マッチ する つか の ま 海 に 霧 ふかし。 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司短歌代表作品

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司短歌代表作品

マッチ する つか の ま 海 に 霧 ふかし

寺山修司の短歌に昔、はまっていた頃がありました。 思春期から青年期に移行する頃だったと思います。 「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」 これは寺山作品の中でも大好きな短歌でした。 現代語での解釈はNo. 1さんのおっしゃっている通りだと思います。 ただ、言葉どおりの意味でとろうとすれば、 解釈は確かに難しいものなのかもしれません。 「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし」 作者の寺山修司には、 くわえ煙草で少しはにかんだような写真がよくあります。 きっと霧のかかる海を眺めながら、一服をしようとしたのでしょう。 孤独と不安を感じ、自分が何者かを確かめたい欲求は、 青年期には誰もが、ふとどこかで立ち止まった時、 少なからず体験しているのではないでしょうか。 そこで突然湧き上がった思いが 「身捨つるほどの 祖国はありや」 という表現になったのだと思います。 身を捨てるほどの情熱を傾けるものよ、現れてくれ・・! という彼の心の叫びだと、若い私は思っていました。 今でも、ボランティアを志願する多くの若者の尊い気持ちは、 これに近いのかもしれません。 ずっと私は、この時寺山は煙草を吸いながら涙を流していたのだ、 という情景を思い浮かべていましたが、10年ほど経った今は、 彼は静かに、ただ海を見つめていたのかもしれない、と思います。 寺山がどう思って作ったのかということより、 この珠玉の言葉が私の中で、私と共に変わっていくことを感じます。 彼の言葉がオーケストラとすれば、私はただの客ですから、 これでいいと思っています・・答えにならないですね(笑) 仕事に忙殺され、豊かな心をきっとすり減らしている今の私は、 思いがけずこの歌に出会えたことが何よりうれしく、 もうすぐ今夜も徹夜になりそうな、嫌な気分が晴れてきました。 ヘンかもしれませんが、お礼を言いたい気持ちです。 ありがとうございました。 ご回答ありがとうございます。 私も昨晩はほぼ徹夜仕事でした。 体を大事に頑張りましょう。 私は今自分の仕事で壁にぶち当たっているのですが、気が付くとなにとはなしに、この詩を何度も反芻していることがあります。 自分の中でどういう意味があるのかも分かりませんが、何か妙に気になると同時に不思議な平静をもたらします。 私は、自分を縛り付けるものなど無いんだから、とにかく進んでいこう、という意味だと思っています。 ある意味では決意、また一方で諦観に似た感情を感じています。 人によって、また精神状態によっても受け取り方が違うのがこの詩なのかもしれませんね。 珠玉の言葉、わたしもそうだと思います。 無から紡ぎ出された文学の偉大ささえ感じます。 ありがとうございました。 「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」 こういう短歌でした。 寺山修司さんは詩人で劇作家でもあって、短歌も若い感性でみずみずしさがあふれていて、それでいて愉鬱桜佐を表現する徳治の世界をもっていた人です。 1960年代のカリスマと言いいいのでは。 でも若くしてなくなられたので、これからさらなる活躍が期待されていたのに残念です。 ではこの短歌を素直に解釈してみると・・・ <マッチを擦ったその瞬間、海には深い霧が立ちこめていたことに気づく。 命を投げ出すほどの祖国というものが自分にはなるのだろうか。 > こう書いてみると前半部と後半部とのつながりがあまりないように思えてくる。 作者はあらためてこの国に目を向けてみると、自分はこの国に命を捧げるかどうかと聞かれたらないと答えるかな?自分にはそういう祖国がない気がするという感じかと思っていた。 調べてみて意外なことがわかってきました。 「寺山修司は青森の国民学校の3年生のとき、天皇のポツダム宣言受諾のラジオ放送を聞いた。 そのときのことを、「つかまえたばかりの唖蝉を、汗ばんだ手にぎゅっとにぎりしめていたが、苦しそうにあえぐ蝉の息づかいが、私の心臓にまでずきずきと、ひびいてきた」(『作家の自伝』/A新聞)とあり、 「「身捨つるほどの祖国はありや」と謳った彼は、終戦がなければ、いつかは自分も戦場に出向かなければならない、その意味はあるのだろうか、と自分に問いかけていたのだろう。 」 次のホームページの中にありました。 子ども頃に終戦を迎えた作者の戦争に対する考え方が述べられていると考えられますね。 ここで次のような話が出てきました。 寺山さんはこの短歌を盗作したと考えられているのです。 確かに本歌を利用した短歌が多いようです。 「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」 修司 「一本のマッチをすれば海は霧」 富沢赤黄男 もとは俳句だったのですね。 それに「身捨つるほどの祖国はありや」をくっつけてきたと言うことになります。 無理矢理つけたと言うことでしょうか。 彼は戦後日本がアメリカに流されていく姿を見て安保闘争に参加こそしなかったが、日本の現状に疑問を感じ、あるべき姿はどうなのかを自問自答していたのであろう。 そして「この国命をかける価値があるのか、いやないといえよう」と感じ詠んだのであろうという見方もできるということがわかりました。 「霧」は日本の将来への不安をあらわしていたのでしょうか。 ともかくも、夕暮れ時の海を前にマッチをする。 霧に包まれている。 と言うシーンは目に浮かぶ。 美しいもはかないたんかと言えよう。 解釈するのは難しいですね。 