君 は 最後 の 晩餐 を 知っ て いるか。 文芸ジャンキー・パラダイス

中学二年生の国語、「君は「最後の晩餐」を知っているか」についての質...

君 は 最後 の 晩餐 を 知っ て いるか

高校入試で出題される文章は、大きく「説明的文章」と「文学的文章」に分かれています。 「説明的文章」にはこの「君は『最後の晩餐』を知っているか」のような「評論文」の他に、一年生の「ダイコンは大きな根?」や二年生の「生物が記録する科学」のような「説明文」、これから学習する二年生の「科学はあなたの中にある」や、三年生の「『批評』のことばをためる」のような「論説文」があります。 (教科書の目次に載っていますから、見てみましょう。 ) 評論文とは、説明文と論説文の中間にある説明的文章です。 何か現実にあるものを批評し、それに対する自分の考えを説明する文章なのです。 「何かの事柄」とは現実にあるものとは限りません。 実際に起こった事件や事故など以外に他人の考えを評論することもあります。 逆に言うと、何かがなければ「評論」はできないため、「評論家」という言葉が、時として責任感がない傍観者で文句ばかり言う人の比喩で使われるような気がします。 構図とは、表現の要素を組み合わせて 効果を出す手段で、または画面の中の要素の配置のことを言います。 『けいおん』のイラストでは、登場人物やその動作・持ち物などの要素の組み合わせや配置を工夫することを通して、『けいおん』という物語を表現していますね。 テキスト第8段落の「この絵の人物の構図」とは、この絵に登場している13人の一人一人の表情や仕草、そして彼らの全員の配置を通して、聖書の「最後の晩餐」というドラマを表現しているのだ、と筆者は言いたいのです。 今、構図は効果を出す手段だと説明しました。 では構図の目的は何なのでしょう。 構図の効果は、配置等によって、見る人の視線をイメージ全体に行き渡るよう誘導し、絵を興味深いものにします。 ですから、絵で表現したいことと見る人の目の動きが一致するように構図を工夫することが大切なのです。 つまり構図は「作者は何が言いたいか」をはっきり見る人に伝えることが目的なのです。 この文章の一つのポイントは、「最後の晩餐」でダヴィンチは何を表現したかったのか、を解き明かそうとしています。 そしてダヴィンチが表現したかったものを効果的に表現するための手法が、この構図であり、それを生かす手段が「解剖学」「遠近法」「明暗法」なのです。 第19段落に「だから、いきなり『かっこいい。 』と思えるのだ。 」とあります。 これは、第4段落の「なぜか『かっこいい。 』と思った。 」に対応する部分です。 「かっこいい」と思った理由が第5段落以降の本論であり、この第19段落が結論部分といえるでしょう。 単純に考えると「だから」の直前「つまり、レオナルドが絵画の科学を駆使して表現したものが、とてもよく見えてくる」から「かっこいい」と思えると筆者は言っています。 ここでいう「絵画の科学」とは第3段落で言う「解剖学」「遠近法」「明暗法」などですが、これを駆使して描いたから「かっこいい」と思ったのではありません。 「絵画の科学を駆使して表現したものが、 とてもよく見えてくる」から「かっこいい」と思ったのです。 では「絵画の科学を駆使して表現したもの」とは何でしょう。 この文に「つまり」とありますから、この文は直前部分「絵の構図がもっている画家の意図」を言い換えたものです。 ですから、第19段落の最後の部分をまとめると、次のようになります。 絵画の科学を駆使して表現しようとした、絵の構図が持っている画家の意図がとてもよく見えてくるので「かっこいい。 」と思える。 更に、第19段落を要約すると、次のようになります。 細部が落ちて消えてなくなっているため、絵の構図(絵の全体)がよく見えるようになり、絵画の科学を駆使して表現しようとした画家の意図がはっきりわかるようになったので「かっこいい」と思える。 ということになります。 では「画家の意図」とは何でしょう。 「絵の構図がもっている」ものとは「そこ(『最後の晩餐』)に描かれた人物たちの物語を、ドラマティックに演出」(第13段落)することです。 キリストと12使徒の最後の晩餐の場面を生き生きと表現することだけでなく、それがまるで観客(修道士たち)の目の前で演じられる舞台のように感じさせようとする、ダヴィンチの舞台監督のような意図だと筆者は言っているようです。 つまり「解剖学」手のポーズはもとより「顔の表情や容貌」(第11段落)、動作等「一人一人の心の内面までもえぐるように描く」ため手段であり、「遠近法」や「光の明暗」も「あたかも本物の食堂の延長にあるようにすら見える」(第14段落)ための手段に過ぎないのです。 完成当初は細部の描き込みに圧倒されたために「本当の魅力=絵画の科学を駆使して表現しようとした画家の意図」が見えなかっただろう、と第20段落で言っています。 第20段落末の「レオナルドが描きたかったのは『それ』なのだ」の「それ」とは、「そのような『全体』」であり、「ぼんやりした形の連なり」です。 そこに「この絵が持っている本当の魅力」があると言っています。 そして「本当の魅力」とは、聖書における最後の晩餐の一瞬を登場人物のドラマとして生き生きと描き、修道士たちを「まるでキリストたちといっしょに晩餐をしているかのような気持ち」(第16段落)にさせることです。 この評論文は、「絵画の科学」が「画家の意図」を実現させる手段として成功しており、そこが「かっこいい」のだ、と言っているのではないでしょうか。

