千と千尋 神様 よきかな。 千と千尋の神隠し【電車のシーンの謎とメッセージ】考察・解説

千と千尋の神隠し【電車のシーンの謎とメッセージ】考察・解説

千と千尋 神様 よきかな

音声と字幕の違い 私が購入したDVDが海外版だったからか、 英語音声と英語字幕が8割以上異なっていました。 ディズニーDVDでも音声と字幕が若干異なることはあるのですが、ここまで大きな違いはありません。 最初は、文字数を少なくするためかなぁ?と思っていたのですが、 音声 字幕 guest customer pants trousers pretty beautiful など、字幕のほうが文字数が多いものも多く、文字数を少なくするためではないようでした。 湯屋にくる「お客様」であれば「 guest」という単語がピッタリのハズなのですが、字幕でわざわざ「customer」に変更する意味がわかりません。 他にも、音声のほうがしっくりくるものが多かったため、音声の英語から学ぶことにしました。 注意点 そして、こんなことを言っては元も子もないですが、 ジブリ映画よりは、ディズニーなどの もともと英語圏で作られた作品で英語を勉強するのがオススメです。 英語に素人の私でも、「これは…」と思うものが多く、日本の映画は適当に扱われているのかなぁ。 と感じました。 」なんてよく使いますよね。 「Let us~」を直訳すると「私たちに~をさせてください」になり、少し意味が異なるように感じます。 えーんがちょ!せい!えーんがちょ!切った! 最近の子どもは「 え~んがちょ」を知らないようでした。 子供の遊びとして取り入れられた 民俗風習の一つで、 汚いもの(けがれ)の感染を防ぐためのまじないのようなものです。 私が育った地域では「にっきバリアかぶった!」という言い方もしていました。

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千と千尋の神隠しのキャラクター一覧!名前は?神様、ハク、ねずみなどを調査

千と千尋 神様 よきかな

こんにちは。 大学で外国の生徒に向けて日本映画について英語で講義することになりました。 個人的に大好きな映画「千と千尋の神隠し」を選んだのですが、この映画は日本人ですら、すこし難しい内容と思えます。 ・油ばあばの存在、油屋の意味、カオナシ・ハクとの関係など、説明できるか自身ありません。 自分で考えた中で、日本らしさとして説明しやすいだろうと思えるのは、 ・着物を着ている。 (千尋は作業着らしきものですが、) ・ハクの名前の由来のように物には神の名前や昔の地名がよく使われること。 ・題名から「神隠し」の意味。 自分ではこれくらいしか考えられず、困っています。 この映画の中で、日本らしい、と思える事、物があれば教えてください。 よろしくお願いします。 映画が大好きな私の永遠のテーマというか目標は「言葉が通じない人同士が同じ映画を見て、同じ読後感を味わえること」です。 そういう意味でも、「日本らしさ」というよりは、「日本人が見て、すんなり理解できるところと難解なところの差」がどの程度、外国人に伝わっているのかが私は気になりますね。 たとえば、普通に日本で暮らしている人なら子供でもわかりますが、あの映画は「日本らしい」というよりは、むしろ、「現代の日本では、ほぼあり得ない風景」だと思うのです。 では、どこにあの風景があるかといえば、夢の中は別として、少し昔の日本であったり(昭和初期の電車など)、もっと昔の日本であったり(元禄時代の風呂付娯楽所??)、更には交流のあった異国であったりします(中国そっくりの町並み)。 そういうものが、ごく当たり前の今の日本の風景(冒頭と最後の家族とのシーン)と対比しているのが、あの映画の醍醐味だと思うのです。 しかし、日本を知らない人は単純に「現実と幻の交錯」程度にしか思わないかもしれませんよね。 