参考URL: Q 宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」 あめゆじゅとは霙 みぞれ のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。 「これらふたつのかけた陶椀に」 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。 とし子が2椀欲しがったのか。 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。 「ふたきれのみかげせきざいに」 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか? ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二」を使っているのか? 4. 「わたくしはそのうへにあぶなくたち」 御影石材が踏み石や飛び石のことならば、あぶなくはないので、これは別のものと考えるべきなのか。 水のたまるような形状をした庭石のことでしょうか? 4. 「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」 これは霙じゃなく雪ですよね。 松の枝に霙はたまりませんから。 みぞれがたまっているのは「みかげせきざい」の上。 みぞれは、「雪がとけかけて雨まじりに降るもの。 」広辞苑 半分溶けた雪のことを「あめゆじゅ」というのか? それとも、とし子はみぞれを所望したが、賢治は気を利かせて雪をとってきたのか。 あるいは、雪ではなく、松の枝から滴り落ちる水を陶椀で受けたのか? 「たべもの」「アイスクリーム」という表現があるので雪と思いますが。 「(Ora Orade Shitori egumo)」 「おら、おらで、一人、逝くも」と解釈しますが、どうしてローマ字表記なのか? 「おらおらでしとりえぐも」では通じないと考えたのか、現代的感覚を読者に訴えたかったのか。 けふのうちに とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ (あめゆじゅとてちてけんじゃ) うすあかくいっさう陰惨な雲から みぞれはびちょびちょふってくる (あめゆじゅとてちてけんじゃ) 青い蓴菜のもやうのついた これらふたつのかけた陶椀に おまへがたべるあめゆきをとらうとして わたくしはまがったてっぽうだまのやうに このくらいみぞれのなかに飛びだした (あめゆじゅとてちてけんじゃ) 蒼鉛いろの暗い雲から みぞれはびちょびちょ沈んでくる ああとし子 死ぬといふいまごろになって わたくしをいっしゃうあかるくするために こんなさっぱりした雪のひとわんを おまへはわたくしにたのんだのだ ありがたうわたくしのけなげないもうとよ わたくしもまっすぐにすすんでいくから (あめゆじゅとてちてけんじゃ) はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから おまへはわたくしにたのんだのだ 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの そらからおちた雪のさいごのひとわんを…… …ふたきれのみかげせきざいに みぞれはさびしくたまってゐる わたくしはそのうへにあぶなくたち 雪と水とのまっしろな二相系をたもち すきとほるつめたい雫にみちた このつややかな松のえだから わたくしのやさしいいもうとの さいごのたべものをもらっていかう わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも もうけふおまへはわかれてしまふ (Ora Orade Shitori egumo) ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ あああのとざされた病室の くらいびゃうぶやかやのなかに やさしくあをじろく燃えてゐる わたくしのけなげないもうとよ この雪はどこをえらばうにも あんまりどこもまっしろなのだ あんなおそろしいみだれたそらから このうつくしい雪がきたのだ (うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる おまへがたべるこのふたわんのゆきに わたくしはいまこころからいのる どうかこれが天上のアイスクリームになって おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ 宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」 あめゆじゅとは霙 みぞれ のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。 「これらふたつのかけた陶椀に」 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。 とし子が2椀欲しがったのか。 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。 「ふたきれのみかげせきざいに」 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか? ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二... A ベストアンサー 1. 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった ちょっと甘えた言い方らしいですね。 「これらふたつのかけた陶椀に」 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。 その昔の事を再現してくれという願いにも読み取れます。 「ふたきれのみかげせきざいに」 「2」が繰り返されるのは私と妹の「二人」を暗喩する数字でしょう。 「2」から「1」になるという事を際立たせています。 