村山由佳 パートナー。 ダブルファンタジーのあらすじネタバレ感想

村山由佳ともみじがNHKネコメンタリー「猫も杓子も」に!かわいくて泣ける書籍も!!

村山由佳 パートナー

脚本家・高遠奈津は夫と離婚し舞台俳優で脚本の勉強をする大林と暮らし始める。 大林はヒモ。 奈津は大林の借金をも返済する一方で、大林は勉強もせず、奈津の仕事を邪魔するからと飲みに出かけるばかり。 奈津は寂しさを覚え、先輩、男優と逢瀬を重ねる。 大林とは結婚もするが、奈津は風俗ライター・加納と深い仲になる、しかし、大林にバレてしまい…。 読み始めて、これでもかとばかり官能の世界ばかりでどうかなあ、と読み進める自信がなかったけれど、加納とのメールのやり取り、大林との修羅場までくると目が離せなくなった(ここが私にとって読みどころであった)。 奈津の行く末を見なくてはと最後まで進めた。 共感はしなかったけれど、奈津はそうゆう性分なんだと、結果はどうあれ前向きに捉えるなら良い作品や現在を生み出すための必要なことばかりなのだ、奈津のようなタイプの人はいるんだろうなと。 心の動き、奈津そのもの、それをストレートにうまく書けていたな。 その点は素晴らしいと思う。 奈津、そして奈津の周りの人の人間ドラマを興味深く読めました。 ただ、最後の父のことトーンが違う気がするし官能は官能のまま終わらせても良かったのでは。 ダブルファンタジーの続編ということで手に取りました。 相変わらずな奈津の男性遍歴に驚くばかり。 夫と別れてから作家としての活躍が少しは 加速したり、私生活も少しは変化がするかと期待していましたが、 以前よりも増してどんどんと危ない方へと導かれていくのに 一体この人は何がしたいのだろうかと思ってしまいました。 幾つかの恋を重ねていくたびに益々孤独と自由に嵌っていく姿。 そしてその孤独の前には苦しい程の思い詰めた経験をしているのに、 その孤独が寂しいのではなく、それを楽しんでいるというのだから まさに男勝りというのが過言でもない女性だと感服してしまいました。 どこまで堕ちたら奈津は満足するのだろうかと思って、 最後まで息をする間もなく一気に読んでしまいました。 濃厚なシーンが多いので繰り返される情事の表現が 段々と苦しくなる思いがしましたが、中盤からは今までと違った 男性が表れて急展開と同時に今までの行動とは違う奈津に 少し吃驚してしまいました。 そしてラストには今までのあの苦しさと孤独から解放されて、 心が穏やかに満ち足りているのには同じ人物とは思えませんでした。 結局のところ奈津は女性としての部分だけではなく、 結婚をして生活をしていく時の部分でも妥協できることがなく、 あらゆる所で満たされなければ駄目な女性では なかったのかと思えてしまいました。 自分自身がこんな経験をしてことが無いし、 普段あまりこうゆうことは考えてはいなかったので、 とても難しいテーマを出されて未だに 答えが見つからないという状態です。 ただ奈津が最後には心おきなく穏やかに過ごせる日が 見つかったというのは良かったのかと思います。 それにしても前夫の尻に拭いを離婚してから 何年もしているなんて少し奈津も自分の我儘ばかりをしてしまい 他のことにうつつだった所が少し許せないような 情けないような気がしました。 奈津の一連の事の原因かとも思われることが、 子供の頃の母との確執があると書かれていましたが、 これだけでこんな事になるのだろうかという疑問も 少し湧いてしまいました。 想像をはるかに超える描写などを描いているこの作品は 今まで読んだ村山さんの作品とは全然違うので、 一体どんな感覚になったらこんなに書けるのだろうかと思ってしまいました。 男女の愛憎劇、究極の愛情を求めている方にはお勧めな作品だと思います。

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【クロストーク】村山由佳×柳美里「言葉の力を信じて書くということ」

