公衆トイレと人生は後ろを向いたらやり直し。 木谷恭介

[B! 書評] 『公衆トイレと人生は後ろを向いたらやり直し ソープの帝王 鈴木正雄伝』

公衆トイレと人生は後ろを向いたらやり直し

2012年発刊。 『』の著者木谷恭介が人生の最後に上梓した本である。 自分自身と日本社会に絶望し、断食安楽死を決行しようと幾度か試みて断念した著者が、持病の心不全の発作による突然死を予期しながら最後に取り組んだのが、ソープランドの帝王と呼ばれる鈴木正雄の伝記であったのは、なんとも面白い。 「死」の淵にいる人を最後に引き止めるものは「性」だというのは本当なのか。 鈴木正雄は、首都圏一円に32店舗のソープランドを展開し、3人の世界チャンピオンを輩出した角海老宝石ボクシングジム、角海老宝石などのグループ企業を経営者として率いてきた角海老グループの元総帥である。 生年は昭和7(1932)年だから、現在81歳。 すでに第一線は退いて、悠々自適の余生を送っているらしい。 高校生のときに芸者のいる置屋と料亭とを往復する人力車の車夫を始めたのをきっかけに、男性客に女性を世話する、いわゆる売春の仕事に乗り出し、24歳のときに吉原の女郎屋の経営者となる。 当時売春は違法ではなかった。 売春防止法の施行(1957年)を受けて女郎屋からトルコ(現ソープランド)経営に鞍替えし、またたく間にチェーン店を増やし、業界の雄となっていく。 鈴木正雄の話を同世代の木谷恭介(昭和2年生)がまとめたところにミソがある。 敗戦後の焼け跡の東京の風景をよく知り、次第に復興していく中で雨後の筍のごとく生いてくる怪しげな風俗をリアルタイムで経験し、高度経済成長による繁栄を謳歌し、法律による管理と飽食による欲望の停滞のうちにエネルギーを喪失していく現代日本を憂う。 同じ場所で同じ時代を生き、同じ空気を吸った者同士だからこそ通じ合うものがある。 しかも、木谷恭介は若いころ風俗ライターとして日本中のトルコ=ソープランドを取材した経験を持つ。 まさにツーカーの関係である。 マスコミ嫌いの鈴木正雄が胸襟を開くとしたら、この人を置いてほかにない。 ぼくが知るかぎり、赤線時代から現在まで、性風俗のなかに身を置き、成功しつづけてきた人物は鈴木さん以外にただのひとりもいません。 鈴木さんこそ、戦後性風俗界の第一人者であり、風俗史の生きた証人なのです。 規制と世間やマスコミの小姑根性とでがんじがらめになっている現代日本の逼塞した常識では考えられないような、戦後の「なんでもあり」の風俗事情が語られていて興味深い。 惜しむらくは、これが鈴木と木谷の対談形式になっていればもっといろいろな話が引き出せたのではないか。 残念なことに、最初の取材の後に木谷は体調が悪化し、実際の聞き役は30歳も若い知人に交代している。 「ソープランドの帝王」と聞くと、やはりイメージは良くない。 鈴木はマスコミから「女子の血をすする闇の帝王」とか「搾取人生で生んだ巨万の富」といった書かれ方をしてきた。 自分は業界のことはほとんど知らないが、ソープランドの経営は裏社会とつながりがある、働いている女性の多くは借金を抱えている、稼ぎをひものヤクザやチンピラに貢いでいる女もいる、オーナーはたいてい脱税している・・・といったイメージがある。 しかし、鈴木の言によると、「東京周辺で暴力団が経営している店はほとんどありません」。 鈴木自身もヤクザとの関係を否定しているし、嫌がらせをするヤクザと断固として闘ってもいる。 ) 働いている女性も借金の返済のため仕方なく、という従来のタイプだけでなく、「セックスが好きだから」「簡単に儲かるバイト感覚」「お店を開く資金をためるため」とドライな理由が増えてきたという。 さもありなん。 鈴木は何回も逮捕されているが、脱税で起訴されたことは一度もない。 所得申告をきちんとして莫大な税金を払ってきた。 店の女の子にも税務申告させるという。 語りから浮かび上がるのは、「筋の通った律儀な商人」の姿である。 自慢ではないですが、わたしはソープランド業界ではまじめに、良心的にやっていると思います。 従業員たちの労働環境の整備、社会保険、厚生年金加入、もちろん納税と、世間並みとはいえないまでも、肩を並べられるよう努力してきたつもりです。 もちろん、本人が語る自画像は、周囲から見た肖像より美しいに決まっている。 いくら友人でもある木谷が「誠のひと」と褒め上げようが、これだけの大人物、「光」だけではすまされまい。 光が強いほど影も濃い。 「一筋縄で行かない」からこその大物であろう。

