スペイン 風邪 死者。 スペインかぜ

スペイン風邪の死者はどの国が一番多かったのか?ヨーロッパとアジアの国々における死者数の比較

スペイン 風邪 死者

世界保健機関(WHO)が「パンデミック(世界的大流行)」と表明した新型コロナウイルス。 社会への影響が広がるにつれ、100年前に世界で流行し、多くの死者を出したへの注目が高まっている。 「当時のことを知りたい」という声が西日本新聞「あなたの特命取材班」に寄せられた。 東京都健康安全研究センターの「日本におけるスペインかぜの精密分析」(2005年)によると、スペイン風邪はA型インフルエンザ(H1N1型)で、第1次大戦末期の1918年以降、全世界で当時の総人口の約3割に当たる約6億人が感染。 2千万~4千万人が死亡した。 九州日報によると、福岡県内では最初の患者が10月10日に筑紫高等女学校で発生。 全国の患者数は約1カ月間で56万9960人に激増し、うち4399人が死亡した。 〈暴風の 如 ごとき悪性感冒 各地を吹き 捲 まくりて勢ひ 猖 しょう 獗 けつ 学校は運動会修学旅行中止〉(10月30日付・福岡日日新聞) 10月30日付・福岡日日新聞 県当局が運動会や修学旅行を当分見合わせるように通知を出し、休校の状況や増え続ける生徒の患者数が連日報じられた。 経済にも深刻な影響が出始めた。 この日の福岡日日新聞には〈全国各地方を襲いつつある流行性感冒は 遂 ついに弊紙工場部をも襲い欠勤者多数にて本日の弊紙は八 頁 ページと 為 なすの 已 やむなきに至れり〉というおわびを掲載している。 11月3日付・福岡日日新聞 〈悪性感冒 尚 なお 衰 すい 色 しょくなく人身 漸 ようやく不安に傾く 谷口知事 更 さらに予防告諭を発す〉(11月8日付・福岡日日新聞) 11月8日付・福岡日日新聞 当時の谷口留五郎・福岡県知事が6日に予防のための注意喚起を発表。 発熱者の急増を受けてか、11月5日付の九州日報には〈流行悪性感冒で解熱剤や氷の高値〉という記事も。 8日付の福岡日日紙面には〈夏の真っ盛りより氷の需要が多い〉とある。 11月5日付の九州日報 この後も連日のように、各地で増え続ける患者や死者数が報告されていたが、11月中旬になると、記事が少しずつ減っていく。 代わりに、11月11日に第1次大戦の停戦協定が発効し、出征していた日本兵の凱旋に沸く記事が増えていった。 12月1日付の福岡日日新聞に〈感冒漸く減退 福岡県下の患者一時は六十万人に達す〉という小さな記事が載った後は、スペイン風邪の記事は徐々に見当たらなくなった。 ウイルスの脅威はこれで収まったかに見えた。 しかし1年後、その恐怖は再び日本中を襲うことなる。 「あなたの特命取材班」とは? 西日本新聞「あなたの特命取材班」は、記者が読者と直接つながり、双方向のやりとりと新聞社の取材力を生かした調査報道で、地域や社会の課題解決を目指します。 あなたの「知りたい」にこたえ、深く正確に報じる「オンデマンド調査報道」(ジャーナリズム・オン・デマンド=JOD)に挑んでいます。 暮らしの疑問から地域の困り事、行政や企業の不正まで、調査依頼や情報をお寄せください。 全国各地のローカル・メディアとも連携し、情報や記事を共有したり、協働調査報道に取り組んだりしています。 ツイッターやフェイスブックの文中に「#あなたの特命取材班 」を入れて発信してください。 で取材班と直接やりとりもできます。