村山由佳 パートナー

2009年に出版された村山由佳さんの小説『ダブル・ファンタジー』(文藝春秋刊)。 過激な性描写、自由を求めて不貞を重ねる主人公・高遠奈津の姿は賛否両論を巻き起こし、それまで「爽やかな青春小説」の書き手としての立場を確立していた村山さんの転機ともいえる作品になった。 多くの読者に強い印象を植え付けた本作だが、それが意外にも9年の時を経て初めて実写化される。 そのドラマの放送場所はWOWOW。 奈津を演じるのは女優・水川あさみさんだ。 6月16日のドラマ放送開始に先駆けて行った新刊JPによる村山さんへのインタビュー。 「今まで何度も実写化の話はあった」のに実現しなかったのは何故か? この9年間の変化や「性愛を描くこと」の意味、そして続編となる新作の話まで、幅広くうかがった。 WOWOWからドラマ化の話が来たときはどんな心境でしたか? 村山:ものすごく正直に言うと、「今回も映像化が失敗するのではないか」という不安を感じていました。 実はこれまで何度か実写化の話をいただいたことがあったのですが、いろんな条件がちゃんと積み重ならなくて、そのたびに話が流れてしまっていて。 題材も難しいですし、私は内容やストーリーが原作通りでないと嫌とはまったく思わないんですが、映像化を通して視聴者の受け取る感触や色合いが原作と全く違うものになるのなら、(作品を)使って頂かない方が良いのかなという気持ちがあったんです。 今回WOWOWさんからお話をいただいて、「ドラマW」という枠は作品と真摯に向きわってドラマを制作していることを知っていただけに、実写化していただけることに期待しつつも「期待し過ぎるな、自分」と言い聞かせていました。 でも、完成したものを観たら、本当に原作のテーマを大事にしていただいたことが伝わってきて嬉しかったですね。 特に前半部分の志澤とのやりとりはメールが中心ですし、テキスト的というか。 村山:それにほとんどが奈津の内面の話ですからね。 性愛って行為自体はそれほど人によって変わるものではなくて、バリエーションには限りがあります。 そこに無限のバリエーションをもたらすのが人の心ですから、その部分を映像でどのように表現してくださるのかという点は楽しみでもあり、怖くもありと思っていました。 村山さん自身は奈津をどんな人物だと見立てて書かれたのですか? 村山:普段小説を書くときは、キャラクターの設定を決めてから書くことが多いのですが、奈津に関しては設定を設けずに書きました。 ただ、決め事はあって、それは自分自身が今までに抱いてきた女性としての感覚に嘘をつかないということです。 村山:そうです。 ただ、あからさまに書いてしまうと、色々な人を敵に回してしまうし、後ろ指をさされることになるだろうと思っていました。 実際にそうなりましたしね(苦笑)。 もっとオブラートに包んで書けば、あそこまで賛否両論にはならなかっただろうと思います。 でも、そうはせず、奈津に一人の女の本音を詰め込みました。 そうして描いた奈津をリアルに演じることって、女優さんにとってはおそらく作家以上に覚悟がいることなのではないかと思うんです。 毀誉褒貶あるかもしれないし。 だから、(主演の)水川あさみさんにお目にかかったとき、「よくこんな役を受けていただいて」と言ったら、「こんな役って!」っておっしゃっていましたけど(笑)私にとっては称賛の気持ちでした。 村山:でも、俳優の皆さん、かっこいいじゃないですか。 小説の中では見た目に対する情報を読者に与えないで、それぞれの中で想像していただくということができるんですけど、映像ではそれができないからどうなるかなと思っていました。 あのかっこいい人たちがどんな風にダメな部分を演じるのかなと(笑)。 逆の視点として、女性の立場から見て男性が書く小説で違和感を覚えることってありますか? 村山:そうですね…。 男性作家が描く恋愛の場面の多くは、女性が読むとちょっと苦笑してしまうというか(笑)。 こういう女はいないし、もしいたとしても計算でやっていることに過ぎないのに、主人公までがその計算を真に受けてしまうという物語運びは男性作家の恋愛の描き方に多いように感じます。 最後に「男女は化かし合いなのだ」というような気づきが一行でもあれば、「分かっているな」と思うんですけど、そこまで書いていない男性作家は多いです。 逆に女性作家は、男性に対する幻滅の瞬間をとてもリアルに描くんですよね。 村山:男女の埋めようのない溝ですとか、一言から漏れてくる相手の本音。 そういう男女の間に横たわる裂け目みたいなものは、女性の方がちゃんと描くように思います。 醒めているというか。 男性が描く恋愛ってすごく優しいのかもしれない。 でも、その一方でファンタジーを強く信じている部分もありますよね。 村山:この作品は読む人の人生経験ですとか、男性に対する好み、譲れない一線といったものにものすごく左右される小説なんですよね。 だからAmazonのレビューを見ると、星は1と5が多くて真ん中があまりないという。 賛否両論あることはありがたいと思うのですが、何せ私はそれまで爽やかな作風の話が多かったので、『ダブル・ファンタジー』を書くまであまり叩かれ慣れていなくて、叩かれ慣れるのに10年くらい(笑)つまり今までかかった感じがあります。 