四半世紀の結果できた 青い顔のスーパースター。 米津玄師LOSER >>日本风情>>日语>>外语爱好者网站

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四半世紀の結果できた 青い顔のスーパースター

皆さんこんにちは。 いつも読んでくださっている方、たまたま通りかかった方、ありがとうございます。 25歳になりました🎋 今日までポロポロとに記録していたものをコピペしつつ、25歳の1年の目標を書きます。 19日のバイトは早退。 (頭痛、目眩、吐き気、腹痛、嘔吐、下痢、不眠) ・ものをよく落とす。 距離感覚が掴めない感じがする。 注意力が低下しているような気持ちになる。 ・の症状か? 生理は27日から29日。 1日めは重たいが、それ以降は大したことない。 生理が来た途端に心の調子は少し軽くなるような気分になる。 (バイトは休めない、続けなければ意味がない、など) ・身体の調子は悪いのにもかかわらず、無意識にもニコニコ笑ったり先生に褒められたりしていた。 演じているつもりは無いのに? ・すぐに横になりたい割に全く眠れない。 (眠れなければという意識が強すぎる? 実際あまり眠れなくても遅刻などの弊害は一切出ない) ・課題や講義の出席関係で支障は出なかった。 すべて期限通りこなしている。 むしろ積極的に参加していた。 (オンラインのおかげもあるか?) ・自炊らしいことを一切しなかった。 ・ひとに相談したり母に泣きついたりしたら少し落ち着いた。 「話す」というだけで救われていた。 ・温泉、サウナに入ったらすごく心地よかった。 特にサウナは水風呂にも本格的に入り、2ターンした。 完璧を目指すことには変わりない。 けれど、完璧ではない今の自分の価値とそれとを紐付けない。 なぜなら今の私は、既に素敵な女性だから。 完璧を目指していることでひとを傷つけない。 重たくさせない。 自然に、息をするように、努力する。 義務を果たしてから、自分の権利を正当に、声高に、主張する。 自分を支えてくれる人にたいしての愛を惜しまない。 自虐しない。 自尊心がないなら、上げるための今この瞬間の行動を考える。 起こす。 出会う人全ての振る舞い、言葉遣いから学ぶ。 好き嫌い損得ではなく、全て勉強。 よく笑いよく泣きよく考える。 そのことをアウトプットする。 カツカツと行動しない。 結論を急がない。 長いスパンで物事を考える。 健康管理を徹底させる。 体に良いものを摂る。 手や足の振舞いに気を遣う。 その人らしさが出る1番の箇所だから。 自分が居心地が良い環境にするための努力や投資を惜しまない。 こうやってみると、私の思考はあまり変化していないように感じられる。 そして実際、これらを達成しつつある自分を褒めたい。 考えってトグで、最初はちょっと無茶でも意識して自分の理想の考えを頭のなかに巡らせるってことが大事なのかもしれない。 叶えたいこと 12. 妥協なき職業、会社選択をして継続する。 経済的自立をした上で、月の積立額を2万に戻し、も再開させる。 L'OCCITANEのハンドクリーム、化粧水を母にプレゼントする。 東北内のどこかへ温泉旅行へ行く。 自炊をより充実化させる。 パスタやクラッカーに頼りすぎず、ご飯を炊く。 蕁麻疹を治す。 趣味を見つける。 ジム週3回以上を習慣化させる。 兄や友達と県内ドライブをもっと楽しみ、でゴールド免許取得する。 気に入った家具を買う。 図書館で本を借りたらきちんと読み切る。 今目の前にある課題に対して価値を判断しない。 無駄無益だと思うことでもやってみる。 恋愛云々問わず、素敵な人との縁を逃さないよう、常に身嗜みや持ち物、機嫌を一定させる。 本当は大学に行きたかったけれど、焦って世間の目を気にしていたのだと思う。 お金の問題が一番かな? そして会社選択は見事失敗した。 まあ失敗したおかげで今私は大学生になれているので、この叶えたい目標は達成されなくて良かった。 あとのことも全然叶えられなかった。 方向性が変わった、ってことにするにしても、叶えたかったのもあるなあ。 温泉旅行とかお母さんへのプレゼントとか。 何よりゴールド免許! なんと、この目標を掲げたわずか1、2週間後に信号無視で切られた。 最悪である。。。 (会社の面接のことで頭がいっぱいだった。 まさに調子が悪くなると趣味さえもやらなくなるのが課題だな。 あとはコロナの影響でジムも休会中。 会費的にも退会することも視野に入れている。 その代わり、家で見ながら真似事したり、瞑想したりしている。 25歳、とりあえず4年はこの街で大学生なので、方向性は定まっている。 5を死守する。 (継続!!!) ・英検準一級合格する。 ・1ヶ月に3冊は本を読む。 ・体調の悪さを気力のせいにして意地で克服しようとしない。 ・自分の今の状況に応じた然るべき機関に行く。 ・自炊を怠らない。 ・ヨガ、瞑想の習慣を確実につける。 他学生より目立つ。 ・大学以外の場でも、ナーやサークルなど、いろんな大人と関わる。 (今実行中!) ・今まで私を支えてくれた人、今の私を心から愛してくれる人に心から感謝する。 ・自分の足を引っ張る人や強いネガティブ思考の人、著しく自分の未来に不利益になりうる人とは距離を置く。 今年はあえて、お金関係、バイト関係のことは目標に掲げません! だからって散財するわけじゃないけれど、お金のことを気にし過ぎて、これからの私にとって本当に大事なことを見失わないようにするため。 そして、本当はもっと書きたいこととか大事にしたい価値観とかいろんなことはあるけれど、それらを全部全部包括した上でこの目標にした。 いつからか、私はそう言い始めた。 もっとちゃんとしたい。 ちゃんと見られたい。 ちゃんと頑張りたい。 ちゃんと、ちゃんと。 もうすぐ、私は25歳になる。 19歳の頃、米津玄師さんの『LOSER』という曲にある、「四半世紀の結果できた青い顔のスーパースター」という歌詞を聴いた時、25歳なんて、とんでもなく未来のことのように思えていた。 きっとその頃には、私はきっと「ちゃんとした」スーパースターになれる気がした。 今はこんなにだめなクズな私だけど、きっとその頃には、いろんなことが変わって、私は何者かになれている、そう信じていたかった。 結果として、 私は今、19歳の頃と同じ大学で同じ一年生をやっちゃってるんだから、まったく人生っていうのはわからないことばっかりだ。 残念だけど、スーパースターにもなれていない。 「ちゃんとした」って、なんなんだろう。 昔、「マトモになりたい」と言ったら、「マトモかどうかなんて誰が決められるもんなんだ」って、ものすごく怒られたことがある。 その時は、「マトモ」なひとには私の気持ちなんて、ほんとうにはわからないんだろうなって思っていた。 要は、しようとする力や語彙力をつけようとする努力を、私はかなり怠ってきたようだ。 自分なりの頭のなかにある「ちゃんとした」イメージを、きちんと文字にして、言葉にして、もっと残しておくべきだった。 もっといろんな本を読んで、いろんな音楽を聴いて、いろんな映画を観て、いろんなひとの生き姿を焼き付けておくべきだった。 そんなひとたちにとっての「ちゃんとした」の定義と私の定義を照らし合わせたり、話をしたり、怒ったり笑ったり泣いたりしておくべきだった。 綺麗事を抜きにして、今まで私が思ってきた(いる)「ちゃんとした」ひとの具体例を羅列していこうと思う。 (今では価値観が変わって、「おぃおぃそれは違うやろ」って自分にツッコミを入れたい例はアンダーラインを引きます。 ) 逆に、最近こうはなりたくないぞって思った姿いうものも、自戒を込めて書いていこう。 当たり前ですが、私にとっての具体例であり、誰かにこれを強要するわけでもないだけでなく、これは非常に流動的なものです。 