エルマ と エイミー。 【ヨルシカ/ノーチラス】歌詞考察 エイミーは何故この曲を残したのか。 遺作の真意に迫る

ヨルシカのノーチラスをきいたんですが、エルマとエイミーの物語の完結という...

エルマ と エイミー

ヨルシカが、明日8月28日にリリースする2ndアルバム『エルマ』から新曲「ノーチラス」のミュージック・ビデオを公開した。 2ndアルバム『エルマ』のラストを飾る「ノーチラス」は、ヨルシカ結成当初に制作された楽曲。 MVは、気鋭のCGクリエイター 森江康太が監督を務め、前作アルバム『だから僕は音楽を辞めた』と新作アルバム『エルマ』で語られている物語の主人公"エルマ"と"エイミー"のストーリーを、最高峰レベルのフルCGアニメーションで表現している。 MV制作には"マウスコンピューター"のクリエイター向けPCブランド"DAIV(ダイブ)"を使用。 車窓 2. 憂一乗 3. 夕凪、某、花惑い 4. 雨とカプチーノ 5. 湖の街 6. 神様のダンス 7. 雨晴るる 8. 歩く 9. 心に穴が空いた 10. 森の教会 11. 声 12. エイミー 13. 海底、月明かり 14. -" 9月2日 月 21:00~ ゲスト:ヨルシカ これまで緻密に作り込んだ2枚のミニ・アルバムで、リスナーを"ここではないどこかの物語"へと誘ってきたヨルシカが、"音楽を辞めた青年"を主人公にした初のフル・アルバム『だから僕は音楽を辞めた』を完成させた。 できれば、今作は初回生産限定盤を手に取ってほしい。 音楽を辞めることを決意した青年が"エルマ"に宛てた全14曲の楽曲に加えて、オスカー・ワイルド、ヘンリー・ダーガー、松尾芭蕉ら、偉大な芸術家たちの言葉を引き合いに出して綴られる"手紙"が今作への理解を深めてくれる。 "音楽を辞めた"というセンセーショナルなモチーフをテーマにすることで、コンポーザー n-bunaが抱く思想や哲学を徹底的に炙り出し、ひいては"音楽をやる理由"が浮き彫りになる構造が秀逸。 (秦 理絵) ヨルシカの新しいミニ・アルバムのタイトルが"負け犬にアンコールはいらない"だと知って驚いた。 めちゃくちゃエモいじゃないか。 前作ミニ・アルバム『夏草が邪魔をする』では、ソングライティングを手掛けるn-buna(ナブナ)が自身の死生観を色濃く反映させた切ない夏物語を描いたが、あれから約1年を経てリリースされる今作は、同じ夏の匂いを継承しながらも、"どこかの誰かの物語"とは一蹴できないリアルが滲む。 "もう一生、後悔したくない僕らは吠えたい"と歌う表題曲「負け犬にアンコールはいらない」を始め、荒々しい曲調も多い。 輪廻転生をテーマに、ピアノによる美しいインスト曲を挟みながら現実と非現実の間を彷徨うようなアルバムは、最後に不思議な余韻を残してくれた。 (秦 理絵) ニコニコ動画で200万回再生を記録する人気曲を生み出してきたボカロPのn-buna(ナブナ)が女性ヴォーカル suis(スイ)を迎えて結成したバンド"ヨルシカ"の1stミニ・アルバム。 ピアノの繊細なフレーズが紡ぐインスト曲「夏陰、ピアノを弾く」から幕を開けると、ギターを中心にした表情豊かなバンド・サウンドのなかで描かれるのは、夏の気配を漂わせた切ない恋の物語だった。 それはハッピーなラヴ・ソングではなく、すべてが死別を思わせる悲恋の楽曲。 カトレアの花、青い空、夕立ち、花火、入道雲という夏を連想させるワードが散りばめられた曲たちは全7曲がそれぞれに独立しながらも一篇の小説としてリンクしているようにも聴こえた。 テーマは悲しいが、作品をカラリと爽やかに仕上げたのはsuisの透明感のある歌声の存在が大きい。 (秦 理絵).