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岡本かの子 渾沌未分

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東京にピアノ調律師は何人いるか(中編) 2.フェルミ推定 ビルゲイツはこのフェルミ推定が好きで、マイクロソフト社の入社試験ではこの応用問題(実際には「世界にピアノ調律師は何人いるか」が出題)を採用しているという。 グーグルなどの外資系企業でも同じ問題が出されている。 フェルミ推定の解答は数字の正確さを問うものではなく、論理的に解答がなされているかが問われている。 いわば解答のプロセスや発想を問われるという訳であり、論理的思考が出来ないとアウトである。 人によっては解答が異なることも予想されるが、思考のプロセスが論理的に正しければ正解である。 もっともプロセスが違ったとしても、結果は似たような数字になるケースが多い。 フェルミ推定の面白さは、考える力が試されることである。 入社試験で知識を尋ねられても、知っていれば答えられるが、知らなければ答えられない。 知識はネットで調べればよいが、考える力はネットで調べても出てくるものではない。 それを鍛えるのが人生の面白さであるし、そういう力を持っている人間を採用すれば企業に活力が出る。 また、上の問題では、東京にいるピアノ調律師の数が分れば、逆に東京の人口を推定することも可能である。 フェルミ推定の使い方にはいろいろある。 フェルミ推定と同様の問題に、「砂漠に砂粒はいくつあるか」「富士山を動かすには何年かかるか」「日本に蚊は何匹いるか」「長野に蕎麦屋は何軒あるか」「日本には何本電柱があるか」など面白い質問が多数ある。 保険の新商品開発にあたり、保険料の算定も重要な仕事である。 保険料を算定するためのデータには二種類あり、実際の保険会社が蓄積した保険統計と、保険のデータはないが統計を取ったもの、即ち一般統計とがある。 新商品の認可にあたり、保険統計はまずない。 したがって、一般統計をベースにして保険料を算出するのだが、このときの手法がこのフェルミ推定と似ている。 保険料の水準は通常数年毎に見直す(検証)ので、検証を繰り返す毎にその水準は精緻になっていくのだが、最初はこのような手探りによって保険料を算出しているのである(続く)。