「 ちゃんとした」ひと具体例 ・毎朝決まった時間(六時前)に起きられる ・毎日部屋に掃除機、ワイパーをかけている ・部屋が綺麗に整理整頓されている ・毎日二つ以上の新聞を読んでいる ・政治や国際情勢について自分の考えを持っていて、しかもそれをひとに押し付けない ・歴史に詳しい(高校で使う資料集の知識レベル以上) ・キーボードを打つのが早い ・数学的な思考ができる(SPIを平均以上解くことができるレベル) ・リーダーシップがある ・ひとのことをよく見ていて、そのひとの特性に応じた割り振りができる ・自分の機嫌を自分で取るのがうまい ・自分の体調や精神状態を理解している ・姿勢が良い ・目標があり、それに向かって継続した努力をしている ・いつも笑っている 笑顔が素敵 ・一緒にいて楽しかった、と思わせられる ・こっそり努力している ・運動や筋トレをしている ・ヨガや瞑想をしている ・英語を勉強している(英検準一級、TOEIC800点以上くらいのレベル) ・1ヶ月以上の海外生活の経験がある ・月に5冊以上は本を読んでいる ・体に良いものを自炊して摂っている ・美味しそうにご飯を食べる ・アルバイトをしている ・専門的な知識を持っている ・貯金をしている( 正社員時代は月に5万以上、今は3万くらい) ・清潔感がある ・すれ違うとき良い香りがする ・自分に合うメイク、アクセサリーを知っている ・論理的な思考、言葉遣いができるけれど、柔らかい話し方をする ・おどおどしない ・職場や学校のような社会的な場でひとの悪口を言わない ・リアルの場で自分の過去や背景を無闇に話さない ・自分のことを過大評価、過小評価しな い ・ 東京都内で働いている ・ 正社員である ・ ひとり暮らしをしている 「 こうはなりたくないぞ」の姿 ・ひとの挨拶を無視する ・すぐに感情的になる ・遠回しな言い方をする ・生産性のない話のためだけにひとの時間を奪う ・嫌われたくないという感情を露呈する ・メモを取らない ・年齢を言い訳に何もしない ・苦労話、身の上話をする ・車の運転で大きな声を上げてひとを否定する ・自分のことを露骨に卑下する ・ひとを「外見」で判断する ・ とりあえず24歳11ヶ月を過ぎた私の価値観はこんな感じ。 理想高いなあ。 笑 正しいとか正しくないかはともかく、こうやって文字化するってやっぱり大事だな。 あ、私ってこんなこと思ってたんだ、こういう傾向がある人間なんだって再確認できる。 こうやって文字化すると、「ああ、 私はこういったひとを目指しているのね」とすんなり理解できるし、それに向かっての努力の道筋も立てやすくなる。 けれど、ただただ「ちゃんと生きたい」を連呼するのは、非常に危険だとも思った。 「ちゃんと」があまりに曖昧糢糊な言葉だから、「ちゃんとしていない」排他性がより強く感じるのだ。 だから、自分にもひとにも必然的に無闇に厳しくなる。 それは暴力的なものだ。 抽象的な概念は、ひとと自分の境界線までをも飛び越える。 境界を曖昧にすること(一般化すること)で救われることもあるけれど、それはまた、自分の考えや理想を、ひとの領域にまで持ち込んでしまう危険性がある。 これから、定期的に自分の気持ちを具体的に詳細に語る練習をしよう。 できるところから、少しずつ、自分の理想に近づいたり、磨いたりしていこう。 🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸 先日、うちの兄貴が、入所している施設の、換気中の窓から脱走して、近くのコンビニで無銭飲食したらしい。 (警察沙汰になったものの、に理解のあるコンビニオーナーのおかげで、非常に穏便に済んだとのこと。 ありがとうございます。 ) その話を備忘録としてここに書く。 そのことに関して、私は施設の職員を責め立てるつもりは毛頭ない。 確かにそれは「事故報告」案件であることに違いはないけれど、まず、今回書きたいのはそこじゃない。 私の兄が脱走して店でそういうことをしたということは、今回を含めて1回や2回の話じゃない。 文字通り、数え切れないほどのレベルで、私は小学校の頃からそういった事態に直面してきた。 私の家から歩いてすぐの場所に大きなスーパーがあって、そこの店長はうちの兄のことを店員にしっかりと周知させることまでしてくださったこともあるほどだ。 正直言って、実家を出る前までの私は、兄が脱走したとか無銭飲食したという報告を受けても、「またかよ〜w」程度にしか思っていなかった。 或いは、「 私たち家族が大変だ」と思っていたことも認める。 実の兄が店のものを勝手に飲み食いするというむなしさや怒りを、「世間の人たちはこの気持ち、絶対わかってくれない」といったもので消化しようとしていた。 でも、今回この話を聞いた時、改めて、綺麗事では決して済まされない現実を覗き込んでしまった気分になった。 「兄ちゃん、何のために生きてるんだろ?」 まず何より、コンビニで働いていたバイトの子は、どれだけ怖かったことだろう。 突然裸足の男が飛び回りながら店内に入ってきて、わけのわからない声を発しながら突然未会計の商品を開けてムシャムシャ食べ始めるのだ。 考えただけでも恐ろしいことだと思う。 うちの兄は、障害者施設に入所している。 植松の定義に従えば、完全に「生産性のない」人間だ。 そう、27歳の身で年金(生産者から得る税金)で生活をしている人間だ。 そのことを大きな声で糾弾している者が一定数いることも、当然私は知っている。 私は、植松のような思想を持つ者には深い嫌悪感を抱くくせに、ふわふわした障害者の個性だとか命の尊さを説くこともできない。 どちらにも属せない。 が生きていることに理由が必要なんだろうか。 だとしたらそれはなに? それは健常者となにが違う? それは社会的にどんな意義を持つ? そもそもそれは、障害者(they)と健常者(we)で明確に分けられること? もっと根本的に、もっと真剣に、私はこの問題と闘う勇気を持ちたい。 mercy0707 そういえば、最近、泣かなくなった。 (5月の反省もしてないままに、いま、ふと思ったことをつれづれ書いていきます。 ) 新卒で入った会社では、めちゃめちゃ泣いていた。 仕事が忙しすぎて泣いたし、自分と同期の任される仕事の差に泣いたし、上司のちょっとした感情的な言葉ひとつに泣いたし、そしてまた、そんな私を心配したあったかい先輩からの、毎日の一本に、泣いていた。 でも、あれから、2年近く経ったいま、最後に泣いたのがいつだったのか、いまいち思い出せない。 特に今週は、さんざんなことが続いているのに、それでも私は、泣いていない。 どっかに置いてきたのは、涙だけじゃないらしい。 なんだか最近、私は、なんだかんだ、よくやっている。 うちの学科から受講する人間が私しかいない他学科の講義を休むことなく受け、会ったこともない同級生らとスピーチ原稿を作り、放っておけば雪だるま式に増えていく課題をこなし、時給換算したら500円にも満たないアルバイトをし、一人暮らしとしての最低限の家事もせっせとしている。 それなりに嫌なことだったりストレスだったり疲れだったりは蓄積されていて、はーーーーあーーーと投げやりな気持ちになることもあるけれど、だからって何も投げやしない。 投げたところでそのゴミ屑をもう一度拾って分別して後始末しなければならないのは、いつだって自分だということに、どうやら本当に私は気付いてしまったらしい。 昔、高校時代だったかに、私は家庭内のストレスが原因で、リビングにあるものを投げたり落としたり蹴飛ばしたりして暴れたことが、一回ある。 安い香水を頭からかぶり、親の化粧品やら雑貨やらリモコンやらをぐっちゃぐちゃにして泣き喚いたのだ。 そのあと、その散乱したリビングの後片付けをしたのは、母だった。 私は、何も片付けなかった。 そのことを母が当時通っていた病院のに話すと、医者は母のことを叱った。 何があっても本人に片付けさせなさい、と。 今考えると、あの医者もいろいろ私の治療方針に問題があったんじゃないかという疑惑は拭きれないものがあるけれど、そのことだけは、はっきりと言える。 彼は間違えてなかった。 当時の私は、すべてに絶望していたし、何もかもをすべて家族のせいにしていた。 実際家族のせいだった部分もたくさんある。 けれど、あのとき、リビングの惨状を片付けるのは、母ではいけなかった。 どんなことが原因で、なにをもって私があそこまで暴れたのか、理由や背景がどんなに私を味方してくれたとしても、後片付けは、あのとき、わたしがしなければならなかった。 泣いても仕方ない。 なんだか、最近、それを、言葉としてだけじゃなく、実践できてしまっているみたいだ。 とはいえ 良いのかなあ。 良いのかなあ。 なんか、大事なこと、忘れてしまっているというか、あとから大きな波が押し寄せてきたときの恐怖がぴりぴりと背中を刺激するというか。 なんか、 泣いても仕方ない。 