「わたくしはそのうへにあぶなくたち」 濡れた御影石の表面は滑りやすいので、アブナク、です。 「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」 「あめゆじゅ」は雨と雪。 賢治が採ったのは松の枝に積もったみぞれ交じりの雪。 「(Ora Orade Shitori egumo)」 草稿では平仮名だったそうですね。 妹の今際の言葉として、文字の意味ではなく「音として記録」した、という解釈ができるでしょう。 ~~~ 言葉の美しさを愛した詩人で、「永久の未完成これ完成である」なんて言葉が残されてますが、完成した作品に何度も手を入れていたような方です。 改稿も本人にとっては「そうしたほうが好ましい文章になった」というだけのことで、作品は彼のフィーリングがその一時結晶化した結果に過ぎない。 作品を売って金にしたわけでもなし、彼の念を文書に表せればそれで十分、「解釈」なぞは後の人が勝手にすればいいというのが彼のスタンスではなかったでしょうか。 彼の作品は各人が思い思いに韻を楽しみ、言葉に酔えばいいのでしょう。 lib. hokudai. pdf 1. 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった ちょっと甘えた言い方らしいですね。 「これらふたつのかけた陶椀に」 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。 その昔の事を再現してくれという... Q 下の二つの短歌の解釈を自己流でしてみたのですが、間違いないでしょうか。 ある方に聞かれたのですが、こういう解釈で良いと思われますか? あるいは、他の解釈が浮かばれた方がいらっしゃいましたら是非教えて下さい。 1、『マッチ擦る つかのま 海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや』 ーーーーーーーーーー 寺山が、好きだったトレンチコートの襟を立てて埠頭に佇んでいる。 彼方には、大きな船が太い鎖の先に連なる赤錆色の錨を海底深く降ろし停泊している。 霧が深い夜で、遠くで霧笛が聞こえる。 煙草を吸おうとしてマッチに火をつけると、朱赤の煌きに自分を含めた周囲の大気だけがぼんやりと浮かび上がった。 そのさらに外側は濃い霧に包まれたままだ。 その霧に包まれながら一瞬浮かびあがった自らのシルエットに、 「俺は俺自身以外の何者でもない」という、「俺というものの本質」を唐突に意識した。 「社会的人間って何だ?」 「第一、国家って何だ?」 「こんな国、捨ててやる!」などと思うことすら愚かしい、個人を束縛しようとする単なる機構にすぎないではないか。 ーーーーーーーーーー といったような感慨が沸き起こった末の作品であるように感じます。 2、『海を知らぬ 少女の前に 麦藁帽の われは両手を ひろげていたり』 ーーーーーーーーーー 寺山、子供の頃の回想でしょうか。 もしかすると初恋の思い出かも。 夏休みのある一日、理由ははっきりと覚えていないが偶然その少女と二人きりになった。 少女は海を見たことがなかった。 寺山は何度か見たことがある。 少女:「海ってどんなものなの? 」 寺山少年:「すっげくおっきいんだ。 」 少女:「すっげく、って・・・、どのぐらい? 」 寺山少年:「・・・。 こ~んなぐらい。 」 と言って、幼い彼は精一杯手を広げた。 ーーーーーーーーーー 下の二つの短歌の解釈を自己流でしてみたのですが、間違いないでしょうか。 ある方に聞かれたのですが、こういう解釈で良いと思われますか? あるいは、他の解釈が浮かばれた方がいらっしゃいましたら是非教えて下さい。 1、『マッチ擦る つかのま 海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや』 ーーーーーーーーーー 寺山が、好きだったトレンチコートの襟を立てて埠頭に佇んでいる。 彼方には、大きな船が太い鎖の先に連なる赤錆色の錨を海底深く降ろし停泊している。 霧が深い夜で、遠くで霧笛... Q 寺山修司の短歌が爆笑問題の番組で紹介されていました。 相当なもののようですが、学がなく古い言葉を知らない自分にとっては考えても考えても妥当な意味を見い出せません。 言葉が古くてわからんのです。 短歌集のような本があるようなので読んでみたいのですが、おそらくほとんど意味がわからずに終わると思います。 でもそのままじゃぁつまらんなぁと思い始めていて今日日。 yahoo. わからん・・・。 単に死んだ母の髪をとかしてると抜けまくって切ない気持ちだ、という意味じゃぁないですよね?? 浅はかだしなぁ・・・。 さっぱりです。 以上、宜しくお願い致します。 寺山修司の短歌が爆笑問題の番組で紹介されていました。 相当なもののようですが、学がなく古い言葉を知らない自分にとっては考えても考えても妥当な意味を見い出せません。 言葉が古くてわからんのです。 短歌集のような本があるようなので読んでみたいのですが、おそらくほとんど意味がわからずに終わると思います。 でもそのままじゃぁつまらんなぁと思い始めていて今日日。 yahoo. A ベストアンサー 「新しき仏壇」の歌 補足で… 説明不足ですいません。 仏壇を買いにいった弟は水子だと解釈してます。 この世に生を受けなかった子供が仏壇を買いに行っても余り違和感はないと思って、断りなく書きましたが、あれは水子なんじゃないかと思ってます。 この歌を間引きとしたのは寺山の下の歌からの連想です。 問引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子 おとうとの年齢については、余り関係はないんじゃないのかと解釈してます。 元々、この世に生を得てないのですから… 余談ですが、地方で地獄沢とか地蔵河原とかいう地名のところは、昔、間引きした子供を流した川の名残だそうです。 水子地蔵がズラッと並んで、赤い風車の群れがカラカラまわるような、なんとも土俗的な光景を寺山の「おとうと」の歌からイメージしまっす。