持っている技は使いたくなるというか(笑)、いずれその技を封じて別の形での表現を楽しむようになるのかもしれないけれど、今はどう描写することでどう効果が表れてくるのかという実験をしているみたいです。 新しい絵の具をどんどん混ぜて、いろんな絵を描いているみたいな気持ちです。 言葉って不自由だから、現実をその場に映し出す映像に嫉妬することもあります。 でも何かがうっかり上手くいくと映像を超えるものが立ち上がることがあって、それは読者の方々に半分負担してもらわないといけない作業ではあるんですけど、私ですら想像していなかった効果をあげるんです。 その感想を読者の方々から聞かせていただいたときに、ものすごい高揚感を覚えます。 「この仕事はやめられない」と思いますね。 村山:そうですよね。 特に女性は、世間の目もあるので、性的に抑圧されてきた人たちが多いんです。 でもその抑圧を当たり前のように感じていて、自分が持っていた(性的なものに対する)罪悪感について改めて考えてみて少し自由になったとか、実際に奈津のようには生きられないけれど、感情移入して読むことですごく解放されたとか、そういう声をいただけると嬉しいですね。 村山:『ダブル・ファンタジー』を執筆しているときから、「これは問題作だと言われるだろうな」という予感はあったのですが、世に出したときの反応が私の想像を遥かに超えていて、こんなに叩かれるものなのかと思いました。 確かに私は「気持ちに嘘をつかない」というルールを設けて挑戦する気持ちで書いたけれど、想像以上に世の中は旧態依然としていて、女性は自由ではないし、そのことに気付いていないのだなと改めて実感して。 だからこそそこに、こういう作品を書く意味があると思ったし、これからも書いてやろうと。 そういう吹っ切れた気持ちはありましたね。 村山:叩かれるとそれは凹みます(笑)でも、どこかで胸がすく想いもあって。 すごく周囲の目を気にする自分と、「後ろ指をさされてなんぼ」という勇ましい自分が同居している感覚ですね。 次どうしようかなと考えているところです(笑)。 本当にフェティシズムに寄ったものでも。 それに救われる人は必ずいます。 村山:ありがとうございます、任せてください(笑)。 『ダブル・ファンタジー』の続編にあたる『ミルク・アンド・ハニー』という小説が出たばかりなのですが、その中に奈津がハプニングバーに行くシーンがあるんです。 健全なところで生きていて、自分を抑圧するものを感じない人たちは、そうしたところに行く人たちを変態とひとくくりにしますけど、実はそこに集まっている人たちはファンタジーを求めてきているわけですよね。 そこに用意されているファンタジーを上手に楽しんで、後はおとなしく現実の世界に戻っていく。 そういう人がいるかと思えば、現実の中で自分を認めることができずに鬱屈していってしまう人も……。 村山:そうなんです。 現実ではなかなか踏み出せないけれど、小説の中ならどこへでも行けますし、何でも体験できますからね。 村山:そういう意味では、作家には責任重大なところがあります。 昔執筆した『BAD KIDS バッド キッズ』という青春小説の中に、同性愛が出てくるんです。 その後、読者の方から「あの小説を読んで自分の同性愛的な傾向に目覚めて今があります」という感想をいただいて。 本の世界に深く踏み込んで読んで下さったことが嬉しい一方で、ひとつの小説が読者の人生を左右してしまうこともあるということを改めて感じました。 ドラマはもう映像で観られましたか? 村山:はい、もちろんです。 村山:シーンではないんですけど、田中圭さんのキリン先輩(岩井)役がすごく良かったです。 キリン先輩は奈津の大学の先輩で、小説の中ではヒョロっとしていて草食系で、動物のキリンを思わせるような印象なので「キリン先輩」というんですけど、キャスト表を見て「大丈夫かな、こんな素敵な人が演じて…」と思ってしまいました(笑)。 癒し系で、敬語でしゃべってくれて。 女の夢ですよね。 村山:マキタスポーツさんの「悪い子だなあ」っていうあのセリフは最高です。 本当に絵に描いたような「エロおやじ」を演じていただいて。 観ている方は「奈津、この人とセックスするの?」って思うかもしれないけど、本当にしちゃうんだなあ、これが。 あれは物書きの性といえるものなのでしょうか。 村山:そうかもしれません。 私も、先は見えているけれど本当にそうなるかどうか、自分の目で見て確かめたくなります。 「やっぱりそういう終わり方だな」ということがほとんどなんですけど、今回だけは違う結末かもしれないと期待をしてしまうんですよね。 彼女は、28歳で憲兵に殺されて井戸へ投げ捨てられる悲劇的な結末を辿るのですが、平塚らいてうらと『青鞜』という雑誌を作っていた人としても知られています。 村山:そうなんですよ。 彼女をモデルにした評伝小説は、何十年も前に瀬戸内寂聴さんがお書きになっていて。 偉大な方ですけど、惹かれるところは似ているんだなと(笑)。 村山:先ほども少し紹介させていただきましたが、『ダブル・ファンタジー』の続編にあたる『ミルク・アンド・ハニー』が出版されました。 そこから読んでも奈津の物語は分かると思いますので、ぜひ読んで、感想を聞かせて頂きたいですね。 (了)•