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ヨルシカ アルバム考察①

エルマ と エイミー

「エルマ」を録ったときは、わりとポカポカな曲なのに、私自身の体調があまりよくなくて気持ちが落ちているときで。 だからあまり悲しい気持ちの出た歌声じゃダメだなと思ってエンジニアさんと相談して、ボックスから外に出て窓の前にマイクを置いて、陽の光を浴びながら歌いました。 とコメントしています。 陽の光 という言葉が似あう楽曲になっているのは、主人公にとってエルマが 太陽のような存在だったことの裏付けではないでしょうか。 本題の歌詞に迫っていきます。 歌詞 嘘つきなんて わかって 触れて エルマ まだ まだ痛いよ もうさよならだって歌って 暮れて夜が来るまで 朝日の差す木漏れ日 僕とエルマ まだ まだ眠いかい 初夏の初め近づく五月の森 歩きだした顔には花の雫 ほら 涙みたいだ このまま欠伸をしよう なんならまた椅子にでも座ろう 許せないことなんてないんだよ 君は優しくなんてなれる このまま何処かの遠い国で 浅い夏の隙間に寝そべったまま 涙も言葉も出ないままで ただ夜の深さも知らないままで 嘘つきなんて わかって 触れて エルマ まだ まだ痛いよ もうさよならだって歌って 暮れて夜が来るまで 辛いことも苦しいことも 何も見えないならわからないし 塞いだ目閉じたままで逃げた 月明かりの道を歩く 狭い部屋も冷たい夜も 眠い昼も 寂しい朝も さよならの言葉越しに君の顔を見てる このまま何処かの遠い国で 浅い夏の隙間に寝そべったまま 涙も言葉も出ないままで ただ空の青さだけ見たままで ただ君と終わりも知らないままで 嘘つきなんて わかって 触れて エルマ まだ まだ痛いよ もうさよならだって歌って 暮れて夜が来るまで 青年が旅をしながら写真を撮って、 手紙や詩と共にエルマに送る とまで公表しています。 決して亡くなっているとまでは言っていませんが、エルマの喪失はアルバム内の他楽曲から推測されました。 これらを念頭に踏まえて歌詞を考察していくと、主人公の虚無感や切なさを、より一層感じることができると思います。 朝日の差す木漏れ日 僕とエルマ まだ まだ眠いかい 初夏の初め近づく五月の森 エルマとともに過ごした日々が回想される。 僕とエルマ とあるように、今もなお、 主人公の心にエルマは内在し続けている。 歩きだした顔には花の雫 ほら 涙みたいだ このまま欠伸をしよう なんならまた椅子にでも座ろう 花の雫を 「涙」と比喩するところに、 隠し切れない傷心が伺える。 傷口を隠したいから、泣きそうな自分を欠伸で誤魔化そうとしている。 許せないことなんてないんだよ 君は優しくなんてなれる エルマがいないことで、一時は自分を忘れるほどの想いをして、幸せそうな周囲の人間に対して憎しみさえ覚えた主人公でしたが だから僕は音楽を辞めた参照 、エルマを想い出したときに一番に蘇る感情は 「優しさ」なのです。 それだけエルマは、 優しさに溢れた人間だったのでしょう。 