シーンによっての「なつかし度」の違いが薄いというか。 もうひとつ気になるのは、街のいたるところにあった「目」という看板。 日本人なら、あの看板を見て感じる当たり前の感情が、海外で放映されたものやDVDにどの程度反映されているのでしょう(おそらく反映されていない)。 実は、『千と千尋~』を見てしばらくして、私は中国の蘇州を訪れたのですが、そこに、あの町並みがありました。 名物の豚肉料理も、映画に出てきた食べ物と雰囲気がピタリと一致しました。 ああいう感じ、もしも生徒さんの中に中国系の方々がいらっしゃったら、ちょっと話をふってみるのも面白いかもしれません。 こんにちは。 この映画は全編日本情緒あふれる一本ですが、皆さんが触れていらっしゃる「八百万の神々」の他には、「銭湯文化」そのものが日本独特のものではないでしょうか? 娯楽施設、社交場としてのお風呂屋さん。 ローマ時代のイタリアには有ったみたいですけど、現代ではね。 あと、湯婆々の部屋の前に飾ってあった大きな二つの壺、あれのモデルはおそらく幕末、佐賀藩がパリ万博に出品してヨーロッパの人々を感動させた有田焼の大壺だと思います。 それと、「油屋」という屋号は、別府温泉を日本で最初の複合レジャー施設にして成功した油屋熊八に由来していると思われます。 この人は例の温泉マークの発案者とも言われていますが、これには諸説あるみたいですね。 ちょっと反れちゃいますが、この作品を各国の方に観てもらって印象的なシーンを語るり合う、と言う番組を以前観ました。 日本人は涙シーン(ハクから貰ったおにぎりを頬張る場面)、雄大な景色 ヨーロッパ系の人は幻想的なシーン(千尋がハクの正体は琥珀川だと気づいた瞬間の場面) アメリカ人はアクションシーン(千尋が建物外の階段から転げ落ちる場面。 大爆笑していました。 ) だったかな?それぞれツボが違ったようです。 また、カオナシの存在意味は海外の人は全く理解できなかったようです。 日本人は宮崎ワールドを知っているのでまだ大丈夫でしたが。 この作品というよりアニメ全体になりますが、海外の方にとって日本のアニメには独特な何かがあると言っていました(肝心な「何か」を忘れてしまいました・・・)。 日本のアニメは評価高いですしね。 そう言うポイントももしお伝えできれば・・・。 もっとも日本らしいのは、あらゆるもの(川などの自然から日常雑器にいたるまで)が「神」となること。 これは日本人以外にはなかなか理解されにくいのではないかと思います。 いわゆるアニミズムやシャーマニズムともちょっと違いますしね。 それと、名を禁じることによってその存在を縛る「言霊信仰」。 映画というのは、一本で一つの作品ですから、作品全体に流れるテーマから捉えていく必要があると思います。 出てくる要素が日本の物であるというだけでは、日本らしいという事を言うのは難しいでしょう。 日本人の精神であるとか、嗜好であるとかそういったものを捉える必要があるのではないでしょうか。 あるいは、日本人としてどういった部分に惹かれ、どういった部分に感動するのかということを考えてみて下さい。 わたしは、外国の文化の方に疎いので必ずしも適任とは言えませんが、わたしが感じるのは例えば、、、 自然、特に川に対する畏敬の念。 多神的な考え方。 自然からの略奪の否定。 お化け カオナシ に対する接し方。 異形のものも受け入れる精神 一生懸命働く千尋の姿。 だれかが助けてくれる 強欲の否定。 出てくるものとしては、木の屋敷や大衆浴場、田舎の風景も日本特有の文化だと思います。 A ベストアンサー (2)です。 何を置いても一番の理由は「ジブリ」「宮崎駿」の知名度が上がったことだと僕は思います。 絵、演出、音楽と作品全体の質も当然上がって来てはいますが、 その点は普段それ程映画を観ない一般の方々にはそれ程影響を与えてはいないでしょう。 