つまり、 泣いたところでなにも変わらないのも、 泣いて解決する問題なんて世の中にはそう多くないってことも、 泣いたからって誰かが私の責任を背負ってくれるわけじゃないことも、 全部、全部、全部、 わかってはいるんだけど、 それでも、 涙が抑えられなかったあの頃の感覚や 喚けば誰かが気づいてくれるという期待感は 決して甘えだけじゃなくって もっと深くてもっと大きな人間になるための、 大事なものをぎゅっと掴んでいた気がする。 mercy0707 先に言っときます。 この記事の結論は、ローラがひたすらひたすら可愛くて愛おしくてただただ愛、それだけであります。 なぜなら、持っているはインスタグラムとプラスだけで、私にとってはもはやこのブログと同じように自分の備忘録としての機能に近いから。 尊敬する人や、勉強面でも精神面でもメンターと慕っているひととの交流はあるけど、超がつくほど良好な関係だ。 当然誹謗中傷を受けたこともないし、したこともない。 だから、私は、いつだって、自分の経験にはないことには、沈黙を貫こうと決めてきた。 何かを口にする権利なんて、あるわけないと思ってきた。 それには、私が私の経験を、どこかで不可侵的なものだと思ってきた節があるからだ。 私の過去に起きたことを、誰かに代弁されたり、解説されたり、評価されたりするのがものすごく嫌だった。 お前に何がわかるんだと本気で怒りを感じたし、そういったひとに出会うたびに、静かに、けれど豪快に私は縁を切っていった。 今でも、私の経験は私だけしか共有できないと思っているところは否めない。 だから私も、他の人の経験や苦悩や悲劇を何かしらの言葉でジャッジすることはしたくない。 したくない、したくないけど、「自殺」という選択を、遂行してしまった彼らに対する、今日もこの世に残留するひとびとの言葉を、どうしても、無視できなかった。 👣👣👣👣👣 誰かが自殺したとニュースになるたび(たとえそれが不確かな情報であったとしても)に、ひとは必ず、理由を探したがる。 いじめだとか病苦だとか家庭内不和だとかいって、その原因となった者へと矛先を向ける。 それらすべて、自殺が遂行された途端に、だ。 まるでオセロの白黒が一気に逆転するような現象だって、平気で起こる。 そもそも、なぜ、自殺するのに理由が必要なのだろう。 今、この瞬間も生きている私たちは、自殺を遂行した経験なんてないはずなのに、なぜ、わかったような顔で、自殺するには理由が必要だという前提に立てるのだろう。 そしてなぜ永遠ににそれを探し求めるのだろう。 その理由を知ったところで、棺桶から彼らが微笑んでくれるとでもいうのだろうか。 そして、その最もらしい理由から、これ以上の犠牲を生まないためへの注意喚起の声も、なんだか見ていて辛い。 彼らの正義は、本当に正しくて、本当にその通りで、そのこと自体に本当に異論はないのだけど、辛くなる。 正義というのは、仮面なんじゃないか、と思う。 いつでも、生きてさえいれば付け替え可能で、だれでも手にとれて、なんだか自分という人間そのものの価値が上がったかのようにも思えてくる、仮面。 きっと、今日も生きている私たちは、今日もそれぞれがそれぞれの仮面を被りながら、ああでもないこうでもないと踊っている。 私たちは、正義を以って私たちにとっての悪を征伐したがるけれど、本当の悪は、きっと最も無意識な平凡なところに、眠っている。 その仮面を外した顔を曝す勇気もないくせに、ひとの仮面の良し悪しを見定めようと光らせる目は、本物? 今日も生きている私たちが幸せに生きていくには、自分の人生をいかにより良くアップデートできるかってことを、本気で全身全霊全力で思考して、前進していくこと、なのかもしれない。 ローラの動画を観ながら思った。 そこには、仮面をかぶるヒマなんて、無いみたいだ。 mercy0707 気付いたら5月、というよりGW最終日だということに驚いていたら、前回の記事でも似たような文章を書いている。 自分、最近は時の流れについていっていない気がする。 今年の桜は、気温があまり上がらなかったからか結構咲いていた気がする。 散るとなったら即行で散っていった。 大学は明日からです。 当面はネットを通じて授業とのこと。 最近はバイトに明け暮れていました。 訪問ヘルパーやってる大学生ってカッコよくない? みたいなノリで始めたのですが、想像以上にしんどくて四苦八苦しています。 いかにせん仕事が時間内に終わらない。 書くべき書類が溜まっている。 つまり私は今、疲れている! 私が住む県は、異常に検査の件数が少ないので、甚だ謎ではあるけれど、ウイルスの侵入は認められていない🦠 ホンマかいなと勘ぐりたくなるような症状のひともいたりいなかったり、保健所や県の体制も少し眉をひそめたくなる気がしたりしなかったりという状況ですが、まあ私は沈黙しよ。 きっと、とか冷麺とかとかいうに、を妨げる物質が含まれているのでしょう。 知らんけど。 月次反省たーいっむ。 まあ5月に足突っ込んでるけど今日までってことにします。 明日から授業ってことでキリが良いからね。 ただ、朝起きるには起きるけど(バイトがあるのでね)、あと10分、あと5分、ってタイマーをかけて愚図る自分を本当にどうにかしたい。 直したい。 どうすりゃいいの。 まあまあ慣れてきた。 けれど非常に疲れているし、自学自習よりバイトを優先させていたきがする。 よくない傾向である。 けれど、だからこそ、今はいろんな基礎の積み上げ期間と切り替えて勉強を始めました。 具体的にはオンライン英会話の再開と、教採の一般教養、あとはSPIの勉強。 特にもSPIに関しては、提出相手がいるのと、なんかその子にまけてばっかっていうのも悔しいのでそれをモチベーションに頑張ってる。 休むって難しい。。。 見たような気がするけど、印象深いものは特になかった、、、 📚読んだ本 なんかびっくりするほど関係である、、、頭を使っていないなあ、、、図書館空いてないのがざんねんだけど、そうも言ってられないからもう少しがんばろ。 ・先生に名前と顔を覚えてもらう。 それ以上はやらない。 ・報告書を出さない。 落ち着いてやる。 ・SPI毎週1単元提出する。 ・オフラインで授業始まるまでに社会科目の基礎を頭に叩き込む。 とか使わない。 ・今の体型を維持する。 ・Nには言いたいことを言いたいときにきちんと言う。 ・ 掃除機まめにかける。 5月は気持ちに余裕を持ちたいなあ。 とりあえずまた更新します。 バタバタしてるなあああああ。 ちょっと気持ちと状況が落ち着いたら、もう少しまともな記事を書こう。 書きたいこと、思ってることは頭のなかで完結させたってしかたないよね。 とりあえずなんちゃってフリーター的大学生は卒業だ!!!勉強!勉強! mercy0707 明日から4月ということに戦々恐々としている今日この頃です。 なんだか最近は、「見えないもの」に対する不安感や恐怖が世間を取り巻いていて、心なしか他者への目線が厳しくなっているような気がしてなりません。 どうなんだろうな。 私は知らないことやまだわからないことに強い意見を持てないので、関連のことには今段階では沈黙します。 スペインの医療従事者やバスの運転手たちがお互いを拍手し合って鼓舞してる動画は素直に感動したなあ。 私が進学する大学は、幸いなことに予定通り、講義共に4月上旬からスタートします。 入学式こそ中止になったものの、これはとても有難いことです。 これからどうなるかはわからないけれど、きちんと方針や注意事項を明記された文書があるので、それに従います。 さて、2月、3月の私について。 こうやって書くと本当に私は幸せものだなあああああああ。 たくさんの宝物を大切に、且つ執着せずに自分の人生をまずは自分のために。 勉強時間は68時間。 すくねえ……1月の半分も満たないなんて、、、加えてジムもあまり行けていない。 5回あるかないかレベル。 こういうご時世だからっていうのもあるけど、月額料金は変わらないわけで、ちょっと考え直す必要があるように思う。 読書と映画は今から書く。 生活で言えば、自炊の習慣がかなりついてきた。 切り干し大根めちゃくちゃ美味い。 野菜が潤っていると心が安定するね。 あとは趣味の刺繍も一個作り終えたし、これからもちまちま続けていく所存。 オルゴール聴きながら美味しいお茶と共に針を刺す時間の幸福さよ。 すんごいすんごい大好き。 最初のオープニングテーマの千雪の努力にもう涙腺が緩む。 