晋平太 何歳。 INTERVIEW

HIP

晋平太 何歳

中学校時代、ラップをやってる友達がいて、そいつの影響でヒップホップを始めました。 当時、自分のお気に入りの曲をカセットに録音して、それを友達に渡すっていうミックステープっていうのがクラスで流行ってました。 そのラップをやってる友達から渡されたミックステープの中に、沢山、日本のヒップホップの曲が入ってて、それを聴いた時に「あ、面白いな」と感じました。 あと「なんか俺にも出来そう」ってリアルに思いました(笑)それでその友達からラップのやり方を教えてもらって、実際にやってみたら楽しくて。 その後は文化祭でライブやったりもしました。 その時、周りからは「また変な事やってんな」ぐらいに見られてたと思いますけど(笑)高校生になってからは、更に色んなイベントに参加しました。 18歳の時に、初めてMCバトルに出る事になったんですけど、結果的に結構いいところまで行ったんです。 それで道が拓けていったって感じですね。 フリースタイルという、その場で起こった事をその場でラップして、そこにいる相手を言い負かすっていうものをずっとやってきました。 それが得意で、好きで、その末に今の自分があると思ってます。 21歳の時にBBOY PARKっていう、大きなMCバトルの大会で優勝して、CDデビューもしました。 当時はトントン拍子って感じでしたね。 でも、やっぱりそういうのは長くは続かない。 23、4歳の時には、一本も仕事がないような状況になってしまいました。 今振り返っても、本当にドン底の状態でした。 でも、ヒップホップが好きだという想いは変わらなかったし、自信もありました。 それに何より、周りから「やっぱ売れなかったじゃん」って馬鹿にされていたのがわかってたんで…そうなったら、絶対やめられないじゃないですか。 それで、もう一度フリースタイルバトルに賭けたって感じですね。 また日本一になれたら、何か変わるんじゃないかなと思って。 普通はね、一回CD出したりしたら、そこからまたフリースタイルに戻るってあまりないんですよ。 CD出してライブやるというアーティスト活動の方が位が高いとされてましたからね。 でも僕はそうはなれなかった。 もう一度フリースタイルに賭けるしかなかったんです。 フリースタイルの世界に戻って一生懸命やってたら、フリースタイルが世間で流行り始めたんですね。 「ヒップホップの中でフリースタイルだけが好き」みたいな奴も出てくるようになりました。 そうなると、アーティスト活動をしている奴の方がフリースタイルでやってる奴より偉いみたいに思われてたのが、少しずつ変わってきたんですよ。 フリースタイルを一生懸命やってる奴も認められるようになってきたと言うか、そういう変化を感じてます。 とてもいい事だと思いますね。 日本全国で「お前もヒップホップやってみれば?」ってスタンスで活動しています。 ヒップホップは参加して楽しむものだと思ってるんですよ。 小学生からおじさんまで、「ちょっとヒップホップやってみよう」ってなってもいいと思うんですよね。 自分はその背中を押す人になれたらいいなと思ってやってます。 ヒップホップの歴史はまだ若いので、ずっとヒップホップやり続けてジジイになってそのまま死んだって人は、まだいないんですよ。 僕はそうなりたいし、これからの世代の人達もそうなって欲しいです。 やりたい事もない、特技もない、好きな女もいない、そういう奴らって今の時代一杯いると思うんですけど、そういう奴らはラップを始めればいいと思うんです。 上手くなるかどうかはわからないですけど、人生に一つでも真剣になれるものがあると全然違うから。 ラップを通じて自己表現出来る奴が一人でも多く増えたらいいなって、そう思ってラップ講座とか色んな活動をしています。 ラップに限らず何でもいいんですけど、とにかく何か物事を始めてみて欲しいというか、自分を試して欲しいんですよね。 頑張る事はなんだっていいと思うんです。 僕だって別の仕事をしながらずっとヒップホップやってきましたから。

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【ミズノ】フリースタイルダンジョン王者・晋平太×フリースタイルバスケ世界王者・ZiNEZ「SUPERSTAR」公開