それよりも、80年代に青春期を過ごし、ジブリの作品に触れた世代の方々が大人になり、 そのまた子供さん達もテレビのロードショウ等で繰り返し旧作に触れることで、 絶対的な知名度も上がり、ファン層を拡大している。 知名度が上がれば、子供達の間の潜在的なジブリファンの新しい芽生えの機会がマスコミ等を媒介とすることで増えるし、 本来それ程興味のない方も家族・友達にいるそれらファンの付き合いとして見に行かざるを得なくなるでしょう。 (その証拠に、「もののけ姫」・「千と千尋」の大ヒットの裏側には、不満の意見が旧作より断然多く出て来たと個人的に強く感じます。 大ヒット=多くの満足とは行かず、同時に多くの不満足も出て来ていると言うことです) 昨今国際的映画賞の獲得等によりジブリの知名度はますます上がる一方です。 そして、この推測に依ると、次回作も間違いなく大ヒットすることでしょう・・・。 それから(3)です。 個人的には面白かったです。 特に本作の人物(キャラクター)描写は宮崎作品の中でも特に凝っており、 例えば「顔なし」は主人公の千尋と同様友達がおらず、家族さえもいるのかどうか分からない。 第一の個性である顔を持たず、名前もないに等しい、他者を食べること(他力に頼ること)でしか力を持ち得ない。 思春期の収穫である自己同一性を全く剥奪されたキャラクターなのです。 友達(千尋)の為にはそれが悪いことでも盲従的に何でもやり、拒否されるとヒステリックなまでに暴れ出す、極めて純粋で繊細なキャラクターであり、このキャラクターは引っ越しによって友達を失った千尋の弱い内面の投影とも言えるのでしょうが、千尋は彼に対して努めて優しく接し、守ってあげます。 (これがまあ所謂本作の少女の成長に繋がるのでしょう) 次に「ぼう」です。 独裁的な支配者である魔女「油婆」の息子である彼はまさに支配者階級の申し子とでも言うが如く、醜く肥大化していて、我が儘で、甘ったれで、尊大で、極めて強圧的に振る舞います。 このキャラクターに対し最初は母親にすがるようだったあの千尋は理知的で年上らしく、 つまり「お姉さん」らしく振る舞う成長を見せます。 そして「はく」。 この人物は最初、不思議な世界へ迷い込んだばかりの千尋を助けてくれる「ハク馬の王子」様です。 つまり純粋な少女を両親の手から奪いとる(憎っくきw)王子様なわけで、千尋は両親のためにとって置いたお団子をカレにあげます。 (これも成長と言えば成長ですけど・・・お父さんはショックでしょうね。 )、また頼れる素敵な王子様であると同時に、弱みを握られ悪に利用される、愚かでか弱い動物でもあります。 加えて恋人としての役割を果たすと同時に、最終的には幼い頃からずっと千尋を見守っていてくれた友達(自然)という役目も持っています。 以上のようなキャラクター設定などもなかなか滋味深いものがありますし、 相変わらずのメッセージ、例えば「自然と人間の共存」(お腐れ様)、またそれを次代を担う若者が救うとか(よきかな~)、日本的な和風世界を西洋の独裁的な「魔女」が支配するという近代文化への投げかけなどなど、教育の面から観てもよいでしょう。 個人的には宮崎監督お得意のノスタルジー、 例えば夕暮れ時の電車のシーンなどが特に印象に残りました。 以上、手前みそな話を長々どうもすいませんでした・・。 (笑) (2)です。 何を置いても一番の理由は「ジブリ」「宮崎駿」の知名度が上がったことだと僕は思います。 絵、演出、音楽と作品全体の質も当然上がって来てはいますが、 その点は普段それ程映画を観ない一般の方々にはそれ程影響を与えてはいないでしょう。 それよりも、80年代に青春期を過ごし、ジブリの作品に触れた世代の方々が大人になり、 そのまた子供さん達もテレビのロードショウ等で繰り返し旧作に触れることで、 絶対的な知名度も上がり、ファン層を拡大している。 知名度が上がれば、子供達の... 