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スペインかぜ

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の続き的な意味で書いてます。 先日、「スタンバイ」を聞いていたら、コメンテーターの山縣裕一郎氏(会長)がコロナが騒がれる今「お薦めの本」として 【順番は発行年順】 1)速水融(はやみ・あきら)『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ:人類とウイルスの第一次世界戦争』(2006年、) 2)衛生局編集『流行性:「」大流行の記録』 2008年、 3)アッド・W・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ:忘れられた』(2009年、) など『(インフルエンザ)・』関係の本を紹介していました。 山縣氏曰く 「実はこれらの著書は最近まで品切れだったのですが、コロナ騒動で注目が集まって重版が決まったそうです」 「当時と今とでは色々違いがありますが、この・についての著書から学べることが沢山あると思う」 「何故か日本人はこの・を忘れてしまったように思いますが、今回の新型コロナなどと比較にならない死者数が出ている。 全世界で約4000万人、日本だけでも約40万人が死亡したと言われます。 今回のコロナでは有名人では例えばさん(1950~2020年、お笑い芸人)が亡くなっていますが、・では有名人では例えば(劇作家、1871~1918年)が亡くなっています。 そして抱月の弟子で愛人関係にもあったという女優・(1886~1919年)が抱月の死にショックを受けてしています。 は『ゴンドラの唄(『生きる』で(1905~1982年)が歌っていた例の歌)』などで割と有名だと思いますが」 云々と。 名誉教授。 著書『古代 上 中 下 』、『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』、『の根本概念』、『職業としての学問』、『職業としての政治』、『』 以上、 、『社会科学の方法』、『の方法』 以上、 など。 著書『』(、)など。 著書『一万一千本の鞭』、『若きの冒険』 以上、角川文庫 など。 、、を歴任。 「最後の元老」の兄。 文部省学務局長、(の前身)校長など歴任。 には折田の功績を顕彰する「像」が設置されている。 工科大学学長(現在の工学部長に当たる)。 本店、東京駅の設計で知られる。 第2次伊藤、第2次松方、第3次伊藤内閣大臣、第4次伊藤内閣内務大臣など歴任。 総長、総長、総長を歴任した(1854~1931年)の妹。 津田梅子(1864~1929年、創設者)とともに団にして米国留学。 帰国後は津田の友人として、女子英学塾(の前身)を支援している。 参議、陸軍大将、近衛都督を務めたの息子。 中の1914年()に東京俘虜収容所長、1915年()に俘虜収容所長。 家当主。 司法省技官として監獄等の設計に従事、豊多摩監獄(後の中野刑務所)が代表作。 などが死去していますね。 にもかかわらず、日本においてこの「・」は最近まであまり知られてなかったように思います。 【追記】 はこのほど、感染拡大を受けて、10年以上前に初版を刊行し品切れになっていた778『流行性 「」大流行の記録』(本体3000円)をウェブで全文無料公開したところ、などでの反響が多く重版を決めた。 の重版は四半世紀ぶりだという。 同書は1918年から20年にかけて世界的に流行したインフルエンザ()について2年後の22年に日本の衛生局が刊行した報告書をし、解説を付けたもの。 2008年に778として初版2700部で発行。 2年ほどで品切れとなり、重版未定のまま10年ほどが経過していた。 下中美都社長によると、2009年にエンザが流行したときにも重版を検討したが、このときはできなかったという。 