこう残酷な歌詞です。 作詞者の西條八十は、家が破産してしまったために大学での研究や詩人になることをあきらめてしまったことと、歌を忘れたカナリヤとを関連付けていたようです。 難解な方言のため、歌詞の内容を全部理解できませんでしたが、タイトル自体が既に怖いです。 泣きやまなければ耳をきってしまうぞ、と子供を脅かす歌らしいのですが。。。 もともとの童話がそういう話ですが、恩を仇で返す的な話です。 何も悪いことをしていなくても、楽な生活をしているだけでバチが当たるという教訓なのでしょうか? あわて床屋 蟹の床屋が誤って兎の耳を切り落としてしまうという歌詞です。 最後のほうに熊をハメる落とし穴をつくるという内容の歌詞がでてきます。 けっきょく熊は穴をのぞいただけで逃げていくのですが。。。 悲しい逸話がある童謡 女の子が異人さんにつれられて行ってしまう話ですが、作詞者が見聞きした実話をベースにしているという説があります。 事情があって、アメリカ人の宣教師にもらわれた「きみ」という女の子が歌のモデルのようです。 さらわれたわけではないのですが、最終的には、この宣教師とも離れ離れになってしまったようです。 作詞者が幼くして死んでしまった子供のことを思って作ったという説があります。 作詞者の野口雨情の演奏旅行中に2歳で亡くなった次女のことを歌っているという説が有力です。 (流産説もありますが、作詞者の野口雨情は男性です。 ) 余談ですが、「しゃぼん玉」と「赤とんぼ」の出だしのメロディは、そっくりです。 逸話というより都市伝説ですが、さっちゃんは死んでしまった女の子の歌という話があります。 詳しくは左のリンク先のページでご覧ください。 作詞者が死んでしまった子供のことを思って作ったという説があります。 カラスは通常は不吉な鳥ですが、この歌ではそのイメージはありません。 7つの子が7歳の子なのか、7羽の子なのかについては、「たくさん」という意味で使っていたことをうかがわせる文章が残っているようです。 また、カラスは炭坑労働者を意味しているという説もあります。 作詞は海野厚という人ですが、柱のきずが去年のものではなく、おととしのものであることが問題です。 病弱だった作詞者は、5月5日に静岡の実家に帰れない年があり、それで弟の成長をはかる柱のきずが1年分、抜けてしまったということです。 作詞者は結局、若くしてお亡くなりになってしまったそうです。 作詞者のサトウ・ハチローが離婚したあと、引き取った二人の女の子を思って書いた歌詞という話があります。 「うれしいひなまつり」と言っているわりに、曲調も暗いです。。。 なぜかメキシコでは別の歌詞がつけられ、「悲しきみなしご」というタイトルで知られているようです。 からたちの花 作曲者の山田耕筰の活版工場でのつらい思い出を北原白秋が詩にしたものです。 不思議な歌詞の童謡・歌詞に謎がある童謡 無限ループに陥ってしまうという、ある意味、怖い歌詞かもしれません。 2名が会話する感じで歌詞が進んでいきますが、会話の主が不明です。 会話は人間の母親と子供の間なのか、象の母子の間なのか。 また、歌詞に関して、鼻が長いという身体的な特徴を否定的なものとしてとらえ、さらにそれが遺伝によるものであるということから、それを母親が子供に受け入れるように促しているという解釈があります。 かなりこじつけているようにも思えますが。。。。 と同じく、歌詞が母子の会話のようになっています。 「七つの子」が七羽なのか、七歳なのか、意見が分かれるところです。 真偽は分かりませんが、子供の死亡率が高かった頃に、7歳まで無事に生きてこられた、という意味がこめられているという説があります。

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