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美術ブログ 新着記事

君 は 最後 の 晩餐 を 知っ て いるか

光村図書の中学校2年の国語教科書には,「君は『最後の晩餐』を知っているか」という,美術に関する評論の文章が掲載されています。 実は,宗我部義則先生(お茶の水女子大学附属中学校教諭)が,この教材文の大ファン。 2015年9月16日発行の小社広報誌「中学校国語教育相談室 No. 78」では「特集 評論を読み,自分の考えをもつ」と題し,この教材を使った宗我部先生の授業をリポートしています。 全7時間の授業となりましたが,なんと第6時で,筆者である布施英利さん(芸術学者・批評家)をお招きすることに。 「中学校国語教育相談室 No. 78」では,その第6時を中心に授業の模様をご紹介しています。 ここでは,広報誌の紙面でご紹介しきれなかった第1~5時,第7時の様子を中心にご紹介します。 筆者が述べている新しい見方や考え方を読み取ることができる。 筆者が述べていることに対して,「ふーん」でなく「へぇ」と思える。 筆者の考えに対して,自分の考えをまとめることができる。 という学習目標が設定されました。 ここで,先生は教室前方のスクリーンに2枚の「最後の晩餐」の画像を映しながら,生徒たちにこう問いかけました。 「みんなが知っている『最後の晩餐』は,どっちだろう? 『最後の晩餐』は,何度も修復作業が行われていますが,1999年に最新の大修復が終了しました。 どちらが,その後の絵でしょうか」。 スクリーンに修復前と修復後の「最後の晩餐」の画像を映す,宗我部先生。 写真は修復前。 「色が薄いほう。 そのほうが顔がよく見えるから」「いちばん右の人の袖のしわが細かく見えるから,濃いほう」……。 生徒たちは,次々に自分の意見を口にします。 クラスの意見はおおよそ半数ずつに分かれたようです。 第2時までに,教材文を読んで,どちらが修復後の絵かを考え,筆者の新しい見方・考え方が表れた部分に線を引いてくることになりました。 そして最後に,先生からの重大発表です。 「なんと,今度このクラスに,筆者の布施さんが来てくれるそうです! みんなの考えを聞いてもらいましょうね」。 「ええっ!」という生徒たちの声。 教室が驚きと喜びでざわめく中,第1時が終了しました。 第2時。 どちらが修復後の「最後の晩餐」か,根拠となる叙述とともに自分の意見を発表していく生徒たち。 ここで,先生が言います。 「では,種明かし。 実を言うと,色が薄いほうが修復後の絵です」。 濃いほうを修復後と考えていた生徒たちからは,驚きの声が上がりました。 「どんな修復作業をしたんだろうね。 第18段落の2文目に『それまでかびやほこりで薄汚れて,暗い印象のあった絵から』とあります。 それはなぜか。 一つは,描かれてから500年以上経っているから。 もう一つは,第二次世界大戦中,爆撃から守るために泥を塗って埋め,その影響で一気に汚れてしまったからだそうです」。 続けて,修復作業はこれまでに何度も行われてきたこと,過去の修復家たちが絵の具を描き足すうちに,違う絵になってきてしまったこと,最新の修復では,新しい時代の絵の具を丁寧に落とす作業が行われたことを,先生は話して聞かせました。 その説明を自分の目で確かめるように,じっと絵を見つめる生徒たち。 この後,授業は全文への通読へと進んでいきました。 ズバリ述べている表現(言葉や文)を本文中から抜き出してみよう。 先生からの「今日は,グループ学習で進めてもらいたいと思います。 課題について,話し合ってまとめてください」という指示を受けて,生徒たちは一斉に机や椅子を動かし,グループ学習に入りました。 教室のそこかしこから,生徒たちの活発な話し合いの声が聞こえてきます。 ワークシートを見ながら,話し合いを進める生徒たち。 話し合いを終えて,課題 1 について全体で確認した後,続いて 2 の確認へと進みます。 「『最後の晩餐』の絵に対して,布施さんはどんなふうに評価しているのか。 本文中のどこを抜き出しましたか」と,先生。 「第4・16・19段落の『かっこいい。 