しかし、今回は「出版社として何かできることはないか」と考え、編集部門からの提案で無料公開に踏み切ったところ、すぐに多くの反響があって重版に至ったという。 下中社長は「出版社には、のど元過ぎたら忘れてしまうようなことも残していく使命がある。 今回、感染拡大が終息した後の世界がどうなるのかを見通すこともできない。 この本は専門的な内容ではあるが、そういう時代に示唆に富む本だと思う」と話している。 の感染拡大を受け、『ペスト』()が異例の売り上げで話題になった。 小説以外にも、過去のの研究や歴史を扱った本もじわじわ売れている。 全容がまだ見えないウイルスと向き合う手がかりを、本に求める読者が増えているようだ。 新潮社によると、『ペスト』は2月以降で15万4千部を増刷し、累計発行部数は104万部になった。 ペストにより封鎖された街で、伝染病の恐ろしさやを脅かす不条理と闘う人々を描く。 フランスやイタリア、英国でもベストセラーになっているという。 日本の小説で、新型コロナによる混乱を「予言している」と注目が集まったのは、『首都感染』(文庫)。 中国で強毒性のエンザが発生し、東京が封鎖される。 2月以降、計6万4千部増刷した。 の担当者は「が発生した場合に、何が起こるのか、どのように対処したら良いのかを、読んだ人が冷静に判断できる内容」という。 ほかに(ボーガス注:をネタにした娯楽小説として)『』(角川文庫)、『破船』()なども売れている。 では、1983年刊行の『ペスト大流行』()が、品切れ状態から約1万部増刷した。 『流行性:「」大流行の記録』()は、100年前の衛生局による報告書に、解説を付けた一冊。 解説を書いているのウイルス疾患研究室長・西村秀一が、古書として出回っていたこの本を入手、「現代に復活させようという強い思いが生まれた」と記す。 「ペストとコロナと関係ないやろ?」と思いますけどねえ。 ましてや娯楽読み物なんか「作り話やないか。 役に立たないやろ?」と思いますけどねえ。 : 「」編集長、常務取締役・編集局長、社長などを経て会長。 著書『東アジア経済圏90年代を読む』 1989年、)、『私のカ・ジャーナリズム修行』(1992年、)、『図解・経済統計の「超」解読術』 (1996年、)(『山縣裕一郎』参照)。 : 1929~2019年。 名誉教授、名誉教授、名誉教授。 日本における歴史人口学研究の草分けとされる。 : 編者で分かるようにこれは『当時、が編纂した調査報告書』の復刻版で旧仮名遣いなので読むのは大変です。 : オースティン校名誉教授。 著書『飛び道具の人類史』(2006年、)、『ヨーロッパの:的視点から歴史を見る』 2017年、)など : 1849~1940年。 第二次伊藤、第二次松方内閣文相(外相兼務)、第三次伊藤内閣文相、首相、元老を歴任 : 1841~1909年。 、、首相、議長、枢密院議長、韓国統監など歴任。 元老の一人。 : 1835~。 第1次伊藤、黒田、第1次山縣内閣蔵相、首相、第2次伊藤内閣蔵相、など歴任。 元老の一人 : 1842~1916年。 第1次伊藤、黒田、第1次山縣、第1次松方、第2次伊藤内閣、など歴任 : 1825~1883年。 で右大臣、外務卿を歴任 : 1999年、『イントゥルーダー』(現在、文春文庫)で第16回ミステリー大賞・読者賞をダブル受賞し、本格的に作家デビュー(『』参照)。 : 名誉教授、名誉教授。 著書『近代科学を超えて』 1986年、 、『科学者とは何か』 1994年、新潮選書 、『の逆遠近法:の再評価』 1995年、 、『:二十世紀の物理学革命』 1998年、 、『科学の現在を問う』 2000年、 、『安全と安心の科学』 2005年、 、『あらためて教養とは』 2009年、 、『人間にとって科学とは何か』 2010年、新潮選書 、『奇跡を考える:科学と宗教』 2014年、 、『死ねない時代の哲学』 2020年、文春新書 など bogus-simotukare.

