思えば後悔はひとつくらいしかないな。 親と思えない… : 私は薄情な娘なんでしょうか?私は片親で双子の兄と母と

「最後のひとつ」って言葉に弱いんですよね。後悔したくない思考が高速回転します。

思えば後悔はひとつくらいしかないな

一発で飛べる目次• あの日の後悔【約束の時間】 彼が事故で死んだあの日。 私達は東京サマーランドで遊んだ後、隅田川の花火大会に行くはずでした。 彼は山梨在住で、私は東京在住。 待ち合わせは東京。 「サマーランドは開園と同時に行きたい!」と、私は言いました。 彼は朝早いのが苦手でした。 でも1日がかりのデートなんだから!朝から行くよー!と張り切っていた私。 寝坊しないようにと、彼は徹夜をしたそうです。 それに加え 山梨の甲府駅の前の通りは 信号がなく、早朝は車もほとんど通らない… だから彼は止まらず突き抜けてしまった。 早朝じゃなければ 車通りがあり、絶対一時停止する場所なのに… そしてトラックと出会い頭にぶつかる … 悔しかったです。 なんで早朝に来いなんて言ったんだろう。 後悔しました。 きっと私だけじゃないんだろうなぁ。 大切な人を失った人は 少なからず後悔が生まれるものかと。 だって まさか死んじゃうなんて、夢にも思わないじゃない? だから なにをどう頑張っても、最初は後悔が押し寄せてくるし 自分を責めてしまうと思うんですよね。 それでも、本当のところは誰にもわかりません。 ですがあるのは 死んでしまったという現実だけ。 何をどう考えたって 現実は変わらないんです。 あの日の後悔【もっと声をかければよかった】 病室で彼を看取る時。 家族全員が集まっていて、お医者さんが 「声をかけてあげてください」と。 私は恐る恐る近付き、彼の名前を一度呼んだだけ。 それだけですぐに後ろに下がり、遠くから見てることしかできなかったんです。 だって、なんて言えばいいの!? まさか死ぬなんて、夢にも思ってないのに永遠の別れの言葉を言う!?そんなの出来ないんですよね…。 半分パニックですし…。 「ありがとう」も「さようなら」も違う 「大好きだよ」も… 今こんなところで言うものじゃない!!! その時はそう思いましたが、後から思えば あの時こそ、言うべきだった と、なんでもっと言葉で伝えなかったんだろう?と、後悔しました。 生きている時に聞く、最期の言葉を… でもこれって いつだって絶対、別れの時は言い足りないって思うだろうから せめて普段から 「ありがとう」「ごめんね」「大好きだよ」 は、きちんと伝えていきたいですね。 後悔は教訓にするしかない 後悔といえばキリがないのかもしれませんが、後悔してもどうにもならないんです。 起きた現実は変わりませんから。 ただせめて【何かを変えたい】とするならば、 後悔を教訓にすること これで未来は変えられます。

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断捨離をして後悔した、あなたの「後から思えば大切だったもの」とは...