サビ1 このまま何処かの遠い国で 浅い夏の隙間に寝そべったまま 涙も言葉も出ないままで ただ夜の深さも知らないままで 遠い国というのは、物語 アルバム の舞台が、n-bunさんが幼少期に暮らしていたスウェーデンだからこそ、起用された言葉なのかも知れませんが、もしかすると 「現世」と 「あの世」 という、切ない距離感が意味として 含まれているのかも知れません。 主人公は1人エルマを想いながら、 夜空を見上げている。 未だに受け入れることができていないから、もしくは涙なんて枯れ果てててしまったから 涙も言葉も出ないままで とある。 2番からは主人公の傷心が ダイレクトに表現されていきます。 スポンサーリンク 2番 嘘つきなんて わかって 触れて エルマ まだ まだ痛いよ もうさよならだって歌って 暮れて夜が来るまで エルマの喪失が「嘘」であると信じたい。 触れて というのは叶わない主人公の願望。 願望が述べられた後に まだ まだ痛いよ と生々しい主人公の 本音が書き出される。 辛いことも苦しいことも 何も見えないならわからないし 塞いだ目閉じたままで逃げた 月明かりの道を歩く 主人公が抱える絶対的な 「苦悩」 何も見えないならわからない という理屈を頼りに、 目を塞いで現実逃避をしています。 狭い部屋も冷たい夜も 眠い昼も 寂しい朝も さよならの言葉越しに君の顔を見てる 君の顔を見てる という具体的表現から推測するに、主人公はエルマの写真を眺めているのでしょう。 狭い部屋• 冷たい夜• 眠い昼• 寂しい朝 という各種場面の情景からは ぼんやりとした 憂鬱が伝わります。 スポンサーリンク サビ2 このまま何処かの遠い国で 浅い夏の隙間に寝そべったまま 涙も言葉も出ないままで ただ空の青さだけ見たままで ただ君と終わりも知らないままで サビ1と類似していますが ただ夜の深さも知らないままで が ただ空の青さだけ見たままで に変わっています。 これは• 主人公が夜の深さ 悲しみ を知った• 空と同じようにブルーになっている といったことの表れではないでしょうか。 ただ君と終わりも知らないままで という最後の一文は 君を想い出すことの終わらせ方がわからない。 つまり 「いつまでエルマのことで苦悩すればいいのか」という葛藤が描かれているのだと解釈致しました。 3番 嘘つきなんて わかって 触れて エルマ まだ まだ痛いよ もうさよならだって歌って 暮れて夜が来るまで もう会えないエルマを想い続けるのは 心が痛い。 だからこそ「さよなら」と 告げられることで、前に進みたい。 しかし、それは矛盾していることで、叶わないことだから、主人公は一生エルマを忘れることができないのでしょう。 感想 いかかでしょうか。 あくまで仮説を念頭に置いての考察ですが、主人公の喪失感がヒシヒシと伝わってきました。 「エルマ」の持つぽかぽかした楽曲雰囲気とは、対照的である楽曲背景が、より切なさを強調させる。 『エルマを想い続ける』 という主人公の感情に 寄り添える楽曲であったと思います。