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村山由佳さん、カレとの日常を作品に「あぁ、本当にバカで恥ずかしい(笑)」

村山由佳 パートナー

しまお 実は、1人目の子どもが男の子でほっとしているんです。 今の女の子って幼稚園生くらいでもすごく女っぽいでしょう? もし自分の娘がそうだったらイライラしちゃって、母が私にしたみたいに髪をパッツンって切っちゃうかも。 自分の趣味を子どもに押し付けないようにしたいけど、それって案外難しいかもしれませんね。 高橋 親の多くが、自分がかつて我慢したことをわが子が我慢しないと、イライラするんですね。 娘に対しては自分を重ねやすいので、余計にそう。 しまお たしかに、父とだったら、適度な距離感でやっていけてるんですけど、母とはヒリヒリするようなところまでぶつかり合ってしまいます。 私の子育てについても、つい何か言いたくなるようで最初の1年くらいは一触即発みたいな空気がありました。 「まほはこうだった」とか、息子を私と比べるんですよ。 孫ができたら溺愛するものだと言われるけど、そう単純なものでもないみたい。 高橋 子どもは大人をモデリング(観察学習)して育つと言われますが、身近な大人といえば親ですよね。 それで、母か父か、究極の選択をすることになる。 母が強烈だと、父に共感する人が多いようです。 村山 わかります。 私と父は母という災厄から身を守るためのシェルターを分け合う同志でした。 中学生のときに父と腕を組んで歩いていたら、母が「いやらしい、いやらしい」って言うんです。 ライバル視されているんだとわかっていたから、わざと父と仲良くしたりしたこともありましたね。 しまお ひえー、すごい作戦! 村山 そして、父親は仕事に逃げますよね。 兄も早くに実家を出ていたので、私と母だけが家に残される。 しまお 父は、私を自由に育てたと思っているらしいんですけど、実際はかなり「勉強しろ」と言われました。 はっきりとは口にしなくても、私は大きな期待を背負っているんだと感じていました。 「相手は誰でもいいから子どもを産め」とか、デリカシーのないことを言っていたのも父です。 高橋 リベラルなつもりでも、〝食いっぱぐれる〟ことへの不安が強いんですよね、親というものは。 私自身がそうでしたから。 言い返したいときは、「私の気持ちを考えたことある? 」という言葉が有効ですよ。 これを冷静に言われると、たいていの親は黙ります。 しまお 何を言ってもだいたい負けそうで……。 わが家は母と父の結束が固いから、完全に私の分が悪い。 子育てをめぐって言い合いになったとき、インターネットにこう書いてあったんだよ、なんて言おうものなら、二人して、「ネットは都市伝説だ! 」って(笑)。 まあ、ネットの情報にがんじがらめになってしまうよりは、親のやり方も取り入れたほうがおおらかに子育てできそうな気もするから、いいんですけどね。 そもそも、人と喧嘩するのって苦手です。 一人っ子だったせいもあると思うのですが、お二人はどうですか? 村山 今一緒に暮らしているパートナーとは、生まれて初めて喧嘩していますよ。 喧嘩してもこの人とは終わらないっていう安心感があるから。 彼は幼なじみで、私の母がどんなふうに怖いかというのをよく知っている人。 『放蕩記』を書いたときに、母のことは一区切りつけられたと思っていましたが、彼に「そりゃあ、あのおばちゃんには言いたくても話せへんよなぁ」と共感してもらうと、改めて救済されたような心持ちになります。 しまお うらやましいです。 私は夫とも思い切りやり合うことはなくて、ただ感じ悪くする程度。 親に対しては高校生になって初めて、「親と喧嘩とかしてもいいんだ」と気づいたくらい、その発想もありませんでした。 高橋 私も怒られた記憶がないくらいだから、親と喧嘩なんてしてきませんでしたね。 でも、そうやっていい子にしていたのも、自分の選択だったんだなあと今は思っています。 しまお 喧嘩できなかったのは自分のせいだったということ? そう考えるのはつらくありませんか? 高橋 いえ、自分のせいとかではなくて、その時々で、生きていくためにベストの選択だったということ。 いい子でいるのはサバイバル術の一つです。 ちなみに、もう一つのサバイバル術は、反抗しまくって親に手を焼かせること。 