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甲陽学院高校(こうようがくいんこうとうがっこう)は、兵庫県西宮市にある私立中学校・高等学校。 中高一貫教育であるが中高の所在地は異なっている。 (高校からの編入あり。 )学校法人辰馬育英会(白鹿グループ)。 灘中学校・高等学校と並ぶ阪神間の老舗進学校である。 1917年(大正6年)2月6日甲子園に伊賀駒吉郎氏の私立甲陽中学が設立される。 1920年(大正9年)3月6日灘五郷灘の酒造家・辰馬家の援助を得て創設された財団法人辰馬学院甲陽中学校に始まる。 1923年(大正12年)8月第9回全国中等学校優勝野球大会(現:夏の高校野球)優勝。 1940年(昭和15年)3月皇紀2600年奉祝記念事業として、専門学校令による甲陽高等商業学校を新設。 (後、工業専門学校に転じ、戦後廃校。

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木谷 恭介 木谷 恭介 誕生 西村 俊一 死没 2012-12-09 (85歳没) 言語 国籍 最終学歴 (旧制) 活動期間 - ジャンル 、 代表作 『』 デビュー作 『俺が拾った吉野太夫』 木谷 恭介(こたに きょうすけ、 - )は、日本の。 本名は 西村 俊一(にしむら しゅんいち)。 人物 [ ] 生まれ、出身。 旧制甲陽中学校(現・)卒。 劇団「新風俗」「文芸部」などを経て、ルポライター。 また、ラジオ番組『』の台本を執筆。 そのかたわら、若者向け旅行ガイドを執筆。 1977年、『俺が拾った』で第1回受賞。 以後作家生活に入り、などを舞台とした官能小説、あるいはトルコガイドブックなどを執筆していたが、1983年の『赤い霧の殺人行』から、旅情ミステリーに専念。 55歳での再出発だった。 で読者を多く獲得した。 (旧・)に居住。 静岡県内を舞台にした作品も多く、『遠州姫街道殺人事件』や『新幹線《のぞみ47号》消失!』なども執筆。 において『日曜版小説』も連載し、11月から1月まで静岡新聞夕刊にて『窓辺』も執筆した。 、掛川市内の病院で心不全のため死去。 85歳没。 主な著作 [ ]• 『若い人のための全国旅行50コース』新星出版社、1966• 『北海道 国民宿舎とユースホステルの旅』新星出版社、1967• 『四季の民宿と国民宿舎』新星出版社、1967• 『京都・奈良・南紀 国民宿舎とユースホステルの旅』新星出版社、1968• 『九州 国民宿舎とユースホステルの旅』新星出版社、1968• 『地獄大図鑑(編)』立風書房、1975 ジャガーバックス• 『孤独な指桃園書房、1979、のちフランス書院文庫• 『泡まみれの天使』桃園書房、1979• 『夜の深海魚』桃園書房、1979• 『シャボン軍団』桃源社、1980• 『墜ちて来た夜』桃園書房、1980• 『悦楽浴場』桃源社、1980• 『陶酔の奈落』グリーンアロー出版社、1980 グリーンアローブックス• 『密室には蜜の陥穽』グリーンアロー出版社、1980 グリーンアロー・ブックス• 『ファッツトルコ』池田書店、1981• 『トルコバイオレンステクニカ』池田書店、1981• 『心機一転的こころ』芸術生活社、1981• 『なめんなよ女ども!! おんなのパドック』たざわ書房、1982• 『天使たちとの夜』光風社出版、1982• 『赤い霧の殺人行』徳間書店、1983• 『密室』フランス書院文庫、1986• 『ヤッちゃん弁護士闇のお仕事ひきうけます ユーモア・ミステリー』、1986 のち文庫• 『おしゃれ捜査官 旅情ミステリー』1987, 桃園新書、『おしゃれ探偵』1990, 桃園文庫• 『孤独な指』1987, フランス書院文庫• 『「家康二人説」殺人事件』日本文芸社、1994, 日文ノベルス、のち文庫• 『新幹線《のぞみ47号》消失!』トクマ・ノベルズ、1999• 『死にたい老人』幻冬舎新書、2011• 『公衆トイレと人生は後ろを向いたらやり直し ソープの帝王・伝』光文社、2012 脚注 [ ].

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