かぎでくくっているし,何度も出てくるから,やっぱり重要な言葉なんじゃないか」「第10段落の『心の動きの見本帳』」「『かっこいい』『すばらしい』『衝撃』をまとめて,第19段落の『魅力的』」などなど,各グループの発表が続きます。 どの生徒も,筆者の評価の言葉をしっかりと吟味しているようでした。 第4・5時 筆者の考えに対して,自分はどう思う? これまで読み取ってきた「最後の晩餐」への筆者の評価をもとにして,自分の考えを形成していきます。 「そのために,文章に沿って『絵を読み解く』ことをもう少しやりたいと思います。 解剖学・遠近法・明暗法,それぞれが指すことを確認します。 絵に書き込みをしながら,確かめ読みしていきましょう」と,先生。 スクリーンに,「最後の晩餐」が大きく映し出されます。 驚き,失意を表しているのはどの部分か。 どの人物がユダか。 生徒たちとやり取りしながら,絵で確かめていきます。 続いて,スクリーンに映し出されたのは,先生が用意したさまざまな補足資料のスライド。 レオナルド・ダ・ヴィンチの手による人体図や骨格・筋肉などのドローイング,飛行機や歯車の構造図です。 「すごい……!」。 解剖学をはじめとした,レオナルドの数々の研究の成果を,生徒たちは息をのんで見つめていました。 それから,遠近法。 先生は,こんな指示を出しました。 「ちょっと確かめてみよう。 定規を使って,キリストの右のこめかみにあるという消失点を探してみてください」。 天井や床,机の端,テーブルクロスのしま模様。 生徒たちは,周りの友達と相談しながら,消失点へとつながるいくつもの線を見つけていき,「わあ,どの線も消失点を通るよ!」と,盛り上がります。 そして,クラス全体で明暗法について確認した後,いよいよグループごとに,自分の考えをまとめる時間に入ります。 先生から示された論点は,次の3点。 これらについて,筆者の考えに共感できるか,疑問に感じることはあるかを,グループで話し合います。 ここでまとめた自分たちの考えを,筆者の布施英利さんの前で発表し,聞いてもらうことになるのです。 いよいよ,筆者の布施英利さんを教室に迎えての発表の時間。 生徒たちは「筆者の考えに対して自分はどう思うか」を,布施さんの前で堂々と発表していきます。 布施さんは,メモをとりながら,真剣に生徒たちの意見に耳を傾けていました。 そして,授業の最後には,布施さんから,生徒たちの疑問や意見をふまえて,授業の講評をいただきました。 第6時の詳細については,9月16日発行の小社広報誌「中学校国語教育相談室 78号」(P4~15)をご覧ください。 左/教科書に掲載されている写真とは,少し印象の違う布施さん。 丸い眼鏡がトレードマーク。 右/生徒たちは,筆者の考えや意図を聞き,自分の考えを深めていった。 第7時 自分の考えをまとめる 単元の最後,これまでの学習を振り返って,絵や評論に対する自分の考えをまとめる時間。 一人一人の考えを文章に書く前に,第6時に筆者が話してくれたことの中で印象に残ったことについて,クラス全体で交流します。 「布施さんが,『評論とは,答えを与えてくれるのではなく,問いを与えてくれるものだ』とおっしゃっていて,とても心に残った」,「『自分の目でよく見ること』が何より大事,という言葉が印象的だった」,「『最後の晩餐は新しい絵なのか』という,僕たちの問いに対して,当時はかなり新しい絵だったという説明をしてくれて,納得した」など,生徒たちはそれぞれに,印象に残った筆者の言葉を挙げていきました。 そして,自分の考えをまとめる文章として,先生から提案された書き方は3種類。 著者へのリーダーズボイス……著者に宛てた感想文や手紙のスタイル。 書評……「君は『最後の晩餐』を知っているか」を1冊の本として,評論のおもしろさ,見方の新しさやすごさ,課題に思うことを指摘するスタイル。 本の紹介になるように,よさや提案の新しさについて,まだ読んでいない人に向けて書く。 後書き……文章を読み終えた読者に向かって,評論のおもしろさ,見方のよさについて解説したり,評論を味わい直す文章を添えたりするスタイル。 文章には,内容の中心となるタイトルを付けます。 「みんなが書いたものは,後日,布施さんにも読んでもらいます」という先生の言葉。 生徒たちは,真剣な面もちで取り組んでいました。

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