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寺山修司さんの

マッチ する つか の ま 海 に 霧 ふかし

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 《歌意》マッチに火を点けると、火に照らされて海に霧が深く立ち込めている情景が浮かび上がる。 私が命を捧げて守るに値するほどの祖国はあるのか。 《解説》 場所は波止場、時間は夜に近い夕暮れだろうか。 暗がりの中、ロングコートを着た男が独り海を見つめ、タバコに火を点すという場面が目に浮かぶ。 乳白色の霧の中にて、マッチの炎の周囲だけが赤く照らされる。 やや日活の無国籍アクション映画のような場面を想像してしまうのは、コートを着たの写真が記憶にあるためかもしれない。 寺山のこの歌は、1957年1月に出版された作品集『われに五月を』の「祖国喪失」と題された一連に収録され、さらに翌年出版された歌集『空には本』にも収録された。 が「身捨つるほどの祖国」と詠う背景には、太平洋戦争において、のため、のためと信じて、戦い死んでいった上の世代の姿がある。 寺山の父は、太平洋戦争の末期にのセレベス島で死んだ。 この作品が発表された当時の日本は敗戦から立ち直り、復興に向けて走りはじめていた。 そうした戦後の復興の中にあって、人々は国家の軛から解放されて自由をしているはずだった。 一方で、高度経済成長期に突入した明るさのなかで、信じるべき理念を失った不安や虚しさが、人々の内側からじわじわと精神を蝕みはじめていた。 一部の敏感な精神の持ち主は、多くの人が希望に満ちた未来像を語るのを横目で見ながら、足元から忍び寄る虚無の影を確かに見ていたに違いない。 霧に閉ざされた海のイメージは、当時の社会に広がり始めた不安や虚しさを象徴している。 また、「身捨つるほどの祖国はありや」という切迫した問いかけに、国家ばかりか、命をかけて信じるほどのものは、自分には何も無い、という宙吊り状態の不安定な気分を聞き取ることができる。 kenshiro55.