育人の芯の強さに痺れる。 実際はもっともっと大変な派閥だとか壁だとかあるのかもわからないけれど、素人発言としてファッション大好きになりました。 私も頑張る。 『パフューム ある人殺しの物語』 ヤバイ。 この一言につきます。 最初のパリのシーンで結構具合悪くなります。 隣に彼がいたから観られたけど、1人なら挫折したと思う。 あとは正直、私の頭では難しい描写も多かったな、、、どこからがメタファーなんだ?って。 でも、最後まで観て本当に良かったです。 万人受けしないだろうけど、それこそ「香り」という目に見えないものを映像というジャンルで表現し抜いた素晴らしい作品だと思います。 『勇者ヨシヒコ』 『パフューム』の途中で休憩程度に観ました。 そういうの大事。 笑 まだシーズン1の4話めだから、精神的に疲れた時とか落ち込んだ日に観て爆笑しよう。 『』 今観るべき映画でなかった気がします。 でもで急上昇にも上がっていたみたいなので、いろんな人たち観てるかな。 私は正直、この映画を観たせいで、一時期この視点からでしか今の現実世界を見れなくなりました、、、 『』 イタリア映画です。 でも実はあと1時間観てないので、また観終わってから掲載しようかな。 とりあえず子役のトト可愛い。 読んだ本📕 『教養の書』 たまたま本屋で見かけて、思わず即書いしてしまった、、、 すごい立派なタイトルに立派な著者に立派な外見の本ですが、内容はめちゃくちゃ読みやすいです。 読みやすいけど、しっかり「教養とはなんたるか、我々はどうすべきか」を学びました。 脚注が面白いし、参考文献もたくさん載っているので、大学生活の間に読んでいこうと思います。 障害者施設における殺傷事件に、ひとつの区切りがつきました。 正直言って、とりあえず、安心しました。 良かった。 彼は彼の思想によって彼の力で自分自身を裁いたのです。 死刑のボタンを押すのは、お前自身だぞ、と言いたい。 でも、 これで終わりだなんて思うなよ。 これで終わりなわけないからな。 この事件の本質は、植松ひとりを糾弾することでも、悪魔呼ばわりすることでも、19人の命ひとりひとりを神聖化させることでも、障害者の個性に美を求めることでも、ない。 優生思想は どこにでも誰に対してでも何をきっかけとするかも問わず、じわじわと私達に侵食してくる。 考え続けることはとてもつらい。 目を背けたくなるような苦しい現実がそこにはあるし、耳を塞ぎたくなるほどの自分への後ろめたさも感じることすらある。 でも、そこで何も見なかったことにして、聞かなかったことにして、とりあえず生き延びたその先にある明日、私達は何者かにナイフを突きつけられるかもしれない。 気づけば自分が誰かを殺しているかもしれない。 この事件の判決がピリオドなんて思っちゃいけない。 思考を止めるな! mercy0707.

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四半世紀の結果できた 青い顔のスーパースター

最初にMVを見た時、あまりのダンスの表現力と技術にびっくりしました! ちなみに、MVの振付を担当されたのは、かの有名なシルク・ド・ソレイユや、Siaの「アライヴ」で土屋太鳳さんが踊るダンスの振付も担当された 辻本和彦さん。 しかも、そんな経歴を持つ辻本さんが、なんと米津さんのダンスを絶賛しているんだそうです。 指先の繊細さと長い手足を活かしたダンスに「惚れ惚れするほど美しい」と、辻本さんがコメントもしています。 裏話ですが、米津さんはこの撮影のために2、3週間毎日レッスンを受けていて、激しい運動をするのは中学生ぶりだったらしく地獄の日々だったそうです。 笑 ただ、かっこいい映像を撮るために妥協はしない米津さんだからこそ、納得するまで諦めなかったそうで、撮影の最終段階で議論が白熱していたとか。 実際、ダンスの種類としては型にはまらないようなものなのですが、ジャンル的にはPOPやアニメーション、一部ブレイクのステップなどが取り入れられています。 特に、足を滑らせるムーンウォークの類のあの振りや、途中で自分の身体を制御できなくなるような勢いに押されたような振りは前衛的で、とても数週間で得た技術とは思えません。 曲もすごくて、ダンスもすごい・・・どうなってるんだ米津玄師…。 米津玄師「LOSER」歌詞の意味を考察! ちょっと熱くなりすぎましたが、ここからは「Loser」の歌詞の意味について考察していきたいと思います。 ちなみにこの曲、ノリの良いテンポとダンスの魅力が光る一方で、歌詞の意味が難解で良くわからないと言う声も聞きます。 そんな難解な歌詞も読み解きつつ、意味について掘り下げていきたいと思います。 いつもと同じ一人きりの帰り道。 どこかに行きたいのにどこにもいけない。 変えたいのに変えられない苦しみ。 米津玄師さん自身うつ病や一部障害を抱えていたことがあり 子供の頃にも味わっていた孤独や辛さが表現されているのかもしれません。 変えるには、逃げてしまえばいい。 明日へ逃げてしまえばいい。 目を閉じて暗闇に溶けてしまえば、明日は自然と踊りくるのだから。 とにかく逃げるために、ベッドで今日にさよならを告げるのです。 米津玄師「LOSER」Bメロ 歌詞の意味 歩き回ってやっとついた ここはどうだ楽園か? 過去の辛い経験を乗り越えて、歌手として道を歩んできてやっとここまで辿り着いた。 ファンもできて居場所もできて評価もされて、自分の道を定めることができた。 他人から見ればうらやまれるような成功を手にした立場であるはずなのに、なぜか疑問を抱きます。 「 ここは楽園か?今となっちゃもうわからない」 自分の音楽とは、作り出すべき音楽とは、求められる音楽とは・・・ 居場所が用意されている恵まれた状況を捨てたくなる、音楽をやめたくなる、全て捨てて遠くに行きたくなる・・・ 時にはそんなことも考えると言う米津玄師さん。 今に満足することができないのは、過去の経験があるからかもしれません。 どこまでいってもあの恐怖が迫り来るかもしれない。 また逃げたくなるかもしれない。 何が正解なのか、どうすれば自分に疑問を持たずに自信を溢れることができるのか・・・ 「四半世紀の結果出来た 青い顔のスーパースターが お腹すかしてはまってる」 当時米津玄師さんは25歳だったこともあり、自身のことを示しているようです。 青い顔のスーパースターはこの後の歌詞であきらかになりますが、 いわゆる ロック界の反逆者としての存在を比喩しています。 自分にも、そんな反逆者とも似た精神がどこかに残っていると歌う米津玄師さん。 喰われぬように、どう自分を動かすか、日々戦っているのかもしれません。 繰り返される「アイアムルーザー」と言う歌詞は、米津玄師さん自身の心の声のようです。 どこまでいっても自信など無い、自己肯定感の低さが自分をルーザーと呼ぶ意味なのでしょう。 ただ、自分には聞こえていたのです。 心のなかには伝えたいものがあることを。 子供時代に言いたかったことがここの目的語なのかもしれません。 ずっと、溢れては心の内に秘めていた想いを、たとえ負け犬の遠吠えに思われたっていいから もう言ってやろうぜ。 変えてやろうぜ。 そんな、彼自身を変えるような強い意志を感じるサビです。 世間は賛否両論。 彼の楽曲についても良くも悪くも様々な意見が飛び交って来ました。 彼自信を楽曲で展開する、と言うことは、ある意味彼自信を晒すことでもあります。 心に積もった塵もあるが、一歩引いた世界から見ればそんなものちっぽけなものです。 何万本売れたとか、そう言うことに重きをおいていない、 米津玄師さんの音楽に対する考え方と重なる部分があります。 1990年代にロック界で名を残し、2人とも20代で若くして亡くなりました。 イアンは、ライブ演奏時には人が変わったように痙攣するような動作をしたりとカルト的な一面があったよう。 死の直前には英チャート6位を記録しますが、精神状態がかなり不安定になっており 普段は落ち着いているにも関わらず突然激しい口調になったりしていました。 カートは、メジャーで最初のアルバムから大成功を収めるも、元々アングラな世界をルーツとしていた彼は、その成功をうまく受け止めることができず 精神を病んでいきます。 その後も思い通りの作曲ができず、うつ病、薬物依存に苦しみ、最後には自殺でこの世を去りました。 やはりどこか米津玄師さんに重なる部分が見受けられますね。 