思えば後悔はひとつくらいしかないな

後悔していることというのは、人にはひとつやふたつくらいあるものだろうから、きっととても大切なことなんだろうということくらい伝わるだろう。 今日ひとつ、ずっと後悔していることが、消えた。 自分にとって、稼ぐこととか、名声を得ることとか、キャリアアップをすることとか、なんやかんや、いろいろあるものなど本当に大したことはなく。 僕にとっては、大事にしたい人たちとの関係性が大事なんだということを、僕はちゃんと知っている。 それをぶっ壊してしまったことほど僕にとって、自分を後悔させる思い出はない。 それがひとつ、消える日が来てくれた。 ある関わりから、一切孤立したような思いで8年間を過ごした。 自分自身がきっと悪かったのだと思っても、痛みを伴う悲しみに暮れて、真正面から受け止めることはもちろんできずに、それぞれの言葉に傷つくだけ傷ついて、勝手に怒って、勝手に拗ねて、勝手に塞いで、勝手に孤立した。 そんな関わりが8年ものあいだに、変わらずずっとあった。 泡盛の銘柄をみるたび、全国各地のとある場所でふと足を止めるたび、玩具を手に取るたび、学生時代に過ごした場所を通るたび、喉元をグッと締めるような気持ちになっては、ひとり飲み込むような思いをしていた。 どうしてうまくやれなかったんだろうな。 あのときもしもこうしていたら、と思うこともなくなって。 いまどうしているかな。 いまさらないかな。 そしていつかとある日になったら許されることもあるのかと。 いつかそんな日が来るものなのかなと。 そんな風に思って過ごしていたことがあった。 8年もの時間を経たが、きっとなにげなく話し始めることができた。 最初はぎこちなく話したが、いつもどおりキレのある言葉を吐くやつだ。 「結局おまえなにしてんねん」 ここ数年の仕事をお互いに話して、いま何を大事にしているのかってことを聞いて、結局はなにも根幹にあるものが変わってないのだということだけをたしかめて、少しずつ8年の溝の大きなものを埋めようとした。 だいじな話もして。 とても素直に孤独であったなあという気持ちと、怒りをもった未熟と拗ねていた幼さに対する反省のような後悔のような感情と、いまこうして話せていること自体をとてもありがたく思っていることと。 「時間が解決してくれるってことがあるんやなぁ」 「いや、時間しか解決してくれないものがあるってことを知ったわ」 相手はどう思っていたのだろうかということ。 自分の立場は関わりからひとり遠ざかって孤立したような立場であったからこそ、孤立した側ほど気持ちは寂しく、悲しい気持ちは大きく、振り返って感じる痛みも大きいものか、ということをたしかめることができた。 正直なところで。 当然ながら、自分の立場が一番繊細に感じてしまうであろうこと。 それぞれの暮らしが主役として忙しい中で、イチ脇役の自分のことをそこまで考えて生きることはないし、たまに思い返せば苛立つ思い出のひとつとして思い出すことはあっても、まだ良い思い出にならない可能性だってあることも。 ただ、そんな気持ちをわかることはないが、わかることがない立場で8年を過ごしてきたのだろうと思いを馳せてくれることに至ってくれたことによって、本当にいろいろな思いが救われた気がした。 そんなやつだったよなと。 「いくら共感しても、きっとお前の本当に感じた気持ちはわからんし、お前にしかたぶんずっとわからんものや。 ただ俺はそうであることだけはわかったし、それはそうやろうと思う。 」 でも結局はいましかなかったんだろうなとも思う。 「今やったんやろうな。 俺から連絡したら、もっとおまえの立場がなかったろうし、それはせんかったやろうし。 お前からしか選択肢は無かったな。 」 そして大切な関わりのうち、ひとつ大事な関わりが結ばれ直し、そこから先はどうなるかはわからない。 けれども少なくともそれをどうもせずに、死んでいくことはできないと思った気持ちは間違っていなかったし、よかった。 そして、なくしたものが一生の失くしものになることなく、わずかながら、還ってきたようなことも、8年という取り返したくなるような長い時間を経てしまったからこそ失いたくないものだなと思っている今の気持ちも、宝物でしかないなと今は思う。 ギリギリなくさないなんて、恵まれているんだ。 「8年長かった。 けど、8年もかかってないなら、こんな刻まれることはないし、8年経たないと思えなかったことがある。 宝物でしかないと思う。 」 失くしてしまうことはあるが、こうしてまたやり直せるかもしれないとしたら、今度は本当に大切にしなきゃなあなんて思う。 それができることもあれば、もう相手がいなくなってしまって、できなくなってしまうこともある。 そう思えば、なんて恵まれているのだろうと思う。 今日はとりあえず、なにげない水曜日だったが、とても大切な日になった。 「今日は人生の大事な記念日になったわ」 「そうや、そういう日はあるもんやな」.

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コーチングをやっていなかったら、きっと後悔しかなくて、もう何も出来ない。。と落ち込みまくって終わりだったと思うのです