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寺山修司 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 『寺山修司歌集』

マッチ する つか の ま 海 に 霧 ふかし

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 読み:まっちする つかのまうみに きりふかし みすつるほどの そこくはありや 作者と出典 寺山修司 『空には本』 初出は、1957年の作品集『われに五月を』 現代語訳: マッチを擦ったほんの少しの間の明かりで、海には深い霧が立ちこめている。 私が命を捨てるほどの祖国はあるのだろうか。 否、ない。 語の意味と文法解説: ・マッチ擦る…「を」の目的格の助詞が省略 ・つかのま…「束の間」の平仮名の表記 ・ふかし…「深い」の文語 基本形は「深し」の形容詞 ・身捨つる…「身を」の「を」が省略 「捨つる」は「捨てる」のウ音便。 ・ありや…「や」は反語 「あるだろうか…ないだろう」に帰結 ウ音便とは? 発音の便宜によって語中・語末で起こった連音変化のこと。 表現技法と句切れ: ・3句切れ 「深し」は基本形。 ・「や」は 反語で、疑問を示しながら否定する表現。 ・意味は「あるだろうか…いや、ない」 解説と鑑賞 暗い海辺で、マッチを擦ったその明かりに海に霧が深く立ち込めていることが一瞬見える。 その情景が幾重も定まらない作者の心と重なり、心の深くにある「祖国」への疑念をあぶりだす。 「ありや」の「や」というのは、疑問の助詞としても使われるが、ここでは「反語」の働き、すなわち「あるだろうか…ない」と帰結するもので、祖国への諦観や絶望が表現されている。 祖国というアイデンティティを示す言葉を用いて、それを意識しながら、その疑念を呈することで、作者の孤独とある種のニヒリズムを、灯りに見える波止場の風景のように、読み手の心に浮かび上がらせる。 この短歌は時代の空気と相まって、寺山の名を世に広めるものとなった。 戦死した寺山修司の父 寺山修司の父は戦死しており、亡くなった父を詠んだ短歌は他にもあるが、多くの他の若者と同じようにではなく、自分と祖国の関係だけではなく、寺山の場合は「父の死の意味」をも含む問いでもあり、一層重いものともなっているとも読める。 ただ、個人的な感想を言えば、これはやはり、寺山一流のポーズではあるのだろう。 寺山修司は、ネフローゼという病気が重かったために、病後は、酒は飲まなかったし、煙草ももちろん吸わなかったが、グラビアの中には、寺山がタバコを吸っているポーズで写っているものもある。 政治と短歌 当時は、政治運動というのが話題の主流であり、寺山はそれを巧妙に短歌の中に取り入れたものが他にも見られる。 アカハタ売るわれを夏蝶(ちょう)越えゆけり母は故郷の田を打ちていむ しかし、寺山の母は故郷青森に住んでいたのではないし、それと同様に、寺山がアカハタを売っていたという人はいない。 寺山修司の盗作問題と短歌の虚構性 この短歌が 冨澤赤黄男 トミザワカサオ の 「一本のマッチを擦れば湖は霧」 を下敷きにしていることもまた、有名な話であるのだが、当時の歌壇はそれを容認はしなかった。 また、寺山修司の短歌には、実際はいない弟(寺山は一人っ子)が登場したり、生きている母が既に亡くなったものとして描かれるものがあり、実際にはいない兄の戦没を詠んだ平井弘と並んで短歌に虚構を持ち込むかどうかの論議となった。 このような虚構性は、寺山の短歌に特徴的なものであるといえる。 塚本邦雄は、寺山の手法を肯定しており、この寺山の「山川呉服店」など、実在しない店を「詠み」、読者もそれを承知で鑑賞している。 だからといって、塚本を排斥をする人はいないし、寺山修司を愛好することをやめる人もいないだろう。

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