「彼らに中指を立ててももういない。 」 彼らは過去の人。 今賛否両論しても意味がない。 意味があるのは、ここから立ち上がるための教訓にすることだけだ。 この対象は、イアンとカートのことを言っているのでしょうか? それだけでは無い様な気がします。 「踊る阿呆に見る阿呆」「我らそれを端からわらう阿呆」 大衆受けする音楽問題。 ありますよね。 ミュージシャンとはきっといつの時代も、受けるか受けないか、作りたいか作りたくないか その狭間でひしめき合っているものだと思うのです。 作られた楽曲で踊り狂い好きに楽しむ大衆と、それを端から笑うのも阿呆だと。 提供側である自分たちのことを言っているのかもしれません。 結局そんな意志のひしめき合いは自意識の過剰が招いているのではないか。 そのせいで心をすり減らしたあとは、結局エゴでファイナライズするのです。 「酸っぱい葡萄」と言うのはイソップ童話の一つで、 お腹をすかせた1匹の狐が木の上になるよく実った葡萄を見つけて、 必死でジャンプするもどうしても届かなかった時「 あれはどうせ酸っぱいに違いない」といって取るのをやめる話です。 自分のものにしたくてもどうしても叶わないとき、人はその対象を価値のないものとして見直して、 心の平安を保つと言う話です。 この比喩を使うあたり、流石のチョイスですね・・・。 「前髪」と「前が見」で韻を踏んでいるところも面白いですね。 小さな悩みに囚われたり、評価を気にして一喜一憂しているうちに人生なんてフワッと消えちゃえる。 その繰り返しである。 と謳っています。 少し表現に前向きさが出てきています。 「愛されたいならそう言おうぜ」 今までの米津玄師さんであればこんな言葉を使ったでしょうか。 過去の米津さんを考えると、以前の彼からは浮かんでこない歌詞だったでしょう。 何か、変わらなくてはならない。 このままではいけない、と言う強い意志を感じます。 ここで出てくる「 永遠の淑女」とは、永遠の女性としても有名な、ベアトリーチェというイタリアの女性のことを指していると思われます。 特に 「LOSER」を作曲するきっかけとなったルーヴル美術館特別展にもかけているのでしょう。 前向きな歌詞を歌った後で、これです。 「ちょっとまった。 本当に大丈夫なのか?」と。 暗闇は心の何処かにあるものです。 心のストッパーは自分を守るために影に隠れて出番を待ち構えています。 しかし、ここでは更に強く言い返します。 わかっている。 自分はLOSER。 負け犬だ。 そんなことはわかっているけれど、知った上で、変わりたいんだ。 変わる必要があるんだ、と。 遠くから少しずつ聞こえる様になった音を、気持ちを、本性を、逃すな、と。 「アイオライト」ですが、宝石の名前の様で、「本質」といった意味合いがある様です。 ずっと探している彼の人生、音楽における本質はきっとどこかで出会えるはず。 一度見つけたら逃すな! といった覚悟が感じられます。 何も行動しなければ、いまにさよならだよ、と。 この歌詞ですが、歴史上の人物十返舎一九の 『 この世をば どりゃ おいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら』から引用されているようです。 「行動を起こさずうだうだしていると、線香の煙とともに灰になってしまうよ」と言う意味だそうです。 「ロスタイムのそのまた奥へ行け」 ロスタイムとはサッカーなどのスポーツの延長戦のことですが、ここでは人生のロスタイムの様に聞こえますね。 何もせずただ願うだけのLOSERでいたら、人生のロスタイムの先に行ってしまう。 このまま人生を無駄にしたいのか? そう警告しているかの様です。 感じてることがあるなら声に出さないと意味がない。 この声が聞こえてるなら返事をしてくれ! 過去の米津さんを打ち勝とうとしている歌詞が多くありましたが、 ここでは踊ってみようぜ、転がっていこうぜ、声出していこうぜ、と複数人に声をかけているかの様な歌詞になっています。 自分だけでなく、きっと米津さんのリスナーに向けたメッセージでもあるのではないでしょうか? 自分の音楽を聴いている人たちは、きっと自分に近い感覚を持っているだろうし 同じような人生を歩んできたかもしれない。 孤独に泣く夜もあるけれど、打ち勝っていこう、一人ではないのだから。 そんな風に勇気付けられているようです。 そして、ラスサビへ。 米津玄師「LOSER」歌詞の意味を考察 まとめ ここまで「LOSER」の歌詞を考察して来ましたが、いかがでしたでしょうか? やはり米津玄師さん自身の 心の声を描いた部分が多く見られましたね。 過去の苦しみ、乗り越えた自分、輝かしい現在の自分、見え隠れする逃げたい自分や自己肯定感の低さ・・。 正解を模索し続ける彼の人生とこれからの縮図を見せられたような気分になりました。 さて、ラスサビが終わったあとの米津玄師さんの表情。 気づきましたでしょうか? MV中一度も見せなかった、口角を少し上げた、ホッとした方なニヤリとしたような表情をしています。 この曲の歌詞にも出てくるように、LOSER、である自分を認めて変わっていく・・・ ある意味割り切って、 変わろうとしている米津玄師さん自身の感情を表していたのかもしれません。 彼は今後、どんな楽曲をどんな意味を込めて作っていくのか、どんな人生を描いていくのか・・・ 米津玄師さんのこれからの音楽を、そんな視点から見つめてみるのもいいかもしれません。

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米津玄師『LOSER』歌詞の意味がすごい!

四半世紀の結果できた 青い顔のスーパースター

皆さんこんにちは。 いつも読んでくださっている方、たまたま通りかかった方、ありがとうございます。 25歳になりました🎋 今日までポロポロとに記録していたものをコピペしつつ、25歳の1年の目標を書きます。 19日のバイトは早退。 (頭痛、目眩、吐き気、腹痛、嘔吐、下痢、不眠) ・ものをよく落とす。 距離感覚が掴めない感じがする。 注意力が低下しているような気持ちになる。 ・の症状か? 生理は27日から29日。 1日めは重たいが、それ以降は大したことない。 生理が来た途端に心の調子は少し軽くなるような気分になる。 (バイトは休めない、続けなければ意味がない、など) ・身体の調子は悪いのにもかかわらず、無意識にもニコニコ笑ったり先生に褒められたりしていた。 演じているつもりは無いのに? ・すぐに横になりたい割に全く眠れない。 (眠れなければという意識が強すぎる? 実際あまり眠れなくても遅刻などの弊害は一切出ない) ・課題や講義の出席関係で支障は出なかった。 すべて期限通りこなしている。 むしろ積極的に参加していた。 (オンラインのおかげもあるか?) ・自炊らしいことを一切しなかった。 ・ひとに相談したり母に泣きついたりしたら少し落ち着いた。 「話す」というだけで救われていた。 ・温泉、サウナに入ったらすごく心地よかった。 特にサウナは水風呂にも本格的に入り、2ターンした。 完璧を目指すことには変わりない。 けれど、完璧ではない今の自分の価値とそれとを紐付けない。 なぜなら今の私は、既に素敵な女性だから。 完璧を目指していることでひとを傷つけない。 重たくさせない。 自然に、息をするように、努力する。 義務を果たしてから、自分の権利を正当に、声高に、主張する。 自分を支えてくれる人にたいしての愛を惜しまない。 自虐しない。 自尊心がないなら、上げるための今この瞬間の行動を考える。 起こす。 出会う人全ての振る舞い、言葉遣いから学ぶ。 好き嫌い損得ではなく、全て勉強。 よく笑いよく泣きよく考える。 そのことをアウトプットする。 カツカツと行動しない。 結論を急がない。 長いスパンで物事を考える。 健康管理を徹底させる。 体に良いものを摂る。 手や足の振舞いに気を遣う。 その人らしさが出る1番の箇所だから。 自分が居心地が良い環境にするための努力や投資を惜しまない。 こうやってみると、私の思考はあまり変化していないように感じられる。 そして実際、これらを達成しつつある自分を褒めたい。 考えってトグで、最初はちょっと無茶でも意識して自分の理想の考えを頭のなかに巡らせるってことが大事なのかもしれない。 叶えたいこと 12. 