うぅん...... んnん....... 」 その晩、壬氏は寝台でなにやらひとりぶつぶつと呟いていた。 まぁいわゆる寝言だ。 猫猫はそのとき、壬氏の寝台に腰掛けていた。 深夜だったが水蓮に「坊ちゃんが風邪を引いて〜!」と嘘っぽい嘘で呼び出され、でも水蓮の眼光を前に断ることができず、壬氏の私室に足を踏み入れたところだった。 「壬氏さま?お呼びになられましたか。 」 ゆっくり寝台に歩み寄りながらそう問いかけてみるも、返事はない。 猫猫は諦めて、壬氏の眠る寝台に腰掛けた。 壬氏の髪はいつ見ても絹糸のようにさらさらだなぁ、なんて考えながら、意味もなく髪を梳く。 壬氏の頬の傷をそっと撫でると、壬氏が目を覚ました。 まぉまお」 へにゃり、と『皇弟殿下』らしからぬ幼くあどけない表情で笑った。 起きられましたか。 水蓮さまから、壬氏さまが体調を崩されたとお聞きしましたが。 」 どうせたいしたことないんだろう、と言わんばかりにジト目で壬氏を見下ろす。 「いや、ここ最近よく眠れていなくてな。 忙しいのもあるが、どうも寝つきにくいんだ。 」 頭をポリポリ掻きながら壬氏は言った。 特別、熱を出したりと体調を大きく崩してはいないが、体調不良もあながち間違いではないということか。 ゴソゴソと胸元を探り、なるだけ体への害の少ない睡眠薬を取り出して、壬氏に手渡した。 「睡眠薬です。 就寝の四半時前に服用して下さい。 」 「ありがとう」 失礼します、と言いかけたところで、にやにやと笑みを浮かべる壬氏に呼び止められた。 「夜に訪れてくるとは、熱心だな」 「体調不良とお伺いしましたので、診察に来ただけです」 来ていた衣の裾をぐいっと引っ張られて、猫猫はバランスを崩して壬氏の横たわる寝台へと倒れ込む。 「ちょっと、何してるんですか!」 猫猫が叫ぶも、壬氏は猫猫をぎゅっと抱きしめて離さない。 「今日は泊まっていけ」 「帰らせてください!! 」 「......... いやだ!こんな時間に帰すことなど危なくてできぬ!!」 「では馬車を出していただきたいです!」 「だめだ!」 身の危険を感じた猫猫が暴れようとするも、壬氏との体格差で叶うわけもなく。 結局、その晩猫猫は幸せそうな壬氏に抱き締められたままで眠ることになったのだった。 翌朝、にこにこしながら部屋に入ってきた水蓮が驚いたような悲しんだような表情で無表情の猫猫と綺麗なままの寝台を交互に見つめていたのは、言うまでもない。
次のうぅん...... んnん....... 」 その晩、壬氏は寝台でなにやらひとりぶつぶつと呟いていた。 まぁいわゆる寝言だ。 猫猫はそのとき、壬氏の寝台に腰掛けていた。 深夜だったが水蓮に「坊ちゃんが風邪を引いて〜!」と嘘っぽい嘘で呼び出され、でも水蓮の眼光を前に断ることができず、壬氏の私室に足を踏み入れたところだった。 「壬氏さま?お呼びになられましたか。 」 ゆっくり寝台に歩み寄りながらそう問いかけてみるも、返事はない。 猫猫は諦めて、壬氏の眠る寝台に腰掛けた。 壬氏の髪はいつ見ても絹糸のようにさらさらだなぁ、なんて考えながら、意味もなく髪を梳く。 壬氏の頬の傷をそっと撫でると、壬氏が目を覚ました。 まぉまお」 へにゃり、と『皇弟殿下』らしからぬ幼くあどけない表情で笑った。 起きられましたか。 水蓮さまから、壬氏さまが体調を崩されたとお聞きしましたが。 」 どうせたいしたことないんだろう、と言わんばかりにジト目で壬氏を見下ろす。 「いや、ここ最近よく眠れていなくてな。 