思えば後悔はひとつくらいしかないな

なぜ人は後悔してしまうのか 「後悔しない為に頑張る」と後悔する 人生において後悔したい人なんていないと思うんですよ。 後悔はイコール不幸ですよね。 いろんな趣味とか性癖の人がいるとしても、後悔が好きとか、後悔したいという人はいないと思うんですよ。 だから後悔というのは、イコール不幸なんですよね。 で、人間が人間関係を広めたいとか、お金が欲しいとか、健康になりたいとか、色々言うのは、もう突き詰めればそれを経て幸せになりたいわけじゃないですか。 だから 人間の究極の目的というのは幸せになりたいんですよね。 後悔というのは、幸せから最も遠い考え方で、言うならば不幸の象徴みたいなもんですよ。 だから後悔は、人間が一番得たくないことなんですね。 じゃあみんな後悔したくないから人生頑張るとか、後悔しないように今を頑張るわけですけれど、 どんなにやっても後悔は発生しかねないんですよ。 やったからうまくいったか、うまくいってないかっていうのは、その時点では分からないし、未来の時点ではもっと分からないじゃないですか。 だから後悔をするかしないかというので、「後悔しない為の方法」というのはすごく難しくなるんですよ。 ただ 「後悔する・しない」という感情はコントロールできるんですね。 後悔してしまう理由 そもそも 後悔というのは、人生がうまくいってない時に発生するんですよ。 つまり今が幸せに感じられない。 現状に不満がある。 何かいま以上にもっと良い道に自分はいけたんじゃないか。 そういった 現在の自分を否定するような気持ちになった時 に、その 不満の理由を自分の過去 に探して、「ああしていればもっとよかったんじゃないか」と思ってしまうのが後悔なんですね。 だから逆に言えば、 幸せなときは感じないんですよ。 うまくいってるとき、現状が幸せのときっていうのは、それが たとえ自分の思った通りの人生じゃなかったとしても、それはそれでそれなりの満足があるんですよね。 だけど、それが自分が選んだ道であっても、今うまくいってないって感じたときには、後悔が発生するわけです。 例えば 30歳のときに起業とか転職とかするチャンスがあったとして、でもその時はしなかったと。 40歳になったときに、その人が不幸だったら後悔するんですね。 あの時に起業しとけばよかったなあとか、あの時に転職しとけばよかったなって後悔するわけですよ。 逆に40歳になった時にその10年間でバリバリと出世して、めっちゃ給料も上がって、さらにこの後自分はもっと上の幹部職になれることが見えてきてたら、転職すればよかったなんて思わないはずですよね。 同じように例えば インフルエンザとか病気の予防接種があった時に、それを受けるチャンスはあったけど受けなかった。 その後、別段自分がインフルエンザにかからなかったら、当然後悔ってしないんですよね。 ところが、その後インフルエンザにかかってすごい高熱になって体がだるくなった時に、「受けときゃよかった」って後悔するんですよね。 だから 基本的に悪くなった時に、 過去にあれをしておけば、自分はもっと今より良かったんじゃないかという考え方の一つのパターンが後悔なんですよ。 後悔しない為の具体的な考え方 後悔の感情はコントロールできる 感情は自然発生するものだから、コントロールも何もできないって思い込みがちなんですけれど、 感情というのは、 ある条件が満たされたときに自動的に発動するものという風に考えれば、すごく分かりやすいんですね。 これは別の解釈を与えることができるんですよ。 例えば、何かチャレンジをしたけど、うまくいかなかった。 そのときに「無駄だった」という風に後悔するのか、チャレンジをしたおかげで、「このくらいで済んでいる」と思うのか。 30歳の頃に起業していなかったとして、40歳の現状にいまいち不満があったとしても、「あの時に起業してたら、本当はもっとドン底の一文無しで自己破産してたかもしれない。 だけど起業しなかったから、まだ何とか人並みにしがみつけている」と思うのか。 チャレンジをして、そのチャレンジが全てうまくいかないか分からないけれど、チャレンジして無駄だったって思うのか、チャレンジしたおかげでまだドン底には落ちてないと思うか。 これも自分の勝手な考え方の一つですよね。 だから 後悔するかしないかっていうのも、自分の考え方ひとつなんですよ。 不幸を感じる人は、自らの意思で自分を不幸だと定義してるんですよね。 幸せも同じなんですよ。 自分を幸せだと定義しているか定義してないかっていう話じゃないですか。 何と比べるか これはよくアンカリングの話とかの時にも出てきますけど、何と比べるかとか、上と下どっちを見るかっていうことにすごく引っ張られるわけですよね。 例えば、今の日本は自殺者が凄く多くて、なんか不幸な国だとか、しんどい大変だっていう人多いわけですけど、 じゃあ発展途上国のゴミ山とかで、ゴミ拾いしながらギリギリの生活をしている子供に生まれた人と今の日本に生まれた自分はどっちが幸せか。 そういう風な比較をすれば、今の日本に生まれることが不幸なはずがないんですよね。 