妥協なき職業、会社選択をして継続する。 経済的自立をした上で、月の積立額を2万に戻し、も再開させる。 L'OCCITANEのハンドクリーム、化粧水を母にプレゼントする。 東北内のどこかへ温泉旅行へ行く。 自炊をより充実化させる。 パスタやクラッカーに頼りすぎず、ご飯を炊く。 蕁麻疹を治す。 趣味を見つける。 ジム週3回以上を習慣化させる。 兄や友達と県内ドライブをもっと楽しみ、でゴールド免許取得する。 気に入った家具を買う。 図書館で本を借りたらきちんと読み切る。 今目の前にある課題に対して価値を判断しない。 無駄無益だと思うことでもやってみる。 恋愛云々問わず、素敵な人との縁を逃さないよう、常に身嗜みや持ち物、機嫌を一定させる。 本当は大学に行きたかったけれど、焦って世間の目を気にしていたのだと思う。 お金の問題が一番かな? そして会社選択は見事失敗した。 まあ失敗したおかげで今私は大学生になれているので、この叶えたい目標は達成されなくて良かった。 あとのことも全然叶えられなかった。 方向性が変わった、ってことにするにしても、叶えたかったのもあるなあ。 温泉旅行とかお母さんへのプレゼントとか。 何よりゴールド免許! なんと、この目標を掲げたわずか1、2週間後に信号無視で切られた。 最悪である。。。 (会社の面接のことで頭がいっぱいだった。 まさに調子が悪くなると趣味さえもやらなくなるのが課題だな。 あとはコロナの影響でジムも休会中。 会費的にも退会することも視野に入れている。 その代わり、家で見ながら真似事したり、瞑想したりしている。 25歳、とりあえず4年はこの街で大学生なので、方向性は定まっている。 5を死守する。 (継続!!!) ・英検準一級合格する。 ・1ヶ月に3冊は本を読む。 ・体調の悪さを気力のせいにして意地で克服しようとしない。 ・自分の今の状況に応じた然るべき機関に行く。 ・自炊を怠らない。 ・ヨガ、瞑想の習慣を確実につける。 他学生より目立つ。 ・大学以外の場でも、ナーやサークルなど、いろんな大人と関わる。 (今実行中!) ・今まで私を支えてくれた人、今の私を心から愛してくれる人に心から感謝する。 ・自分の足を引っ張る人や強いネガティブ思考の人、著しく自分の未来に不利益になりうる人とは距離を置く。 今年はあえて、お金関係、バイト関係のことは目標に掲げません! だからって散財するわけじゃないけれど、お金のことを気にし過ぎて、これからの私にとって本当に大事なことを見失わないようにするため。 そして、本当はもっと書きたいこととか大事にしたい価値観とかいろんなことはあるけれど、それらを全部全部包括した上でこの目標にした。 いつからか、私はそう言い始めた。 もっとちゃんとしたい。 ちゃんと見られたい。 ちゃんと頑張りたい。 ちゃんと、ちゃんと。 もうすぐ、私は25歳になる。 19歳の頃、米津玄師さんの『LOSER』という曲にある、「四半世紀の結果できた青い顔のスーパースター」という歌詞を聴いた時、25歳なんて、とんでもなく未来のことのように思えていた。 きっとその頃には、私はきっと「ちゃんとした」スーパースターになれる気がした。 今はこんなにだめなクズな私だけど、きっとその頃には、いろんなことが変わって、私は何者かになれている、そう信じていたかった。 結果として、 私は今、19歳の頃と同じ大学で同じ一年生をやっちゃってるんだから、まったく人生っていうのはわからないことばっかりだ。 残念だけど、スーパースターにもなれていない。 「ちゃんとした」って、なんなんだろう。 昔、「マトモになりたい」と言ったら、「マトモかどうかなんて誰が決められるもんなんだ」って、ものすごく怒られたことがある。 その時は、「マトモ」なひとには私の気持ちなんて、ほんとうにはわからないんだろうなって思っていた。 要は、しようとする力や語彙力をつけようとする努力を、私はかなり怠ってきたようだ。 自分なりの頭のなかにある「ちゃんとした」イメージを、きちんと文字にして、言葉にして、もっと残しておくべきだった。 もっといろんな本を読んで、いろんな音楽を聴いて、いろんな映画を観て、いろんなひとの生き姿を焼き付けておくべきだった。 そんなひとたちにとっての「ちゃんとした」の定義と私の定義を照らし合わせたり、話をしたり、怒ったり笑ったり泣いたりしておくべきだった。 綺麗事を抜きにして、今まで私が思ってきた(いる)「ちゃんとした」ひとの具体例を羅列していこうと思う。 (今では価値観が変わって、「おぃおぃそれは違うやろ」って自分にツッコミを入れたい例はアンダーラインを引きます。 ) 逆に、最近こうはなりたくないぞって思った姿いうものも、自戒を込めて書いていこう。 当たり前ですが、私にとっての具体例であり、誰かにこれを強要するわけでもないだけでなく、これは非常に流動的なものです。 「 ちゃんとした」ひと具体例 ・毎朝決まった時間(六時前)に起きられる ・毎日部屋に掃除機、ワイパーをかけている ・部屋が綺麗に整理整頓されている ・毎日二つ以上の新聞を読んでいる ・政治や国際情勢について自分の考えを持っていて、しかもそれをひとに押し付けない ・歴史に詳しい(高校で使う資料集の知識レベル以上) ・キーボードを打つのが早い ・数学的な思考ができる(SPIを平均以上解くことができるレベル) ・リーダーシップがある ・ひとのことをよく見ていて、そのひとの特性に応じた割り振りができる ・自分の機嫌を自分で取るのがうまい ・自分の体調や精神状態を理解している ・姿勢が良い ・目標があり、それに向かって継続した努力をしている ・いつも笑っている 笑顔が素敵 ・一緒にいて楽しかった、と思わせられる ・こっそり努力している ・運動や筋トレをしている ・ヨガや瞑想をしている ・英語を勉強している(英検準一級、TOEIC800点以上くらいのレベル) ・1ヶ月以上の海外生活の経験がある ・月に5冊以上は本を読んでいる ・体に良いものを自炊して摂っている ・美味しそうにご飯を食べる ・アルバイトをしている ・専門的な知識を持っている ・貯金をしている( 正社員時代は月に5万以上、今は3万くらい) ・清潔感がある ・すれ違うとき良い香りがする ・自分に合うメイク、アクセサリーを知っている ・論理的な思考、言葉遣いができるけれど、柔らかい話し方をする ・おどおどしない ・職場や学校のような社会的な場でひとの悪口を言わない ・リアルの場で自分の過去や背景を無闇に話さない ・自分のことを過大評価、過小評価しな い ・ 東京都内で働いている ・ 正社員である ・ ひとり暮らしをしている 「 こうはなりたくないぞ」の姿 ・ひとの挨拶を無視する ・すぐに感情的になる ・遠回しな言い方をする ・生産性のない話のためだけにひとの時間を奪う ・嫌われたくないという感情を露呈する ・メモを取らない ・年齢を言い訳に何もしない ・苦労話、身の上話をする ・車の運転で大きな声を上げてひとを否定する ・自分のことを露骨に卑下する ・ひとを「外見」で判断する ・ とりあえず24歳11ヶ月を過ぎた私の価値観はこんな感じ。 理想高いなあ。 笑 正しいとか正しくないかはともかく、こうやって文字化するってやっぱり大事だな。 あ、私ってこんなこと思ってたんだ、こういう傾向がある人間なんだって再確認できる。 こうやって文字化すると、「ああ、 私はこういったひとを目指しているのね」とすんなり理解できるし、それに向かっての努力の道筋も立てやすくなる。 けれど、ただただ「ちゃんと生きたい」を連呼するのは、非常に危険だとも思った。 「ちゃんと」があまりに曖昧糢糊な言葉だから、「ちゃんとしていない」排他性がより強く感じるのだ。 だから、自分にもひとにも必然的に無闇に厳しくなる。 それは暴力的なものだ。 抽象的な概念は、ひとと自分の境界線までをも飛び越える。 境界を曖昧にすること(一般化すること)で救われることもあるけれど、それはまた、自分の考えや理想を、ひとの領域にまで持ち込んでしまう危険性がある。 これから、定期的に自分の気持ちを具体的に詳細に語る練習をしよう。 できるところから、少しずつ、自分の理想に近づいたり、磨いたりしていこう。 🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸 先日、うちの兄貴が、入所している施設の、換気中の窓から脱走して、近くのコンビニで無銭飲食したらしい。 (警察沙汰になったものの、に理解のあるコンビニオーナーのおかげで、非常に穏便に済んだとのこと。 ありがとうございます。 ) その話を備忘録としてここに書く。 そのことに関して、私は施設の職員を責め立てるつもりは毛頭ない。 確かにそれは「事故報告」案件であることに違いはないけれど、まず、今回書きたいのはそこじゃない。 私の兄が脱走して店でそういうことをしたということは、今回を含めて1回や2回の話じゃない。 文字通り、数え切れないほどのレベルで、私は小学校の頃からそういった事態に直面してきた。 私の家から歩いてすぐの場所に大きなスーパーがあって、そこの店長はうちの兄のことを店員にしっかりと周知させることまでしてくださったこともあるほどだ。 正直言って、実家を出る前までの私は、兄が脱走したとか無銭飲食したという報告を受けても、「またかよ〜w」程度にしか思っていなかった。 或いは、「 私たち家族が大変だ」と思っていたことも認める。 実の兄が店のものを勝手に飲み食いするというむなしさや怒りを、「世間の人たちはこの気持ち、絶対わかってくれない」といったもので消化しようとしていた。 でも、今回この話を聞いた時、改めて、綺麗事では決して済まされない現実を覗き込んでしまった気分になった。 「兄ちゃん、何のために生きてるんだろ?」 まず何より、コンビニで働いていたバイトの子は、どれだけ怖かったことだろう。 突然裸足の男が飛び回りながら店内に入ってきて、わけのわからない声を発しながら突然未会計の商品を開けてムシャムシャ食べ始めるのだ。 考えただけでも恐ろしいことだと思う。 うちの兄は、障害者施設に入所している。 植松の定義に従えば、完全に「生産性のない」人間だ。 そう、27歳の身で年金(生産者から得る税金)で生活をしている人間だ。 そのことを大きな声で糾弾している者が一定数いることも、当然私は知っている。 私は、植松のような思想を持つ者には深い嫌悪感を抱くくせに、ふわふわした障害者の個性だとか命の尊さを説くこともできない。 どちらにも属せない。 が生きていることに理由が必要なんだろうか。 だとしたらそれはなに? それは健常者となにが違う? それは社会的にどんな意義を持つ? そもそもそれは、障害者(they)と健常者(we)で明確に分けられること? もっと根本的に、もっと真剣に、私はこの問題と闘う勇気を持ちたい。 mercy0707 そういえば、最近、泣かなくなった。 (5月の反省もしてないままに、いま、ふと思ったことをつれづれ書いていきます。 ) 新卒で入った会社では、めちゃめちゃ泣いていた。 仕事が忙しすぎて泣いたし、自分と同期の任される仕事の差に泣いたし、上司のちょっとした感情的な言葉ひとつに泣いたし、そしてまた、そんな私を心配したあったかい先輩からの、毎日の一本に、泣いていた。 でも、あれから、2年近く経ったいま、最後に泣いたのがいつだったのか、いまいち思い出せない。 特に今週は、さんざんなことが続いているのに、それでも私は、泣いていない。 どっかに置いてきたのは、涙だけじゃないらしい。 なんだか最近、私は、なんだかんだ、よくやっている。 うちの学科から受講する人間が私しかいない他学科の講義を休むことなく受け、会ったこともない同級生らとスピーチ原稿を作り、放っておけば雪だるま式に増えていく課題をこなし、時給換算したら500円にも満たないアルバイトをし、一人暮らしとしての最低限の家事もせっせとしている。 それなりに嫌なことだったりストレスだったり疲れだったりは蓄積されていて、はーーーーあーーーと投げやりな気持ちになることもあるけれど、だからって何も投げやしない。 投げたところでそのゴミ屑をもう一度拾って分別して後始末しなければならないのは、いつだって自分だということに、どうやら本当に私は気付いてしまったらしい。 昔、高校時代だったかに、私は家庭内のストレスが原因で、リビングにあるものを投げたり落としたり蹴飛ばしたりして暴れたことが、一回ある。 安い香水を頭からかぶり、親の化粧品やら雑貨やらリモコンやらをぐっちゃぐちゃにして泣き喚いたのだ。 そのあと、その散乱したリビングの後片付けをしたのは、母だった。 私は、何も片付けなかった。 そのことを母が当時通っていた病院のに話すと、医者は母のことを叱った。 何があっても本人に片付けさせなさい、と。 今考えると、あの医者もいろいろ私の治療方針に問題があったんじゃないかという疑惑は拭きれないものがあるけれど、そのことだけは、はっきりと言える。 彼は間違えてなかった。 当時の私は、すべてに絶望していたし、何もかもをすべて家族のせいにしていた。 実際家族のせいだった部分もたくさんある。 けれど、あのとき、リビングの惨状を片付けるのは、母ではいけなかった。 どんなことが原因で、なにをもって私があそこまで暴れたのか、理由や背景がどんなに私を味方してくれたとしても、後片付けは、あのとき、わたしがしなければならなかった。 泣いても仕方ない。 なんだか、最近、それを、言葉としてだけじゃなく、実践できてしまっているみたいだ。 とはいえ 良いのかなあ。 良いのかなあ。 なんか、大事なこと、忘れてしまっているというか、あとから大きな波が押し寄せてきたときの恐怖がぴりぴりと背中を刺激するというか。 なんか、 泣いても仕方ない。 つまり、 泣いたところでなにも変わらないのも、 泣いて解決する問題なんて世の中にはそう多くないってことも、 泣いたからって誰かが私の責任を背負ってくれるわけじゃないことも、 全部、全部、全部、 わかってはいるんだけど、 それでも、 涙が抑えられなかったあの頃の感覚や 喚けば誰かが気づいてくれるという期待感は 決して甘えだけじゃなくって もっと深くてもっと大きな人間になるための、 大事なものをぎゅっと掴んでいた気がする。 mercy0707 先に言っときます。 この記事の結論は、ローラがひたすらひたすら可愛くて愛おしくてただただ愛、それだけであります。 なぜなら、持っているはインスタグラムとプラスだけで、私にとってはもはやこのブログと同じように自分の備忘録としての機能に近いから。 尊敬する人や、勉強面でも精神面でもメンターと慕っているひととの交流はあるけど、超がつくほど良好な関係だ。 当然誹謗中傷を受けたこともないし、したこともない。 だから、私は、いつだって、自分の経験にはないことには、沈黙を貫こうと決めてきた。 何かを口にする権利なんて、あるわけないと思ってきた。 それには、私が私の経験を、どこかで不可侵的なものだと思ってきた節があるからだ。 私の過去に起きたことを、誰かに代弁されたり、解説されたり、評価されたりするのがものすごく嫌だった。 お前に何がわかるんだと本気で怒りを感じたし、そういったひとに出会うたびに、静かに、けれど豪快に私は縁を切っていった。 今でも、私の経験は私だけしか共有できないと思っているところは否めない。 だから私も、他の人の経験や苦悩や悲劇を何かしらの言葉でジャッジすることはしたくない。 したくない、したくないけど、「自殺」という選択を、遂行してしまった彼らに対する、今日もこの世に残留するひとびとの言葉を、どうしても、無視できなかった。 👣👣👣👣👣 誰かが自殺したとニュースになるたび(たとえそれが不確かな情報であったとしても)に、ひとは必ず、理由を探したがる。 いじめだとか病苦だとか家庭内不和だとかいって、その原因となった者へと矛先を向ける。 それらすべて、自殺が遂行された途端に、だ。 まるでオセロの白黒が一気に逆転するような現象だって、平気で起こる。 そもそも、なぜ、自殺するのに理由が必要なのだろう。 今、この瞬間も生きている私たちは、自殺を遂行した経験なんてないはずなのに、なぜ、わかったような顔で、自殺するには理由が必要だという前提に立てるのだろう。 そしてなぜ永遠ににそれを探し求めるのだろう。 その理由を知ったところで、棺桶から彼らが微笑んでくれるとでもいうのだろうか。 そして、その最もらしい理由から、これ以上の犠牲を生まないためへの注意喚起の声も、なんだか見ていて辛い。 彼らの正義は、本当に正しくて、本当にその通りで、そのこと自体に本当に異論はないのだけど、辛くなる。 正義というのは、仮面なんじゃないか、と思う。 