晋平太 何歳

即興のラップバトル番組『フリースタイルダンジョン』3rd SeasonのRec7-7。 審査員を降りた晋平太が、チャレンジャーとして復活。 ・サ上戦晋平太、葬いの菊の花束を蹴って因縁の進撃開始 ・漢戦因縁の対決。 晋平太と漢は何と戦い、握手したのか ・T-Pablow戦T-Pablow胸ぐら掴んで喧嘩かラップか、ゆらがず睨んで晋平太 ・R-指定戦晋平太vs. R-指定、ストリートの事情なんて関係ねえ と勝ち抜き、数々のドラマを生み出し、ついにラスボス般若の登場である。 第一戦のビートは、TOKONA-X「知らざあ言って聞かせやSHOW」。 般若がいきなりくらわせる。 「おいTOKONA 今からこの小便ハゲに教える勝ち負け」 TOKONA-Xに語りかけ、「小便ハゲ」とストレートな悪口をぶっこみながら、勝負について語る。 「時代は変わる TOKONA-Xだって上で見てる」 TOKONA-Xは、2004年11月22日、満26歳で亡くなった。 晋平太は、般若のパンチラインを受けて、「時代は変わる」と語りかける。 「俺が嘘で小便ハゲでクソったれ? それでもこの場は動かねぇ」 晋平太は、悪口を拒絶せず受け入れる。 そして、その後に「それでも」と強く反転させて、この場から逃げないことを強く打ち出す。 次のターン、般若は、その方法論を暴露する。 「後がねぇとか いつも俺はこれだけとか そんな言い訳 もう聞きたかねぇ」 だが晋平太は引かない。 「歴史が変わるとこ見たい 景色が変わるとこが見たい その日が近い」 晋平太は「俺はそんな汚れた真似してねぇつもりだ」と語る。 般若は、これにはアンサーしない。 100万円の話にしてしまう。 「へぇそうなんだ 欲しいのは100万なんだ」 でも、もう100万がどうとかっていう以上の勝負になってるのは、あきらかだ。 第二戦のビートは、ラッパ我リヤ「ヤバスギルスキル10feat. 韻踏合組合」。 般若の先攻。 攻撃の手が豊富だ。 「せいぜい100万がんばりな」 と、また賞金の話を蒸し返した後に、 「超えさせねぇ ここは般若の庭」 と、場の話をぶっこんでくる。 さらに、 「へいageHaじゃ 皆手上げてみようか」 と会場を乗せる。 みんなの手が挙がり、沸く。 だが、 「ストリートの事情」が重い十字架になっているのに、 漢との戦いでそこは決着がついてしまったことになっており、 そこを突くことができなくなった。 そのために、隔靴掻痒な攻撃になっているようにも聞こえてしまう。 晋平太が返す。 「そうか がっかり 般若のスキルも妙なハッタリ?」 そして、 「100万円も欲しいよ」 とあっさり認めて、 「100万年後もなくなんねぇもん作りてぇんだろ」 とつなげる。 弱みをあっさりと認め、「でも!」と切り返す。 この粘り強さで、押し通す晋平太。 そして、こう続ける。 「それを教えてくれたのあんただ あんまりだ」 相手の言うことを受け入れて、最後にグイと出し抜く。 般若も負けぬ。 「T-Pablowも殴りそう やれよボディタッチしろよ誤認ジャッジ」 「ボディタッチ」と「誤認ジャッジ」の凄い言葉で韻を踏み、パンチラインを炸裂させる。 晋平太「ビビって俺泣きそう あんまり脅さないでくれる?」 フリースタイルで、こんなに弱気な言い分が連続するのは珍しいのではないか。 だが、踏みとどまるのだ。 「まぐれでも気まぐれじゃねぇって事を教えてやるぜ 俺はこれで勝ち上がるぜ」 般若がさらにブーストする。 「ぶっとばす前にラップで吹っ飛ばす 俺のバース そんなもんだぜ頑張りな 三半規管にぶち抜く俺のこれが勝負」 晋平太のラストターン。 「胸張ってレペゼンし それだからMC それが俺の決意 テクニック以上の血をお前の胸に」 おそらく四面楚歌の状態で、心が折れてもしょうがない状況下で、晋平太は、折れることなく踏みとどまる。 「お前の正面 分かんだろ? 俺の正念場なんだよ 俺は今日は挑戦者なんだよ」 放映では、何週にも分けて視聴することになるが、会場では、これは続けざまに行われる耐久戦だったはずだ。 審査ヤラセ疑惑がネット上で漏れ出ているが、細切れで見ている感覚と、続けて会場で見ている感覚は大きく違うだろう。 場の持つ圧力、ヒリヒリとした空気、言葉の応酬、精神のぶつかり合い。 そこで、あれだけの長時間、ステージの中央に立ち、 モンスターたちと対峙し、「踏みとどまる決意」を持続させた晋平太の気持ちは、会場を震わせたはずだ。 勝負が終わった後。 漢さんが「ここでこういう結果になったのはバトルはバトルで「おめでとう」と素直に言える」 と語り。 般若も「素直に晋平太おめでとうございます」と言う。 いざこざも因縁を超えて、「おめでとう」と言う。 すごいことだ。 これが「勝負」の良さ、だ。 勝利し、大きな拍手をもらいながらも、厳しい表情から抜け出せない晋平太の肩をUZIが抱き 「晋平太、笑おうぜ」と言う。 はじめて晋平太の硬い表情が崩れ、ほぐれ、泣き出す。 泣き、笑いながら「ありがとうございました」と言う晋平太。 いや、もう、これ、次から番組どうするんだというぐらいの盛りあがりであり、最終回感。 般若の「モンスター解散」という爆弾発言も、もはや「それはそうだろ」という感じでもあった。 このまま同じスタイルで番組を続けていくのはむずかしいだろう。 モンスターの総入れ替え? 仕組みの変更? 個人的には、挑戦者がモンスターを倒していく勝ち抜き戦の仕組みではなくてもいいかなーと思う。 今までのメンバーも含めて、トーナメント戦をやってほしい。 ともかく来週が楽しみだ!って思ったら、次回放送は8月1日!? ううう、うずうずして待つ。 (テキスト/米光一成 イラスト/小西りえこ).

