ミンストレル ショー。 ミュージカルの歴史まとめ”2”歴史的作品ショーボート、ミンストレル・ショーとの関連、ロックとの結びつき

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ミンストレル ショー

その初期においては、白人歌手やコメディアンたちが、ニグロの訛り、動作、踊り、歌などを真似るという舞台芸であった。 白人芸人たちは顔を黒く塗ってニグロに扮して歌ったそうだが、のちに黒人たちによるグループもあらわれた。 この舞台芸は、19世紀後半の頃になると、一つの劇場での長期上演されるなど、立派な大衆娯楽の地位を得た。 曲の多くは白人の作曲家が担当し、Stephen Fosterも曲を提供していた一人である。 また、1890年代には「Carry Me Back To Old Virginny」の作曲者として有名なJames Bland(彼は、なんと黒人であった。 )が、ミンストレル・ショーの一座を率いてイギリスに渡り、好評を博したという。 この時代に黒人芸人がこのような活躍をしていた事は意外だが、このJames Blandの長期滞在の影響で、イギリスにも多数のミンストレル・グループが出現したそうだ。 1910年代になると、ラジオや映画の普及によって、その大衆芸能としての地位を失う事となる。 しかしながら、小さなグループが多数残り、その後もアメリカ南部を巡業していたそうだ。 初期の重要なミュージシャンの中には、こうしたミンストレル・グループで演奏をしていた者もいるため、ジャズの誕生にはなんらかの影響を与えているはずである。

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ミンストレル

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プログラム(クリックで拡大) 前エントリー「」で、バンジョーが19世紀から20世紀初頭にかけて流行った、ミンストレル・ショーに欠かせない楽器となったと書いた。 ブラックフェイス批判によってミンストレル・ショーは消滅したが、ショービジネスの歴史の観点に立つと重要な役割を果たしたといえる。 そのミンストレル・ショーが嘉永7年(1854)、日本で演じられたことは案外知られていないかもしれない。 主催したのは黒船来航で日本を驚愕させたマシュー・ペリー提督(1794—1858)である。 ご存知ペリーは嘉永6年(1853)アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻を率い、浦賀沖に停泊させ、アメリカ合衆国大統領国書が幕府に渡した。 そして翌年に横浜沖に停泊、日米和親条約締結に至った。 開国交渉中に幕府の高官が招待され、ミンストレル・ショーが演じられた。 笠原潔著(吉川弘文館2001年)によると、交渉の節目ごとに横浜以外の函館と下田でも行われたという。 プログラムを見ると、第1部、第2部に続き、ヴァイオリンの独奏をはさんで、ブルレスクの『リヨンの娘』で終わっている。 ミンストレル・ショーの音楽を手掛けた、スティーブン・フォスター(1826-1864)の『アンクル・ネッド』『主人は冷たい土の中』などの新作も披露された。 公演の様子を描いた高川文筌の絵を見ると、バンジョー、ギター、フィドル、フルート、タンバリン、トライアングル、ボーンなどの楽器が使われている。 ペリー提督と共に日本に上陸したアメリカ音楽、黒船来航は西洋音楽の来航だった。 173• 151• 148• 149• 126• 185• 159• 186• 127•

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その72)21世紀に 「ミンストレルショー」はいらない フジテレビ系で放送されていると言えば音楽番組の老舗だ。 1964年の放送開始からずっと塩野義製薬の一社提供。 数組のアーティストがじっくり歌を聞かせる、本格的歌番組として知られている。 ここに上げられた写真を見て、私は危惧を感じた。 これはまるで「ミンストレルショー」ではないかと。 ミンストレルショーとは、19世紀の米国の大衆演芸だ。 焼いたコルクなどで顔を黒く塗り、唇を厚くかたどった白人が漫談や寸劇、歌、踊りなどを披露するのだが、内容は「怠惰で愚か」とされたアフリカ系黒人奴隷のカリカチュアを、これまた誇張した黒人訛りでその存在を嘲笑するものだった。 後にこれを黒人も演じたという。 白人がつくった差別を、生活のためとはいえ黒人自身が演じ再生産していくのだから残酷な話だ。 ミンストレルショーは、米国のエンターテインメントの嚆矢であると同時に、ステレオタイプの「黒人像」を形成するのに強い影響を与えたのだ。 ミンストレルショーは、第2次大戦後、公民権運動の高まりとその成果の公民権法成立によって、演じられることはほぼなくなった。 先述の黒塗りの顔は「ブラックフェース」と呼ばれ、現在でも忌避されている。 翻って、今回の問題である。 日本におけるドゥーワップの第一人者でもあり、一般の人々にブラックミュージックへの扉を開いたグループであることは間違いない。 それだけのグループなのだから、ブラックフェースにこうした歴史があることも承知しているだろう。 その視線に何も感じなかったのか。 彼らのブラックフェースにしても、当初は黒人音楽へのリスペクトということで好意的に受け止められていたが、差別ではないかとの指摘があってやめたことを記憶している。 であればこそ、いまブラックフェースを公共の電波に乗せるとはどういうことなのか、立ち止まって考えてほしい。 何より、インターネットで瞬時に画像が世界に広がる時代だ。 この時代に「ミンストレルショー」はいらない。 こちらもぜひご覧ください。

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