だけど今の日本の中で、もっとお金持ちっていう上だけを見れば、そこまで恵まれてない自分は不幸だっていう風に考えることもできるわけですよね。 だから結局、 何と比べて自分は幸せなのか不幸なのかなだけなんですよ。 例えば、なんか 長引く病気になってしまって、自分の人生はもうおしまいだ不幸だって思うこともできるし、 逆に「50年前とかに自分が生まれてたら医学的にもう死んでたけど、今は色んな薬があるから生き延びられている。 今の時代に生まれて幸せだったな」とも思えるわけじゃないですか。 今なら例えば 盲腸なんて2、3日の入院で治りますけど、昔は盲腸というのは結構な人が死んでましたよね。 それこそ伝染病なんかもそうだし、手術が必要なものも大半そうじゃないですか。 糖尿病もそうですよね。 今ならインスリンを一生打ち続ければなんとか生きていけるし、根本的な改善すら医学の進歩で出てくるかもしれないけれど、やっぱり50年前、100年前ならほぼ死んだわけですよね。 そう思ったら、たとえ病気になったとしても、 病気になってない人と比べるから不幸だと思っちゃうだけで、 病気になった自分が50年前にいたか、今にいたかって思ったら多分すごい幸せなんですよ。 その分、数十年長く生きられるわけですからね。 という風に 考え方次第、受け取り方次第なんですよね。 後悔しない人生を獲得する方法 現実の解釈の仕方を変える 自分を不幸だと思う人は、悪い方に自分を持ってくるんですよ。 悪く世の中を認識するんですよね。 だから「自分はどん底で、不幸で、何やってもダメで…」っていう変な負のループに入るんですよ。 幸せな人は、 それこそホームレスになってても幸せなんですよ。 物理的な問題以上にその人の思考的な問題、精神的な問題なんですよね。 どれだけうまい感じでいったとしても、今の自分を幸せだと肯定できなかったら絶対に後悔は発生するんですよ。 例えば自分がすごい頑張って、うまくいった感じになって、 月収300万になったとします。 俺すげー幸せだと。 でもその時に 月収3000万の人がやってきて、お前ショボいなーっていう風に言ってきたとしたら、 「俺は頑張り方間違えたからこの程度しか稼げてないのかな」とか「あの時もっと違うビジネスに手を出してたら、あの3000万の奴と一緒だったのかな」っていう風にすら思いかねないわけですよね。 だから結局、上を見ればキリがないし、そんなこと言い出したら大富豪のもとに生まれればもっと幸せだったのにって最終なっちゃうわけですよ。 「アラブの石油王の子供じゃない自分は何て不幸だ」ってなっちゃうわけですよね。 だから逆説的な言い方ですけど、比べてもしょうがない。 上と比べてもしょうがない。 人と比べることに意味はない。 だけど、 自分よりも悪いものと比べれば自分は絶対幸せ。 だから 自分の考え方のコントロール次第なんですよね それをすごくポジティブに受け取るというか、言い方はなんでもいいんですけど、何にせよ事実をどのように解釈するか。 ここで 自分の中の現実は定義されていくんですよね。 だからどのように定義するか。 良く定義するのか、悪く定義するのは全部自分次第だと思えば、自分の思考パターンそのものを良い定義で受け取るようにどんどんチューニングしておけば、人生のはどんどん幸せになっていくんですよね。 幸せになれば後悔はしなくなる 幸せになれるっていうことは不幸にならなくて済む。 後悔しなくて済むっていうことですよ。 繰り返しますけど、後悔というのは、 うまくいかなかった時に発生してくる自分を省みる考え方なんですよね。 でもうまくいかなかった時に過去の自分に原因を求める、つまり「過去の自分を悪者にする」という発想をやめれば後悔はなくなるんですよ。 後悔してる暇があったら、じゃあ「今からできることは何だろう」って考えられるわけですよ。 逆にどんなに幸せでも、その発想ができなかったら後悔は必ずどこかで発生するんですよね。 だから 後悔しないように頑張るのは意味がないんですよね。 めっちゃ頑張ってめっちゃお金稼いだとしても、健康面で綻びができた瞬間に、「健康にも気を付けておけばよかった」って思っちゃうわけですよね。 人に1回裏切られた瞬間に、「人間関係を怠っていた!」って後悔が出るわけですよね。 だからキリがない。 意味がない。 将来どんなことが起きるかなんてわからないわけですよ。 だから自分が考えてもどうしようもないことを考えたり思い悩んでもしょうがないので、起きてしまうことをどのように受け止められるかだけが大事なんですよね。 という風に考えると、 後悔しない人生を歩む方法というのは、もう自らの中にあるんですよ。 でもこれは考え方、思考習慣なので、すぐには変わらないんですね。 だから毎日そのように考えて、これから毎日起きる出来事を良い方向に受け止めるんですね。 それを3ヶ月とか続けていくと、だんだんそれが自分の発想の基本パターンになっていくので、それが定着していくとどんどん幸せな発想になっていけると思います。 それでは今回は以上となります。 ありがとうございました。 音声ファイルはこちら.

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