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スペイン風邪(1918~1920年)での著名人の死去について(追記あり)

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1918 年~ 1919 年の 2 年間にわたって 人類の歴史上における 最大規模のパンデミックを引き起こした スペイン風邪は、その 名前の由来からも分かる通り、 イギリスや フランス、 ドイツや イタリアそして スペインといった ヨーロッパ諸国を中心に 感染を拡大していったという イメージが強いと考えられますが、 こうした スペイン風邪と呼ばれる インフルエンザウイルスを病原体とする 感染症のパンデミックは、 イギリスや フランスといった ヨーロッパの国々よりも、 実際には、 インドや 中国さらには イランなどといった アジアの国々において より多くの死者を出していたと考えられることになります。 スポンサーリンク ヨーロッパとアメリカにおけるスペイン風邪の死者数の推計 そうすると、まず、 こうした スペイン風邪と呼ばれる 1918 年~ 1919 年の 2 年間にわたって世界中で猛威を振るった H1N1 亜型の インフルエンザウイルスを病原体とする 呼吸器系の感染症の 世界全体の 感染者数と 死者数については、諸説あり、 感染者数については、 5 億~ 6 億人 死者数については、 1700 万人程度であるとする推計から 1 億人にもおよぶとする推計まで 様々な推計値が示されているのですが、 そうした様々な推計値を踏まえると、 1918 年~ 1919 年の スペイン風邪の流行においては、 世界全体でだいたい平均して 5000 万人ほどの死者が発生したと推定することができると考えられることになります。 それでは、はじめに、 こうした スペイン風邪の ヨーロッパ地域での流行を見ていくと、 フランスの 40 万人、 イギリスの 25 万人などを筆頭に、 ヨーロッパ全土において合計で 230 万人もの死者が発生することになったと推計されることになります。 そして、 こうした ヨーロッパ地域での スペイン風邪の流行においては、 第一次世界大戦に参戦していた兵士たちの間で 深刻な感染が広がっていったと考えられていて、 そうした戦時中における 軍隊の内部での スペイン風邪の感染拡大が 1918 年 11 月に終戦を迎えることになる 第一次世界大戦の終結を早める一因となったとも考えられているのです。 スポンサーリンク インドや中国やイランなどのアジア地域でのスペイン風邪の死者数の推計 そして、その一方で、 スペイン風邪こうした 第一次世界大戦による 戦争の影響を直接的にはあまり大きく受けていなかった アジア地域においても 大きな流行を引き起こしていくことになり、 特に、 3 億人の人口を抱えていた インドにおいては、 全人口の 5 %を超える 1700 万人もの死者が発生したと推計されています。 そして、それに対して、 インドを超える 5 億人の人口を抱えていた 中国でも、インドと比べると 致死率は大きく下がるものの、もともとの人口が非常に多かったため、 400 万人程度というインドに継ぐかなり大きな死者数が発生したと見積もられているほか、 日本においても、 5500 万人の人口に対して 39 万人もの 死者が発生したと推計されています。 そして、その他にも、 こうした アジア地域における スペイン風邪の流行においては、 イランにおける 致死率が非常に高かったという記録も残されていて、 当時のイランの人口にあたる 1000 万人の 10 %以上にものぼる 100 万人以上の死者が発生したとする推計も示されています。 また、 こうした ヨーロッパや アジア以外の世界の各地における スペイン風邪の流行についても触れておくと、 例えば、 アメリカと カナダではそれぞれ 50 万人ほどの死者、 ブラジルでは 30 万人ほどの死者、 オーストラリアでは 12 万人ほどの死者、 ニュージーランドでは 1 万人ほどの死者、 アフリカの ガーナにおいては 10 万人以上の死者 が発生したという推計が示されています。 スペイン風邪はヨーロッパではなくアジアでより多くの死者を出していた そして、以上のように、 1918 年~ 1919 年の 2 年間にわたって世界中で猛威を振るった スペイン風邪の流行においては、 ヨーロッパ地域の流行では、 フランスの死者は 40 万人、 イギリスの死者は 25 万人と推計されていて、 ヨーロッパ全体でも 死者の数は合計で 230 万人ほどにとどまるのに対して、 アジア地域の流行では、 世界で最大の スペイン風邪の死者数を出した インドの 1700 万人を筆頭に、 中国の 400 万人、そして、 イランの 100 万人というように、 アジア全体において ヨーロッパ全体の 10 倍以上にもよぶ 死者が発生していたと考えられることになるのです。 ・・・ 次回記事: 前回記事: 「」のカテゴリーへ 「」のカテゴリーへ カテゴリー• 843• 640• 118• 184• 525• 127• 204• 333• 278• 593• 338• 153• 143• 310• 240• 125•

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