専門家にいわせればもっと分析して、環境汚染がどうだ戦後の豊かさがどうだ成長と旅立ちがどうだ…と、言えるのでしょうが、私にはそんなことはわからないし、ただ、自分が笑えて泣けたことがすべてです。 でも人はえてして、自分の過去にわずかにでも接点があることでなければ感動はしないと思うし、本当の意味での「わかる」というのは共感でしか得られない部分があると思います。 今回、yyukkyさんがまったくこの作品に感銘を覚えなかったのは「たまたま」今までのyyukkyさんの過去において、この作品と共感できる経験がなかっただけではないでしょうか。 だから、本当にそれは「たまたま」なことだと思います。 Q ディズニーとアメリカ文化の関係について、レポートを書いているのですがいくつか疑問点があります。 よかったら皆さんのご意見を参考にさせてください。 ディズニーの童話を元にした長編アニメ(白雪姫、シンデレラ、ピノキオ、リトル・マーメイドなど)は原作のストーリーを細かく変更して、人々に受けいれ安い話に変えています。 それともディズニーそのものがアメリカの文化となってきていると言えるのでしょうか。 日本とアメリカではディズニーへの親しみや認識は違うものなのか、それとも同じようなもなのか、よくわかりません。 なので想像しづらくて。 まとまらず解りにくい文章だと思いますが、お力を貸していただけると幸いです。 ディズニーとアメリカ文化の関係について、レポートを書いているのですがいくつか疑問点があります。 よかったら皆さんのご意見を参考にさせてください。 ディズニーの童話を元にした長編アニメ(白雪姫、シンデレラ、ピノキオ、リトル・マーメイドなど)は原作のストーリーを細かく変更して、人々に受けいれ安い話に変えています。 それは成功して、日本でもディズニーの長編アニメはまるで原作のように思われているほど親しまれている(原作を知らない人が多い)と思うのですが、アメリカでもディズニーの長編ア... A ベストアンサー アメリカに住んでいたことがあります。 まず前提として、日本はアジアの片隅にある島国で隣には4千年の歴史を有する中国大陸があり、日本自体も1500年以上の歴史を有しているのに対して、アメリカ合衆国はピルグリムファーザーがメイフラワー号に乗ってやってきてから200年強の歴史しかなく、また人種も移民により雑多ですから元になる文化や宗教も様々なところの影響を受けている、という違いを考慮する必要があります。 >アメリカでもディズニーの長編アニメは同じようにまるで原作のように親しまれているのでしょうか? 日本が大陸から影響を受けた童話もたくさんありますが、たとえば織姫と彦星の七夕の話や、干支の話(ねずみが牛の背中に乗って一番乗りした話)などがあります。 これらは中国大陸の地方によっても若干異なるストーリーがあるのですが、もちろん日本も元々の話とは若干違っており、日本の文化に合うように話が変化しています。 アメリカは自国に「文化的ルーツが無い」と自覚している国ですので、まさにディズニーの物語はアメリカの御伽噺として原作並みの扱いを受けているといえます。 もちろん教養の高い知識層は原作のルーツがいろいろな国にあることを知っていますが、それでもディズニーが編集したストーリーはアメリカが原作だ、と思っていることでしょう。 なぜアメリカ人がこのように思うかと言うと、オリジナルのものをアメリカで受け入れられるように修正を加えているからです。 特にアメリカは日本と違って宗教的なタブーも多く存在しますし、なによりも様々なルーツを持つ移民がそれぞれの源流となる文化、価値観に反せずに受け入れられるように修正が必要だったからです。 この修正によって、さまざまな国の童話がアメリカのみならず、世界中に広まることが出来るようになったわけで、アメリカ人がディズニーの童話をアメリカ原作としても、ある意味適正な表現と言えます。 