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エルマのトレーラー・エイミー・アルバムが話題

エルマ と エイミー

ヨルシカ 「ノーチラス」。 アルバム「エルマ」に収められた一曲であり、一連の物語に沿って進行していたヨルシカの楽曲群において、現時点でこれが最後の楽曲である。 いわば、エルマとエイミーの物語のクライマックスだ。 一連の物語については以下の記事で触れているので、ご存じでない方には参考までにお読みいただきたい。 MVから察するに「ノーチラス」は、エイミーがエルマに送ることなく、彼が毒性の人工染料「花緑青」を飲んで入水自殺した桟橋にギターとともに残していた詩である。 彼の 遺作ともいえる作品だ。 なぜ彼は、「だから僕は音楽をやめた」で締めくくったかに思われた楽曲群にこの曲をつけ足したのか。 なぜこの曲は、エルマに送られることなく桟橋に残されたのか。 ここではその理由を徹底的に考察していく。 あくまで私個人の考察であり、曲の解釈を決めつけるものではない、という点にご理解いただきたい。 また、初回限定盤得点のエルマの日記帳を筆者は拝読していないため、公式の物語と考察が異なっている可能性がある、という点にもご留意いただきたい。 ヨルシカ• J-Pop• provided courtesy of iTunes• 垣間見えるエイミーの二面性 前作「だから僕は音楽をやめた」、およびこの曲を通してみると、エイミーという人物の 二面性のようなものが垣間見える。 彼は表層的にはエルマを恨んでいるが、その一方でエルマを心の底から愛しているのだ。 こう考えるに至った経緯を、詳しく説明していきたい。 「だから僕は音楽をやめた」でのエルマ 前作「だから僕は音楽をやめた」で語られた、彼が音楽をやめた理由を一言で表せば 「昔の信念を失ったから」であった。 僕だって信念があった 今じゃ塵みたいな想いだ 何度でも君を書いた 売れることこそがどうでもよかったんだ 本当だ 本当なんだ 昔はそうだった だから僕は音楽をやめた だから僕は音楽をやめた 作詞 n-buna 昔は愛や正しさを追い求め、音楽を通してただ自分の中の「エルマ」を描き続けていた彼であったが、その信念を貫くことができなくなった。 描き続ければいつか答えにたどり着けるとひたすらに信じていた「エルマ」の記憶が時が経つにつれ失われ、答えなどないという現実に直面せざるを得なくなったのである。 間違ってるんだよ わかってないよ、あんたら人間も 本当も愛も世界も苦しさも人生も どうでもいいよ 正しいかどうか知りたいのだって防衛本能だ 考えたんだ あんたのせいだ だから僕は音楽をやめた 作詞 n-buna そして彼は 「考えたんだ あんたのせいだ」とエルマに残し、エルマに会うことのできない、救いのない現実への諦めから花緑青を飲んで海底へと沈んでいった。 ここでの彼のエルマへの感情は 「憎しみ」に近いものがあり、自分の信念を貫けなかった要因としてのエルマを恨んでいる。 エルマのせいで、彼は社会を、信念を、音楽を、諦めざるを得なくなった。 社会に対する、言うなれば 表向きの理由として、彼はエルマに恨み口を叩かなければならなかったのである。 「だから僕は音楽をやめた」の中で自分を言い聞かせるために、音楽を諦めるために、人生の幕を閉じるために、彼はエルマを恨まなければならなかったのだ。 そして彼はこの曲を、エルマに送る手紙の最後にしなければならなかった。 彼女への最後の一曲が彼女への感謝の言葉であったり、謝罪の言葉であったりしては彼の面目が保たれないからだ。 自分への説明がつかないからだ。 「だから僕は音楽をやめた」は信念を曲げた自分に対する言い訳であり、自身の面目を保つための最後のメッセージだったのである。 捨てられなかった優しさ「ノーチラス」 エルマを表層的に憎もうとした一方で、 エイミーは根本的に、エルマを愛していた。 その捨てられなかった優しさこそが、彼が残した最後の曲「ノーチラス」なのではなかろうか。 さよならの速さで顔を上げて、 いつかやっと夜が明けたら もう目を覚まして 見て、 寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから ノーチラス 作詞 n-buna 音楽をやめたのはあんたのせいだ。 そう言って世を去ろうとしたところで、彼にそんなことできるはずなかった。 愛する人を傷つけたままで終わることなどできなかったのであろう。 「寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから 」。 音楽をやめたとしても、彼の心の中にはいつだってエルマがいた。 それを伝えずにはいられなかったのだ。 そしてそれを桟橋に残した。 エルマが自分の足取りを追ってここに来た時に、彼女を救ってあげられるように。 彼が愛した音楽が終わってしまわぬように。 彼の信念からすれば、この曲の存在は 駄作なのかもしれない。 「だから僕は音楽をやめた」で最後にしなければならなかったのかもしれない。 しかし、どうしてもこの曲を残してあげたかった。 「ノーチラス」は、彼のエルマへの愛そのものなのだ。 まとめ エイミーの残した遺作 「ノーチラス」。 ノーチラスはフランスの小説「海底二万里」に登場する、陸地との一切の交流を絶った潜水艦である。 人間社会とのかかわりを拒絶し、ただエルマだけを描いた彼の人生は、エルマへの想いとともに海底へと沈んでいった。 この曲がエルマに届いたことで、エルマが目を覚まし、本当の彼の想いに気が付くことができたなら。 エイミーの最後の願いは無事にかなったといえるのではないだろうか。 Twitter @nabuna2.

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