いつでも、生きてさえいれば付け替え可能で、だれでも手にとれて、なんだか自分という人間そのものの価値が上がったかのようにも思えてくる、仮面。 きっと、今日も生きている私たちは、今日もそれぞれがそれぞれの仮面を被りながら、ああでもないこうでもないと踊っている。 私たちは、正義を以って私たちにとっての悪を征伐したがるけれど、本当の悪は、きっと最も無意識な平凡なところに、眠っている。 その仮面を外した顔を曝す勇気もないくせに、ひとの仮面の良し悪しを見定めようと光らせる目は、本物? 今日も生きている私たちが幸せに生きていくには、自分の人生をいかにより良くアップデートできるかってことを、本気で全身全霊全力で思考して、前進していくこと、なのかもしれない。 ローラの動画を観ながら思った。 そこには、仮面をかぶるヒマなんて、無いみたいだ。 mercy0707 気付いたら5月、というよりGW最終日だということに驚いていたら、前回の記事でも似たような文章を書いている。 自分、最近は時の流れについていっていない気がする。 今年の桜は、気温があまり上がらなかったからか結構咲いていた気がする。 散るとなったら即行で散っていった。 大学は明日からです。 当面はネットを通じて授業とのこと。 最近はバイトに明け暮れていました。 訪問ヘルパーやってる大学生ってカッコよくない? みたいなノリで始めたのですが、想像以上にしんどくて四苦八苦しています。 いかにせん仕事が時間内に終わらない。 書くべき書類が溜まっている。 つまり私は今、疲れている! 私が住む県は、異常に検査の件数が少ないので、甚だ謎ではあるけれど、ウイルスの侵入は認められていない🦠 ホンマかいなと勘ぐりたくなるような症状のひともいたりいなかったり、保健所や県の体制も少し眉をひそめたくなる気がしたりしなかったりという状況ですが、まあ私は沈黙しよ。 きっと、とか冷麺とかとかいうに、を妨げる物質が含まれているのでしょう。 知らんけど。 月次反省たーいっむ。 まあ5月に足突っ込んでるけど今日までってことにします。 明日から授業ってことでキリが良いからね。 ただ、朝起きるには起きるけど(バイトがあるのでね)、あと10分、あと5分、ってタイマーをかけて愚図る自分を本当にどうにかしたい。 直したい。 どうすりゃいいの。 まあまあ慣れてきた。 けれど非常に疲れているし、自学自習よりバイトを優先させていたきがする。 よくない傾向である。 けれど、だからこそ、今はいろんな基礎の積み上げ期間と切り替えて勉強を始めました。 具体的にはオンライン英会話の再開と、教採の一般教養、あとはSPIの勉強。 特にもSPIに関しては、提出相手がいるのと、なんかその子にまけてばっかっていうのも悔しいのでそれをモチベーションに頑張ってる。 休むって難しい。。。 見たような気がするけど、印象深いものは特になかった、、、 📚読んだ本 なんかびっくりするほど関係である、、、頭を使っていないなあ、、、図書館空いてないのがざんねんだけど、そうも言ってられないからもう少しがんばろ。 ・先生に名前と顔を覚えてもらう。 それ以上はやらない。 ・報告書を出さない。 落ち着いてやる。 ・SPI毎週1単元提出する。 ・オフラインで授業始まるまでに社会科目の基礎を頭に叩き込む。 とか使わない。 ・今の体型を維持する。 ・Nには言いたいことを言いたいときにきちんと言う。 ・ 掃除機まめにかける。 5月は気持ちに余裕を持ちたいなあ。 とりあえずまた更新します。 バタバタしてるなあああああ。 ちょっと気持ちと状況が落ち着いたら、もう少しまともな記事を書こう。 書きたいこと、思ってることは頭のなかで完結させたってしかたないよね。 とりあえずなんちゃってフリーター的大学生は卒業だ!!!勉強!勉強! mercy0707 明日から4月ということに戦々恐々としている今日この頃です。 なんだか最近は、「見えないもの」に対する不安感や恐怖が世間を取り巻いていて、心なしか他者への目線が厳しくなっているような気がしてなりません。 どうなんだろうな。 私は知らないことやまだわからないことに強い意見を持てないので、関連のことには今段階では沈黙します。 スペインの医療従事者やバスの運転手たちがお互いを拍手し合って鼓舞してる動画は素直に感動したなあ。 私が進学する大学は、幸いなことに予定通り、講義共に4月上旬からスタートします。 入学式こそ中止になったものの、これはとても有難いことです。 これからどうなるかはわからないけれど、きちんと方針や注意事項を明記された文書があるので、それに従います。 さて、2月、3月の私について。 こうやって書くと本当に私は幸せものだなあああああああ。 たくさんの宝物を大切に、且つ執着せずに自分の人生をまずは自分のために。 勉強時間は68時間。 すくねえ……1月の半分も満たないなんて、、、加えてジムもあまり行けていない。 5回あるかないかレベル。 こういうご時世だからっていうのもあるけど、月額料金は変わらないわけで、ちょっと考え直す必要があるように思う。 読書と映画は今から書く。 生活で言えば、自炊の習慣がかなりついてきた。 切り干し大根めちゃくちゃ美味い。 野菜が潤っていると心が安定するね。 あとは趣味の刺繍も一個作り終えたし、これからもちまちま続けていく所存。 オルゴール聴きながら美味しいお茶と共に針を刺す時間の幸福さよ。 すんごいすんごい大好き。 最初のオープニングテーマの千雪の努力にもう涙腺が緩む。 育人の芯の強さに痺れる。 実際はもっともっと大変な派閥だとか壁だとかあるのかもわからないけれど、素人発言としてファッション大好きになりました。 私も頑張る。 『パフューム ある人殺しの物語』 ヤバイ。 この一言につきます。 最初のパリのシーンで結構具合悪くなります。 隣に彼がいたから観られたけど、1人なら挫折したと思う。 あとは正直、私の頭では難しい描写も多かったな、、、どこからがメタファーなんだ?って。 でも、最後まで観て本当に良かったです。 万人受けしないだろうけど、それこそ「香り」という目に見えないものを映像というジャンルで表現し抜いた素晴らしい作品だと思います。 『勇者ヨシヒコ』 『パフューム』の途中で休憩程度に観ました。 そういうの大事。 笑 まだシーズン1の4話めだから、精神的に疲れた時とか落ち込んだ日に観て爆笑しよう。 『』 今観るべき映画でなかった気がします。 でもで急上昇にも上がっていたみたいなので、いろんな人たち観てるかな。 私は正直、この映画を観たせいで、一時期この視点からでしか今の現実世界を見れなくなりました、、、 『』 イタリア映画です。 でも実はあと1時間観てないので、また観終わってから掲載しようかな。 とりあえず子役のトト可愛い。 読んだ本📕 『教養の書』 たまたま本屋で見かけて、思わず即書いしてしまった、、、 すごい立派なタイトルに立派な著者に立派な外見の本ですが、内容はめちゃくちゃ読みやすいです。 読みやすいけど、しっかり「教養とはなんたるか、我々はどうすべきか」を学びました。 脚注が面白いし、参考文献もたくさん載っているので、大学生活の間に読んでいこうと思います。 障害者施設における殺傷事件に、ひとつの区切りがつきました。 正直言って、とりあえず、安心しました。 良かった。 彼は彼の思想によって彼の力で自分自身を裁いたのです。 死刑のボタンを押すのは、お前自身だぞ、と言いたい。 でも、 これで終わりだなんて思うなよ。 これで終わりなわけないからな。 この事件の本質は、植松ひとりを糾弾することでも、悪魔呼ばわりすることでも、19人の命ひとりひとりを神聖化させることでも、障害者の個性に美を求めることでも、ない。 優生思想は どこにでも誰に対してでも何をきっかけとするかも問わず、じわじわと私達に侵食してくる。 考え続けることはとてもつらい。 目を背けたくなるような苦しい現実がそこにはあるし、耳を塞ぎたくなるほどの自分への後ろめたさも感じることすらある。 でも、そこで何も見なかったことにして、聞かなかったことにして、とりあえず生き延びたその先にある明日、私達は何者かにナイフを突きつけられるかもしれない。 気づけば自分が誰かを殺しているかもしれない。 この事件の判決がピリオドなんて思っちゃいけない。 思考を止めるな! mercy0707.

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