また、日本でも同様な修正は行われており、たとえば孫悟空に出てくる沙悟浄は、日本では河童ということになっていますが、もちろん中国には河童はいませんので、日本で親しみやすい様に変化させたわけです。 しかし、河童では世界中で親しむようにはなりませんので、ディズニーの修正は原作を越える力を持っている、と言える部分もあるのです。 このようなビジネスに関わらない一般的なアメリカ人にとっては世界=アメリカ合衆国、なのが現状であり、アメリカ人ほど世界を意識しない内向きの国民も珍しいのです。 日本でも外国から「MANGAは素晴らしい!!」と言われて初めて漫画も文化だと気づいたように、アメリカ国内ではディズニーは「子供のためのもの」(漫画も日本でも同じ言い方ですよね)なのです。 親しみ方、という点ではアメリカ人はディズニーにどっぷり浸かって幼児期を過ごしますので、必然的にディズニーがアメリカ文化に与える影響は大きいのだと思います。 しかしそれは外国の視点で見ない限り、それに気づかないのではないでしょうか。 日本も同様に、日本文化とアニメが融合しても外国の目から見ないと、それと気づきません。 一例ですが「日本のアニメ等には見得きりがある」のです。 日本のヒーローは必ず見得を切ります。 時代劇ですが桃太郎侍の「桃から生まれた桃太郎」は有名ですね。 ところがスパイダーマンもバットマンも見得を切りません。 日本人が歌舞伎などの影響で「主役は見得を切るもの」と思っているからなのです。 これは比較して初めて意識することで、ディズニーアニメしかないアメリカでは文化もナニも、ディズニーはまさに当たり前の空気のごとき存在だと思います。 まあ日本ならサザエさんとかドラえもんがそれに近いでしょうが、この二つを日本の文化の筆頭にあげたり「日本のアニメは見得を切る」ことを日本文化として紹介したら、普通の日本人は首をかしげますよね。 そのぐらい浸透しているのがディズニーであり、日本とはまったく違うのです。 アメリカに住んでいたことがあります。 まず前提として、日本はアジアの片隅にある島国で隣には4千年の歴史を有する中国大陸があり、日本自体も1500年以上の歴史を有しているのに対して、アメリカ合衆国はピルグリムファーザーがメイフラワー号に乗ってやってきてから200年強の歴史しかなく、また人種も移民により雑多ですから元になる文化や宗教も様々なところの影響を受けている、という違いを考慮する必要があります。 >アメリカでもディズニーの長編アニメは同じようにまるで原作のように親しまれているの...

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「千と千尋の神隠し」の中での日本らしさ

千と千尋 神様 よきかな

」 「千はどこだ!千を出せ!」 「千~っ。 小娘が何を食わしたぁ!!」 「 欲しがれ」 概要 黒い影のような体にお面をつけたような姿をしている。 手から金などの人が欲しがるものを出す力を持つが、それはただの土くれを変えたものに過ぎず、それを欲した瞬間に相手を飲み込んでしまう。 また「己」を持たず、呑み込んだ他人の声を借りなければ会話ができない(普段は「あ・・・」や「え・・・」と言ったか細い声を搾り出すだけで、表情も無い。 ただし後述の様に相手の言葉にある程度反応はするため、簡単なボディーランゲージなら可能な模様)。 後、僅かだがお面にも感情が反映されてたりしている。 橋の欄干でハクの術で気配を消して見えないはずのを見かけた時から執拗に彼女を求めるようになり、の一件の前に、渡り廊下の外で佇んでいたが千尋に招き入れられた この時は「雨に紛れてろくでもないものが紛れ込んだかな?」と感づいていた 際はもっと喜んでもらいたい一心で番台蛙から薬湯の札を盗んだり、大量の金を手から出し千尋に渡そうとした。 