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晋平太(ラッパー)のは学歴(高校・大学)は?結婚相手(嫁)や子供・現在の活動は?

晋平太 何歳

中学校時代、ラップをやってる友達がいて、そいつの影響でヒップホップを始めました。 当時、自分のお気に入りの曲をカセットに録音して、それを友達に渡すっていうミックステープっていうのがクラスで流行ってました。 そのラップをやってる友達から渡されたミックステープの中に、沢山、日本のヒップホップの曲が入ってて、それを聴いた時に「あ、面白いな」と感じました。 あと「なんか俺にも出来そう」ってリアルに思いました(笑)それでその友達からラップのやり方を教えてもらって、実際にやってみたら楽しくて。 その後は文化祭でライブやったりもしました。 その時、周りからは「また変な事やってんな」ぐらいに見られてたと思いますけど(笑)高校生になってからは、更に色んなイベントに参加しました。 18歳の時に、初めてMCバトルに出る事になったんですけど、結果的に結構いいところまで行ったんです。 それで道が拓けていったって感じですね。 フリースタイルという、その場で起こった事をその場でラップして、そこにいる相手を言い負かすっていうものをずっとやってきました。 それが得意で、好きで、その末に今の自分があると思ってます。 21歳の時にBBOY PARKっていう、大きなMCバトルの大会で優勝して、CDデビューもしました。 当時はトントン拍子って感じでしたね。 でも、やっぱりそういうのは長くは続かない。 23、4歳の時には、一本も仕事がないような状況になってしまいました。 今振り返っても、本当にドン底の状態でした。 でも、ヒップホップが好きだという想いは変わらなかったし、自信もありました。 それに何より、周りから「やっぱ売れなかったじゃん」って馬鹿にされていたのがわかってたんで…そうなったら、絶対やめられないじゃないですか。 それで、もう一度フリースタイルバトルに賭けたって感じですね。 また日本一になれたら、何か変わるんじゃないかなと思って。 普通はね、一回CD出したりしたら、そこからまたフリースタイルに戻るってあまりないんですよ。 CD出してライブやるというアーティスト活動の方が位が高いとされてましたからね。 でも僕はそうはなれなかった。 もう一度フリースタイルに賭けるしかなかったんです。 フリースタイルの世界に戻って一生懸命やってたら、フリースタイルが世間で流行り始めたんですね。 「ヒップホップの中でフリースタイルだけが好き」みたいな奴も出てくるようになりました。 そうなると、アーティスト活動をしている奴の方がフリースタイルでやってる奴より偉いみたいに思われてたのが、少しずつ変わってきたんですよ。 フリースタイルを一生懸命やってる奴も認められるようになってきたと言うか、そういう変化を感じてます。 とてもいい事だと思いますね。 日本全国で「お前もヒップホップやってみれば?」ってスタンスで活動しています。 ヒップホップは参加して楽しむものだと思ってるんですよ。 小学生からおじさんまで、「ちょっとヒップホップやってみよう」ってなってもいいと思うんですよね。 自分はその背中を押す人になれたらいいなと思ってやってます。 ヒップホップの歴史はまだ若いので、ずっとヒップホップやり続けてジジイになってそのまま死んだって人は、まだいないんですよ。 僕はそうなりたいし、これからの世代の人達もそうなって欲しいです。 やりたい事もない、特技もない、好きな女もいない、そういう奴らって今の時代一杯いると思うんですけど、そういう奴らはラップを始めればいいと思うんです。 上手くなるかどうかはわからないですけど、人生に一つでも真剣になれるものがあると全然違うから。 ラップを通じて自己表現出来る奴が一人でも多く増えたらいいなって、そう思ってラップ講座とか色んな活動をしています。 ラップに限らず何でもいいんですけど、とにかく何か物事を始めてみて欲しいというか、自分を試して欲しいんですよね。 頑張る事はなんだっていいと思うんです。 僕だって別の仕事をしながらずっとヒップホップやってきましたから。

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