しまおさんも村山さんも、ちゃんとサバイバルしてきたんですよね。 自分が悪いと思ってしまうのは加害者思考で、親のせいにするのは被害者思考なのですが、実はそのどちらも無駄な考え方。 誰が悪いかではなく、自分の気持ちに気づくことが大切です。 まずは本人が、母親との関係をどうしたいか考える。 深くわかり合いたいのか、少し距離を置きたいのか、それとも、もう関係を断ちたいのか。 全員こうすべきという正しい答えなんてないんです。 村山 息子が父親を超えるのは通過儀礼として社会的に認められているけど、娘が母を切り捨てると悪い娘だと思われる。 でも、自分が生きるために母を切り捨てるしかないのなら、仕方ないですよね。 離れてみたら意外と関係がよくなることもあるかもしれない。 高橋 今も、お母さんと会うことはありますか? 村山 施設に会いに行きます。 周りの人にとてもよくしてもらっていて、それは私にはできなかったこと。 施設に入居させている罪悪感はなく、母のためにもいい選択をしたと思います。 母はもうすっかりボケてしまって、私のこともわからないみたい。 真正面からぶつかる機会がないまま、うまいこと逃げられてしまった感じです。 こうなったらもう優しくするしかないですよね。 結局、母とわかり合うことはなかったけれど、さっき話したパートナーの言葉みたいに、なにか別のきっかけで自分の心が解放されることがあるんだと思いました。 母を変えることはできなくても、自分は変われる。 しまお 私も母に変わってほしいとは思いません。 私は自分のことや母との関係を客観的にわかっているから大丈夫、という気持ちがどこかにあって。 でも、まだそこから先には進めていないんですけど。 親との関係がうまくいっている人って、やっぱりちゃんと自立していますよね。 高橋 何をもって「うまくいっている」と言えるのかも曖昧なものです。 うまくいっているつもりでも、いざ介護となったら親に触れなくてショックだった、なんていう人もいるんですよ。 しまおさんは今、ご両親との関係に引っかかりながらも、そこそこやっていけているのなら問題ないんじゃないでしょうか。 もし本当に行き詰まったときには、相手をあてにしないで自分が変わればいいんです。 娘のほうが本当の感情を解放して身軽になると、なぜか母親も変わってきます。 村山 そういえば、1年くらい前、母がふっと私のことをわかった瞬間があったんです。 私の手をなでながら「きれいな手やなぁ、お母ちゃんなんて、もうシワシワや」って。 そのとき、どうして子どものときにこういうふうにしてくれなかったんだろうと、涙を必死にこらえました。 素直に泣けばいいのに、私も、この期に及んで意地になっていたんですよね。 まだ、母を「大好き」とまでは言えないけど、すごく恩義は感じているんです。 母の抑圧がなければ私は作家になっていませんでしたし。 高橋 大好きにならなくてもいいんです。 今のお母さんは、村山さんをライバルとは思っていないのでしょうね。 ボケてしまっているとはいえ、以前は言えなかった言葉が出るくらい解放されてきたのかもしれません。 村山 親子だからってお互いに愛せるとは限らないし、そうじゃなきゃいけないっていうこともないですよね。 社会生活と同じように、そこそこの付き合いができていればいいんじゃないかなって。 ただ、もっと愛してほしかったとは思わないけど、愛させてほしかった。 お母さん大好きっていう気持ちを受け止めてくれたらよかったのに、という思いは今でもあります。 しまお 子どもができたら無条件で可愛いのかというと、想像とはちょっと違っていました。 親と子はやっぱり別の人格。 私が小学生になったとき、母は親子でベタベタするのが嫌だからと、もう手をつないでくれませんでしたが、私は母のそういうところが好きでした。 母娘の情って、初めからあるものじゃなくて育むものなのかな。 高橋 母娘だって人と人。 ずっと近くにいれば、関係がうまくいかないことも当然あるでしょう。 そんなときは、無理せずに距離を置く。 たとえば介護も、他人の手を借りたほうがいいと私は思います。 お互い愛せなくても、大好きじゃなくても、なんとか折り合いをつけて生きてさえいければいいって思えば、少し気が楽になるはずです。

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