その後オクサレ神様の身体からこぼれ出た砂金に興奮する従業員達を見て土くれでニセの金を大量生産できる力を使い、それを餌に夜間に大湯に忍び込んだ青蛙をおびき寄せ、ニセの金に手をつけた瞬間捕まえ呑み込み、青蛙声で喋るようになる。 その後兄役から、大量に金を出せる「お大尽様」と呼ばれ、もてなされてはたらふく食べて肥大化していく。 再び出会った千尋にも砂金を差し出したが断られ、絶望したところにやってきた兄役の愛想笑いに逆上し、手に残った一つの金を落とし、取ろうと近くでいた従業員の湯女と共に飲み込んでしまう。 その後更に肥大化して千尋と対面するが彼女に拒絶され、残った最後の苦団子を食べさせられると強烈な味に今まで食べたものを嘔吐し、怒りで暴走(この時湯婆婆の魔法攻撃すら弾き、逆に吐瀉物の泥で埋めてしまった)し、飲み込んだ人々や、食べた物が変化したと思われる泥を千尋を追いかけている途中に全て吐き出し、元の姿に戻った。 元に戻った後はまた大人しい性格に戻り、千尋についての所に行き、そのまま引き取られ銭婆の所に留まることになる。 余談 実はが現れる場面と前後して登場している。 千尋のセリフから「ハクって人は二人いるの?」とリンに尋ねる場面があり、ハクの正体はカオナシなのかと思わせたこともあったが、終盤で一緒に映る場面は無いが、竜のハクと交互に登場している。 元々は重要キャラではなく、単なる「橋の上で単にハクの術で気配を消していた千尋が見えており、通り過ぎるだけの何か」(つまり )程度であったが、監督が物語を進めるに当たって、後からキーパーソンになるキャラに起用した経緯を持つ。 顔を持たないというキャラクター性から、海外版においても名称の変わらないキャラクター達の中で唯一彼のみが各国語に翻訳された名前が使われている。 (例:英語圏なら「No Face(ノーフェイス)」など) フィルム・コミック「千と千尋の神隠し3」には「仮面男」と書かれ、後にモデルがであったことが明かされている。 が、後に本人が後付けであると述べた。 正体 宮崎監督曰く「カオナシは誰の心にも存在する」という。 カオナシは現実世界でも油屋の世界でも居場所のない不安定な存在で、 千尋に故郷や親について聞かれた時に困惑した、また、銭婆にとどまるよう言われた=居場所を提供されたとき非常に喜んだことから 出処は 人間の心なのだろう。 そのキャラクター性を「 主体性が無く、居場所も無く、拾い物の他人の言葉でしか喋れず、金品を以外の他人(特に)とのがわからず、拒絶されたと思いこむとキレて暴れだす」とざっくり要約すれば、程度の差こそあれど大なり小なり身に覚えのある人はけっこう多いのではなかろうか。 千尋が来るまでは一般的に馬鹿にされていた人物がこれほどの大問題を起こすほどの力をつけたというのもなんらかの因果を感じる。 また、カオナシは 欲の権化、とくに 金銭欲であるという意見もある。 金銭欲に取り憑かれた湯婆婆は「ヤバい」という事を事前に察知するが侵入を防げず、大損をすることになる。 同じく、従業員も、上役に至るまで、湯婆婆に通すこともせずに上客としてもてなしてしまう。 しかし、金銭欲に惑わされず、 河の神様やハク、カオナシや坊への接し方などから暗示されている 物事の本質を捉えられる千尋や銭婆 絵コンテには、財力にも溢れる優れた魔女であると書かれている はカオナシに取り込まれる事はなかった。 一方で、人間がカオナシに取り込まれると、元の世界に戻れても金の亡者に成り果ててしまうのではないだろうか? そして、財力を持ちながらも金銭欲に縛られない銭婆の下こそ、カオナシが安住できる環境であると仮定できる。 金銭欲の権現だったカオナシは、個性を失い自分の感情を表現する事もままならなかったが、千尋達と出会い感情を取り戻し、最終的には彼自身が憑き物が落ちた様に解放されている。 