忙しいのもあるが、どうも寝つきにくいんだ。 」 頭をポリポリ掻きながら壬氏は言った。 特別、熱を出したりと体調を大きく崩してはいないが、体調不良もあながち間違いではないということか。 ゴソゴソと胸元を探り、なるだけ体への害の少ない睡眠薬を取り出して、壬氏に手渡した。 「睡眠薬です。 就寝の四半時前に服用して下さい。 」 「ありがとう」 失礼します、と言いかけたところで、にやにやと笑みを浮かべる壬氏に呼び止められた。 「夜に訪れてくるとは、熱心だな」 「体調不良とお伺いしましたので、診察に来ただけです」 来ていた衣の裾をぐいっと引っ張られて、猫猫はバランスを崩して壬氏の横たわる寝台へと倒れ込む。 「ちょっと、何してるんですか!」 猫猫が叫ぶも、壬氏は猫猫をぎゅっと抱きしめて離さない。 「今日は泊まっていけ」 「帰らせてください!! 」 「......... いやだ!こんな時間に帰すことなど危なくてできぬ!!」 「では馬車を出していただきたいです!」 「だめだ!」 身の危険を感じた猫猫が暴れようとするも、壬氏との体格差で叶うわけもなく。 結局、その晩猫猫は幸せそうな壬氏に抱き締められたままで眠ることになったのだった。 翌朝、にこにこしながら部屋に入ってきた水蓮が驚いたような悲しんだような表情で無表情の猫猫と綺麗なままの寝台を交互に見つめていたのは、言うまでもない。
次の見慣れたあばら家の天井が目に入り、細く息を吐く。 ゆるゆると起き上がり、古びた箪笥から手拭いを取り出し、額を流れる汗を拭う。 「きもちわる・・・」 額だけではなく、体全体が汗ばんでいる。 手拭いを濡らそうと踵を返すと、あばら家には不釣り合いな桐箱が目に入る。 憂いを含んだ微笑と称されるその顔は、泣き顔なのだと自分は知っていた。 手を伸ばし、そっと桐箱の埃を払う。 返したはずのその箱は、白檀が香る文と共に戻された。 ゆっくりと開けた箱には、芥子と月の簪。 自分は花街の薬屋として生きてきて、これからもそうして生きていくんだと思っていた。 強請るように何度も告げられた想いは、自分にとっては重荷でしかなかった。 本来ならば口をきくことすら憚られるような関係だ。 そんな差すらも飛び越えて、自分を妃にと望むその人の想いを受け止める度量は自分にはなかった。 ふわり、と白檀の香りが鼻先を掠める。 何度も何度も読み返した文の文字は、所々滲んでいる。 その流美な曲線を指先でなぞる。 無理だ、と告げた。 自分には、荷が重いと。 それでも尚、傍にいてほしいと懇願する相手を振り切るように、簪を突き返した。 悲し気に歪められた黒曜の瞳が、ゆっくりと弧を描いた。 ぽつり、と落ちた雫が、また文の文字を滲ませる。 「そのうち、読めなくなるな」 もう中身などとうに覚えてしまっているというのに、こうして何度も開いてしてしまう。 「・・・莫迦、だ」 市中を歩きながら、楽しそうに周囲を見る幼い顔。 旅の途中、馬上で浮かべていた生き生きした顔。 呆れたように自分を見つめる顔。 頬を膨らませて拗ねる顔。 棄てられる寸前の犬みたいな情けない顔。 自分が知っている彼の人は、優美な仮面を被った貴人ではなく、年相応の只の男だった。 「・・・本当に、莫迦ですね」 書かれた文字を、もう一度そっと指で伝う。 壬氏さま」 どうか彼の人が幸せであるように。 窓の外、中空に浮かぶ月に切に願った。
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