また、「 世界のルールに従わざるを得ない」という本作の設定の一つからして、カオナシは「ハクや従業員を魔法で奴隷にしようとしていた 絵コンテより 」&「財を他者の為に使う事もせず、神々の疲れを癒す仕事とはいえ金の亡者に成り果て他者を欲のために苦しめていた」、そして、神であるハクを奴隷として苦しめ悪事を働かせたり、息子の事を見ているようで見えていなかった 湯婆婆に降りかかった「天罰」や「神罰」なのでは?などの声もある。 これらの悪しき結果に対し「神々の為」という罰当たりな言い訳を考えさせてしまいかねない意味でも、湯婆婆を踏み留まらせるための神罰および神々からの贈り物だとも考えられる。 同時に、当初は落ち込んでやる気をなくしていて、そして同じ人間の可能性がある 千尋だからこそ欲に駆られたり焦ったりせず、カオナシを最初から受け入れ、無下にしなかった千尋は、金ではなく本当に欲しかった物である、家族とハク つまりハクの名前 と自分の自由を手にする事ができた。 河の神様の苦団子やおしら様がエレベーターで隠してくれた事、千尋が最初に出会ったり傷付いたハク龍の姿を見た従業員がリンだった事、カオナシの来訪、ハクを操っていたすばやい虫を千尋が踏み潰した事、など あらゆる事が千尋やハク等の心正しい者達への救いだった、または 「成長する機会や改心する機会があればやり直せる者達」へのチャンスだったとも取れる。 それは同時に、 千尋一家の来訪も、神々の為に働くが魔法で縛られてきた油屋の面々や、自身を欲とエゴとコンプレックスで縛っていて、息子の本当の姿すら見えていなかった湯婆婆への神々からの贈り物だったのかもしれない。 事実、終盤では湯婆婆に意見をしたりブーイングする、千尋を応援するなど、従業員達にも多少の変化が見られていた それ以前からも、河の神様の砂金の没収に対して不満をもらすなどはあったが。 そうすると、一見天罰にも思える損をしている湯婆婆も、息子の成長、本当の息子と向き合う機会を与えられた、従業員との心の壁の消失と其による将来的な仕事の効率化、等々、やはり救われている事になり、宮崎監督の「本当の意味での悪人はいない」、つまり「やり直せる者へのチャンスは与えられる」といる事にも繋がる。 彼の言葉の意味について 実は彼の言葉にはある程度の法則がある。 つまり、言葉だけでもある程度カオナシが何を考えているのかある程度読み取ることが出来る。 この時仮面の表情も変わっている。 あ・・・ 物をあげるときに使うことが多い。 基本的に物を差し出しながら発する。 仮面の表情はどことなく笑顔。 え・・・ 断られるなどしてショックを受けているときに使うことが多い。 文字通り「え・・・」という意味である。 仮面の表情はどことなく落ち込んでいる。 その他 演じた中村は当時、日本テレビ系列『ズームイン!! SUPER』のインタビューに答えており、「うめき声しかセリフがなく、演じ分けるのに苦労した」と語った。 ちなみにCM前はモザイク代わりにカオナシの仮面で顔を隠されていたため、見様によっては 「流暢にしゃべるカオナシ」というかなりシュールな珍場面となった。 主要人物になるに当たり、初期のイメージは星の模様が付いたマントや体などがあしらわれ、髪も緑色で痩せたカオナシはややファンタジックなヒーロー調となっている。 宮崎駿が作詞したカオナシの歌がある。 歌詞は「さみしい」、「たべちゃいたいの」など、カオナシの欲っしても満たされない孤独な心を表現した少々おぞましいものとなっている。 の漫画『不安の立像』に仮面のないカオナシのような"影"が登場する。 アニメ『』に、 「」という不気味なを着けて本作のカオナシと似た特徴も有する ののようなが登場する。 pixivでは pixivにも多くのイラストが投稿されている。 そのなかには、などカオナシをに書いたイラストがあり、人気を集めている。 関連イラスト.

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